通信244 評価について 寄田晴代

【週刊ハンガンネット通信】第244号 (2017年9月14日発行)

評価について

寄田晴代

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楽しい夏休みも終わり、新学期の始まりと共に、私の職場では先日定期試験がありました。

返されたテストを見て一喜一憂する経験は、誰しも持っているのではないでしょうか。
そこで、今回は「評価」について書いてみます。
まず、評価の元になる試験ですが、作成する段階から、毎回悩みます。
その人の実力が鮮やかに反映されて、なおかつ採点が簡単な試験が作りたいのですが、なかなかうまくいきません。
韓国語に限った話ではありませんが、そもそも試験とは、学習したことがどれくらい理解できたか、定着したかを確認するという役割が大きいでしょう。
学習者自らが 、自分の足りない部分に気づき、これからより良くなるために作戦を立てる材料となるものになってほしい。
そう思って試験を作っているのですが、点数さえわかれば、試験問題の解説には関心のない学生がいるときは残念な気持ちになります。
また、試験をすることによって、教える側にも大きな気づきがあります。
伝えたつもりが、きちんと伝わっていなかった。違う解釈をされていた。説明も練習もしたはずなのに定着率が悪かった。
それらの結果を「学生の不勉強」の一言で済ませるのは簡単ですが、教える私も、これを元に次の作戦を立てなければなりません。
学期ごとの評価は、私は、定期試験の点数と平常点(小テスト・出席・提出物・授業参加)を 合わせて判断します。
市民講座などでは、学習者に対して試験や評価がないところもあるかもしれません。
学習者にも教える側にも気づきを与えてくれる「試験」は、学習を活性化させるものだと思うのですが、「試験」と聞くだけで嫌になり、韓国語学習が楽しくなくなる人もいるでしょう。
ゲームのように楽しみながら、学習到達度が測れる方法があればいいですね。ご存知の方、教えてください。
「評価は学習者を支援するものでなければならない」と目白大学の中川先生(ちょうど9月17日の朝鮮語教育学会例会で発表されますね)が発表でおっしゃった言葉に、なるほど、と思いました。(何の発表だったか覚えていません。すみません)
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