通信280 「話す力」求め一直線: 英語教育から考える 寄田晴代

【週刊ハンガンネット通信】第280号 (2018年8月18日発行)

「話す力」求め一直線: 英語教育から考える

寄田晴代

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学校の夏休みも後半になりました。我が家では、夏休みの宿題に焦りを見せ始めている人がいます。

うちの子どもと同じクラスに、韓国人の友達がいます。その友達が夏休みに韓国に研修に行くと聞き、てっきり韓国語に磨きをかけるためかと思っていたら、英語のTOEFLの集中講座を受けるというのです。午前9時から午後4時まで、日曜日以外毎日授業があるそうです。

そのお母さんによると、韓国の学生は普通4週間コースだけれど、うちは日本から行くから日程が合わなくて2週間、なのだそうです。ちなみに、中学生の話です。

夏休みのTOEFL集中講座には海外在住の韓国人子弟たちが、あちこちの国からソウルへやって来るというのにも驚きました。アメリカに住んでいる子どもも来るそうで、やはり生活で外国語を使えるということと、試験で得点を取るということは別なのでしょうか。

夏休みの計画といえば、家族で遊びに行くことしか考えたことのない私は、韓国人の教育熱心さに改めて感心させられました。

英語と言えば日本では2020年度からの大学入試改革で英語の民間試験を活用するなど、英語教育が大きく変わろうとしています。

英語教育改革、まず検証を

今年6月4日の日経新聞で、立教大学の鳥飼玖美子名誉教授が書いた「英語教育改革 まず検証を」という記事を読みました。韓国語教育にも通じるところがあると思い、紹介させていただきます。

記事では「英語を話せるようになりたい」という長年に渡る日本人の願いを背景に、1986年臨時教育審議会第2次答申が、中学高校では「文法知識の習得と読解力の養成に重点が置かれすぎている」と糾弾し、それを受けての教育改革の流れを紹介しています。

高校に「オーラルコミュニケーション」という教科の新設、小学校での「外国語(英語)活動」必修化、高校での英語授業は「英語で行うことを基本とする」という指示など、みなさんもご存知だと思います。

「コミュニケーションに使える英語」を目指して30年近く改革は続けられてきましたが、政府による達成目標(中3英検3級以上、高3英検準2級以上、それぞれの割合50%以上)には達しておらず「生徒の英語力はむしろ下がった感がある」「現実に多くの大学では、英語を話すどころか読めない、書けない入学生の対応に追われている」と筆者は述べています。

そして、これまでの英語教育の改革を検証し、改革の方向は適切であるのか、思い込みを捨てて議論すべき時が来ている、と結んでいます。

これは中学高校での話なので、やる気満々の市民講座受講生の場合と同じには考えられません。しかし、なかなか思うように韓国語が話せない、と思っている受講生は少なくないでしょう。

具体的に話す場面や内容を思い浮かべる

漠然と「話せるようになりたいなあ~」と夢見るのではなく、この外国語でこんな話がしたい、と具体的に話す場面や内容を思い浮かべてみてはどうでしょう。話す力は、発信したい意欲に負うところが大きいと思うからです。

中高生も、質問したり意見を言う習慣と、安心して発言できる場があれば、外国語を話す力の助けになるのでは、とも思いました。また、記事の中で「読み書きの基礎力があれば、大学入学後に話すことの指導は可能である」と述べられているのですが、この基礎力なしに話す力は伸びないことは、講師のみなさんも共感できるのではないでしょうか。

そういうことも、学習者にうまく伝えられると学習効果が上がるのでしょうね。何かの思い込みが私たちの学習を邪魔していないか、考えるきっかけになりました。

2 thoughts on “通信280 「話す力」求め一直線: 英語教育から考える 寄田晴代

  1. 「話す力」は単なる技術的な会話力ではなく、個々人の話す力であり、それを相手に伝える能力だと思います。文科省の推進する英語教育の半世紀に及ぶ「改革」がうまくいかないのはなぜか。会話能力の重視をいい、それがうまくいかないとコミュニケーション能力の重要性をいう。僕は専門家ではありませんが、そのときどきの英語教育界の流行を後追いしながら、それが技術的な側面に終始していることに気づいていないように思います。一人ひとりが自分のやり方をさがしてはいかがでしょうか。

  2. 「自分のやり方」について僕の経験的な手法を述べます。さまざまなやり方があるでしょうが、文科省のガイドラインや学校教育だけに頼っていてはだめだと思います。経験的に言うと、自分なりのやり方を発見し、ある程度それに沿ってやってみる。ただし、自我流は欠点が多いので、欠点に気づいたら、それを補完する方法を取り入れる。運よく気に入った教育者と遭遇したら、ある程度付いてみる。いい加減に聞こえるかもしれませんが、そういう作業を何年か続けると、かなりできようになる。もう一つ大事なことは、決して外国語を流暢に話そうと考えないことではないか。自分なりにいい加減にやるけれども、自分で話したいことを話し、聞きたいことを聞けるようになるまでやる、読みたいものを読み、書きたいことを書く。訥々とした話し方でいい、スペルミスも付きもの、と考える。そんなやり方もあるのではないでしょうかね。

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