【週刊ハンガンネット通信】第143号 (2015年3月30日発行)

「服が小さくなる、首が痛い」

伊藤耕一

ある教室で、”形容詞+아/어 지다” の学習をした後、練習問題をやってもらいました。

こんな例文を韓国語に訳す問題がありました。

日:服が小さくなってしまいました。
韓:옷이 작아 져 버렸습니다.

「よくできました。」と言った後、思わずこんなことを口走ってしまいました。
「でも、実際には服が小さくなったのではなくて、自分が大きくなったんですよね。」

日本語と韓国語は、ある事象に対して似たような発想の表現を使うことがありますが、このような例では全く同じ発想の表現を使います。

英語では、”My son grew out of the jacket.” などと表現するそうです。
但し書きにはこんな言葉が。
「自分が太って着られなくなった時には使えません。」

また、先日、私の6歳の息子が朝食の時にこんなことを言いました。
「首が痛い!」
母親が「首をグルグル回してごらん。」と言うと、息子はグルグル首を回しました。
「首が痛いの?」と首の裏側(後頭部の下)を触ると、「痛くない。」と言います。

「痛くないのなら早くごはんを食べなさい。」と言われて、ご飯を飲み込むと、また「首が痛い!」と言うのです。
「のどが痛いの?」と聞くと、「そう。」と言い、風邪っぽいことが分かりました。(小児科の医師はこういう言葉から症状を正しく診断しなければならないので、大変そうです。)

「首が痛い」を韓国語に直訳すると「목이 아프다」となりますが、まさに「のどが痛い」という意味になります。
息子の発想は、日本語的には少しずれていたのですが、韓国語的には的確であったことに気が付きました。

私が言語に興味を持ったのは、同じ「青色」を見たと時に、日本人は「あお」、イングランドの人々は “blue” と、全く異なる音で表現したという話を聞いた時です。中学生の時でした。
日本人と韓国人は「服が小さくなる」のは全く同じ表現を考えましたが、「のどが痛い」は少し異なる表現をそれぞれに考えたことになります。

日本語的には「のどが痛い」が正しいのですが、「首が痛い」という発想も間違いとは言えないので、この発想が消えないように大人になってもらいたいと思いつつも、学校で勉強を始めるときっと、この発想が消えてしまうのだろうなと思うと少し寂しい気持ちにもなります。

「服が小さくなる」というのは、言葉どおりの意味と実際の現象がずれているのですが、そのような日本語をほかにも探してみました。

「首になる」 昔の日本の斬首の習慣が言葉として残っているものだと思います。목이 되는 것은 어렵겠지요!

「ひざに座る」 子供が「おひざに座りたい」と言ってきますが、実際に座るのは太ももの上。なぜ、「ひざ」と表現するのでしょうか?

「家に上がる」 屋根の上に上がるのでなく、家の中に入ることですね。

「地下鉄の入り口」 不思議なことに地下鉄車両の入り口でなく、地下鉄駅の入り口のことです。

「電車の駅」これは 「鉄道の駅」の方が本来的であるように感じるのは私だけでしょうか? 英語だと “rail way station” などと言います。「時計台」 どう見ても「時計塔」の方がふさわしいように思います。
このような表現や単語を外国語に訳す時に不思議な言葉が生み出されるのですが、初級を終えて辞書を引けるようになると、韓国語を書くのが面白くて仕方がないようで、例えば「首」と「なる」を引いて “회사 목이 될지도 모르겠어요.” と書いて、「会社、首になるかも知れません。」と表現しようとします。
このような表現が出るたびに、韓国語の感覚を少しずつ解説しながら、日本語との感覚の違いを教える時が、私の中では至福の時間です。