【週刊ハンガンネット通信】第237号 (2017年7月17日発行)
私の韓国語講師・奮闘記14:講師のあり方(2)
宮本千恵美
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毎日茹だる様な暑さの中、皆様どうお過ごしでしょうか?
九州地方は壊滅的な被害を受けています・・・胸が痛くなる映像になんとも言えない気持ちになります。
この時期になると、台風やそれに伴う災害の恐れや、熱中症など体調不良などもありますので、皆様ご自愛下さい。
講師を離れてからも、私自身が韓国人ではない=韓国語が母国語ではないので、維持のために映画やドラマを鑑賞したり、SNSの日韓のコミュニティールームで交流したりしています。
最近、その中でも韓国語講師をしてます!と書かれている記事を目にします。
日本の方で韓国で活動されているとか、メディアにも取り上げられている、とにかくいろいろな活動をしていると。
同じ講師として興味があり、たまに流れてくる記事を読んでおりました。
私的に講師として大切なのは、真摯たる態度だと思っています。
派手に飾り立てることや過大に宣伝するよりも、教える内容のほうがもっと大切なのではと思うのです。
勿論、その講師の方も一生懸命なのかもしれませんが、私でも分かる位の文法の間違いや、その記事を見る韓国の人たちにさえ、
文法のミスや何を言いたいのか分からないと指摘されているなどを見ると、正直韓国語をもっときちんと学ぶべきなのでは?と思ってしまいます。
それは私がまだ講師を始めたときと同じで、自分も学習者だったから教えられるだろうと思ったのかもしれません。
また間違った韓国語を話していても、韓国でそれを指摘されてなかったら、それで大丈夫と思ってしまうのかもしれません。
私たちが外国の人たちが話す日本語が多少おかしいと思っても指摘しないように、これくらいのミスはあって当然と思ったり、相手に頼まれない限りいちいち直してあげようとは思わないはずです。
でもそれが仕事となればそう思っては駄目なはずで、韓国語をもっと多くの人に教えてあげたいと思うならば、真摯たる態度で自身がその言葉をもっと勉強すべきだと思うのです。
以前に発音のことで意義を呈したことがありますが、こればかりはやはり個人差がとも思ってしまいます。
また慶熙大学では上級まで学んだときに先生に、上級の文法になると教師の主観が入ってくるので、教え方も変わってくると言われたことがあります。
そのような意見の相違に関しては私自身の考え方や教え方と違ったとしても、1つの意見として受け止めたり飲み込めたりできるのですが、初歩的なミスは講師としてはどうなのか・・・?と・・・
またこれはよくお目にかかったことなのですが、スペルを間違って書く韓国人講師もたくさんいました。
日本人の生徒さんたちは優しいのか言えないのか、スペルミスを見つけても言わないし、言わないから相手の講師も分からない。
先生を傷つけるからと言いますが、それは違うと思います・・・でも日本人・・・間違っているとわかっていても言えないですよね。
私は自分の先生から、英語の単語をハングル表記するときは自分の思ったままに書いては駄目だと指摘され、注意をされる前からそれは実践していました。それが講師としての責任だと思っていたからです。
生徒からしてみればそれは当たり前のことだと思いますし、もし間違ったりしてもきちんと間違いを改める姿勢も必要だと思います。
また私のように日本人でありながら外国語講師をしていると、生徒の疑問すべてに対応できないときがあります(特に文化に対する質問など)。
「語学を学ぶということは、その国の文化を教えることだ」
この言葉を聴いたときにまさにそのとおりだと思いました。
なのでどうしても答えられないときは適当には答えず、生徒たちには必ず次回までに調べてきます!と返答します。
それがその言語に対する責任だと思っています。
以前に通訳案内士法の改正の記事を見たときも今回と似たような感情になりました。
画気的だと感じましたし、多くの人が挑戦しやすくなるとは思いましたが、あまりにも何でもかんでも承認してしまうことに懸念を感じてしまいます。
ただ規制をかけることなどが難しい問題だとも思っています。
簡単に自分の納得する答えが見つかる訳ではないのですが、何か改善できる方法とかないかと常に頭を回転させている毎日です。