通信069 できない生徒の気持ち

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【週刊ハンガンネット通信】《70号》(2013年2月22日発行)
「できない生徒の気持ち」

阪堂千津子 (はんどう ちづこ)

ハンガンネットの先生方、アンニョンハセヨ?
今日は「2月22日」、何の日でしょうか? 竹・・・?アニアニ。
ニャンニャンニャン。

そう、猫の日です!
猫とウニマタリしていたら、月曜日に発行すべきこの「通信」が金曜日になってしまいました。
許してにゃん。

最近、春休みを利用して中国語を習っております。

学生時代に中国人たちとくらしていたので、耳のほうはなんとな~くわかったようなふりが
できるのですが、読みや書くのはまったくできない、という問題児でございます。

今はネイティブの留学生や大学教授を引退された日本人の先生から習っておりますが、
わざと中級以上の自分の実力よりうんと背伸びしたクラスで受けています。

「できない生徒」になってみよう、という体験授業も兼ねているからです。

こうして生徒になってみると「わからない授業」を受ける気持ちがよくわかりますね。
いずれの先生もほぼ直接法(日本語を使わない)なので、とても参考になります。

私も中級以上の授業では、日本語で訳すことをせず、文法の説明以外は、なるべく日本語を使わないようにしています。
また、わたしの話す韓国語を日本語で復唱する方がよくいらっしゃるのですが、なるべくやめていただいています。

例えば・・・こんな感じです。
私: チグム ミョッシエヨ?
生徒さん:  ミョッシ? ああ、何時? ええと・・・・

日本語で口に出してから考える方、みなさんの生徒さんの中にもいらっしゃいませんか?
実はわかっているのに確認するための方が多いんですよね。できる方にかぎって こういう方が多い。

そこで、ためしにこれを禁じてみたところ、日本語→韓国語への自動化がより速くなり、
レスポンスがてきめんに早くなったので、なるべくやらないように、と授業では諭しております。

・・・が。これは、できない生徒にしてみると、とてもありがたい「救いの手」なんですねえ。
自分が答える番になると緊張しますから
できる隣の人が「ああ、何時ね」とつぶやいてくれると 助かります。
そういえば、つぶやく方たちは、みなさん隣にできない方とセットで座っていらっしゃいます。

「できない」側からすると、なんて優しい人なんだ~、と感激してしまいます。
(わかっていても確信できて心強い。)

「できない生徒」は
それでなくとも「自分はこのクラスにいてもいいのか」と少し後ろめたい気持ちになっていますから、
こういう優しさをもらえると受け入れてもらえたみたいで安心できますね。

「できない生徒」は、「みんなの迷惑になるし、いつやめようか」と毎回、足取りが重くなるものなんです。
実は 「できる」生徒さんたちは、そんなに負担に思っていない場合が多いのですが(あまり差がある場合は別ですが)…。

だから、クラスのみなさんとの一体感ってとても重要なんだ、と思いました。
学力面での「引け目」って、思いのほか参加意識に大きく左右するんですね。

恥ずかしながら、私は今まで、ハングルで「できない生徒」側になったことがなかったので、気が付きませんでした。
これも実際に自分が体験してみて よくわかるようになりました。

もう1つ発見したこと。
先生から、たとえば
「チンジー。京劇ですね。チンジーは(ここから中国語で)地方によって種類があります」
と、 難しい単語はその場で板書するか、日本語で言ってくださると、助かりますね。文脈があるので、すぐに覚えられるし。

私の場合は
「文脈から推測することもテクニック(ストラテジーなどという難しい言葉は使わず)の1つなんです。わからなくてもそのまま我慢して聞いてみてください」
って、授業では厳しく言ってましたけど、実は生徒さんたちに過度にストレスを与えていたのではないかな~ と反省しました。

もちろん、これらの話はすべて「人による」と思います。が、生徒さんの今までの声を思い出してみると、私に近い体験をされていたのだと反省しきり。
何をいまさら、と笑止千万な方もいらっしゃると思いますが、これが今まで私がまったく気が付かなかった「できない生徒の気持ち」です。

そして、できないながらも、新しい言葉を覚えていくのが「こんなに楽しい」って感覚も、よおくわかるようになりました!

ところで、みなさんは、授業中に日本語は使っていますか?
まったく使わない、という方もいるでしょう。
どのように使うのが効果的なのか、いろいろなご意見をきかせていただければ幸いです。