【週刊ハンガンネット通信】第128号 (2014年11月10日発行)
松﨑真日
先日,韓国に出張に行ってきました。
出張中の11月1日(土)にはソウル大で学会が開かれていたので足を運んでみました。
私にとっては16年前,1年間韓国語を学んだ思い出の場所でもあります。
そんなソウル大を久しぶりに訪ねたのですが,紅葉がとても美しく目を奪われました。
私が現在暮らす福岡は温かい土地ゆえ,11月も中盤にさしかかろうという今日も緑の木々が多く見られますが,韓国は秋がすっかり深まり,冬の足音がもう間近に迫っているようでした。
桜やもみじの葉は真っ赤に燃え,イチョウの葉はこれ以上ないというほど鮮やかな黄色に染まっていました。そうだった韓国は秋こそが美しいのだと思い出しました。ついでに,私が勉強した韓国語の教科書では秋の内蔵山の話が書かかれていたことも思い出しました。
韓国に暮らしていたころ,毎年銀杏の葉の上を歩いたものでした。大学路のマロニエ公園にはイチョウの大木があり,その銀杏から落ちた大量の葉はまるで絨毯のようにフカフカに積もっていました。
勤務していた大邱大学ではキャンパスのなかにドングリの木がたくさんあり,この時期散歩をしていると,どんぐりが上から落ちてきて,足元ではどんぐりを集めているのでしょうか,リスが走り回っていました。いろんな秋の思い出が頭をめぐります。
さて,最初に述べた学会では,多文化学生への韓国語教育について議論がかわされていました。韓国では,両親のどちらかあるいは両方が韓国語母語話者ではない子どもが急速に増加しているそうです。現在義務教育年齢の子どもたちの中では既に3万人以上,3年後には6万人以上になるそうです。将来的にはさらに増えるだろうとのことでした。
ところが現在の教育システムは,いわゆる典型的な韓国の子ども,つまり両親とも典型的な韓国人であり子どもは韓国語について習得が十分に進んでいることを前提に全教科の授業が進められています。他方,現実を見れば韓国語能力が充分でないために授業についていけない多文化の子どもたちが多く存在しているわけです。教育問題でもあり,社会問題でもある,そんなテーマでありました。
政府はこの状況をこれ以上放置しない,そして今後は韓国語能力の問題によって学業不振になる子どもを出さない,つまりゼロにするという目標を掲げているそうです。両親とも韓国人という,いわゆる典型的韓国人ではないけれども,ともに同じ社会に生きる子どもであり,これからもこの社会でともに暮らす人びとなのであり,他の文化を持っているという社会の多様性という意味において重要な存在であるこれらの子どもたちが,韓国語能力を高め十分な学力がつくよう配慮する方針だとのことでした。
現在は全国の研究校でさまざまな試みが行われているようでしたが,上記の方針は末端の学校ではかならずしも共有されていないという実態もあるようでした。
理想と現実というのは,とりわけ教育の現場では一致しないことが多いとは思いますが,その方針には共感したところです。文化は違っていても同じ社会にともに暮らす人であるという価値観を大切にしたいと思いました。
冠岳山の美しい秋の風景を見ながら,教育や社会について考える一日でありました。