【週刊ハンガンネット通信】第251号 (2017年11月20日発行)
「聞き取る」ということ
寄田晴代
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先日、娘から面白い話を聞きました。
娘のアルバイト先に、鹿児島出身の年配のパートのおばさん(Aさん)がいるのですが、一緒に会話をするものの、実は何をおっしゃっているのか、よく聞き取れないというのです。そして、中国人のパート従業員さん(Bさん)の日本語も聞き取れないことが多い。
ところが、Aさんと Bさん二人が会話しているのを見ていると、いつもとても話が弾んでいるようなので、とても不思議だと言うのです。
一体、なぜ二人は言葉が通じるのか? 推測してみるに、思いついたことは次の3点。
1.実は互いに聞き取れない部分も多いが、適当に合わせて会話自体を楽しもうとしている。
2.付き合いが長いので、相手の言葉に慣れているから聞き取れる。
3.互いに親しみを感じているため、相手の言葉を理解したい気持ちがなせるワザ。
(他にも理由を思いついた方、お知らせください!)
外国語を聞き取れるようになるには、たくさん聞いて耳を慣れさせることは必須でしょう。
しかし、いくらたくさん聞いても、語彙力や文法の知識が乏しければ、聴解力を伸ばすには限界があることは言うまでもありません。
ただ、たくさん聞くことによって、外国語を聞くことに慣れ、外国語を聞く負担感が減り、学習が進むという効果もあるでしょう。
冒頭のAさんBさんの話をきっかけに、自分の韓国語リスニング力獲得過程を思い出し、「聞き取る」ことについて考えました。
私は大学院生の時に韓国に留学したのですが、留学する時、リスニングにはたいして不安がありませんでした。
大学の4年間、毎年2か月ほど韓国に滞在しながら、あまり不便なく過ごし、韓国人の友達ともコミュニケーションが取れ、大学院の授業が韓国語だけで行われるときも困ったことがなかったからです。
ところが、留学して授業にでてみると、先生の講義はわかる。でも、話の合間に出て来るジョークが聞き取れない。みんななんで笑ってるの?と、悔しい思いをしました。
また、私は楽器や舞踊など、韓国伝統芸能の勉強もしていたのですが、地方から出て来た弟子仲間の言葉が聞き取れない。多少方言があるせいもあったのですが、原因はどうもそれだけではないようなのです。
結局、そのとき私が悟ったのは、今まで自分が韓国語を聞き取れたのは、外国人の私が聞き取りやすいように、みんなが配慮してくれていただけなのだ、ということでした。弟子仲間の大半は、ひたすら伝統芸能の修行に励み、高校卒業と共にソウルにやって来た人たちで、たぶん外国語の学習に没頭した経験もなく、外国人と接する機会もなかったでしょう。ゆえに、わかりやすく話す発想がなかったと思われます。
十分韓国語が聞き取れると思っていた頃の私は、聞き取れる言葉だけをキャッチして、聞き取れない言葉はみんな取りこぼしていたのでしょう。そして、取りこぼしていることにさえ気づいていなかったのだと思います。
知っている語彙が増え、耳が開いてくる(?)につれ、意味はわからないけれど、単語単位で音を捕まえられるようになってきました。捕まえた音を辞書で調べることができるようになりました。捕まえた音を文字化して辞書で調べるには、音変化の知識が欠かせません。
このように、学生たちにも将来的には一人で学習を進められることを願って、自分の経験を語ったりするのですが、聞き取ってくれているのかはわかりません。
余談ですが、金髪で青い目の西洋人のママ友に「初めましてナカムラです」と流暢な日本語で挨拶されたとき、聞き取れませんでした。
予想もしていないことを言われると、上手な日本語でも聞き取れないものなのだなあ、と思いました。