【週刊ハンガンネット通信】第157号 (2015年8月03日発行)
授業の「型」がもたらす安心感
松﨑 真日
教師には授業の「型」というものがあるかと思います。「型」といえば,クッキーを焼いたりするときに使うこともあるでしょうし,工場などでは金型で同じ形の部品を大量に効率的に生産したりもします。「型」を使うと,いつでも同じものを安定的に生み出すことができるようです。授業において「型」は,いつでも安定的に一定レベルの授業を行うのに役に立ちます。何度も繰り返した授業であっても,その日その日で教員も学生も教室も天気も違いますし,そしてそれらが複雑に組み合わさるので,何度繰り返しても毎回同じようには行かないのが授業ではないでしょうか。
私の授業で「型」といえば,まず毎回儀式のように挨拶をして名前を呼び出席確認をすることがあげられます。私はどの科目でも同じようにやっています。この儀式は私が教室でスムーズに授業に入っていくためという面もありますが,同時に学生にとっても授業に入っていくための儀式のようなものになっているように思います。クッキーづくりで例えると,なにとはともあれ泡だて器やボールなどのとりあえずの道具を揃えるような感じです。ただ他方で「型」という言葉からは,「型にはまった授業」というように退屈で硬直した授業をイメージすることもあります。今回は「型」と学習者主体について思いつくことを書いてみたいと思います。
私の授業では,儀式が終わると授業の内容へと移っていくわけですが,少人数クラスの場合は学生個々人にもそれなりに目配りが可能になりますので,学生のニーズや実力に応じた授業を行おうという意欲が特に湧いてきます。
あるクラスのことです。受講生は19名いました。3年生と4年生がおよそ半分ずつ,また1年以上の韓国留学経験がある学生が4名含まれるクラスでした。いろんな学生が混ざったクラスといえます。受講生は大学にしては比較的少人数です。そこでこのクラスでは韓国語のエッセイを書くことにしました。グループでアドバイスをしながらエッセイを書いていくのですが,エッセイ執筆の工程については教員が「型」を示し,その工程に沿って書き進めて行くことにしました。教員が示した「型」は「アイディア出し」→「あらすじ作成」→「下書き」→「修正」→「校正」というオーソドックスな作文教育法に沿ったものです。それなりのクッキー(成果物)を作るために,基本的な作り方のルールは示したという感じです。クッキーを作るはずがホットケーキになっては困るので,クッキーの大まかな作り方に沿ってもらおうということです。
ただ,どんな味にするか(テーマ設定),どんな形にするか(長さ)といった部分は学生に任せることにしました。味はチョコレートでも紅茶味でもよいですし,サイズも一口サイズでも大きな食べごたえのあるサイズでも構いません。クッキーになっていればよいので味や大きさは学生の個性を発揮してもらうことにしました。教師は工程管理と時々質問を投げかけるぐらいにとどめ,調理実習中の疑問には学生に考えてもらうべくグループ活動を取り入れました。
ただ,作文についての話し合いを100%学生に任せてしまっては教師がすることが無くなってしまいます。そこで実習と平行して『ライティングワークショップ』(ラルフ・フレッチャー,ジョアン・ポータルビ著,新評論)を学生とともに読み進めました。学生からすると,作文を書くだけでなく作文を書く方法をも勉強することになり少々大変だったかもしれません。ともかく作文の書き方と教え方を学びながら作文を書き,また作文について議論するという方法で授業を進めました。クッキーの焼き方について学びながら,学生中心で調理実習も行った感じです。
さてこうして焼きあがったクッキーですが,どれも個性的で,しかも味わい深いすばらしいクッキーになりました。授業を振り返ってみると工程としての「型」が教師に安心感をもたらしていたように思います。途中ハラハラする場面も無くはなかったのですが,工程が確実なので最後にはなんとか形になるだろうという見通しがありました。その安心感があったおかげで見守って行けたように思います。学生も作りながら味や大きさを食べやすいものに修正していきます。その修正の試行錯誤こそが作文教育では重要な部分になるのだと思います。学習者主体の授業を行う際,ざっくりとした「型」があると,安心して学生に任せられると感じています。