【週刊ハンガンネット通信】第308号(2019年12月26日発行)
「通じたらうれしい」
寄田晴代
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先日、久しぶりに英語を使って話す機会がありました。
日本にいる息子を訪ねて来たドイツ人とでした。
私の英語というのは、時制だけは間違えたくない、とか、三人称単数の s は忘れたくない、とかいうレベルなので、
とにかく単語並べて笑顔とジェスチャーで乗り切ります。
そして、会話が成立したときは純粋に「通じた!」とうれしくなりました。
昔、韓国語を学び始めた頃の感動を思い出しました。
さて、韓国語会話のクラスで、たまに、全く話そうとしない受講生に出会うことがあります。
恥ずかしいのかもしれませんし、自信がないのかもしれません。その気持ちは想像できると思っています。
そういう気持ちの人を発話できるように誘導し「会話」が楽しいと思ってもらうのには、こちらも力量が問われます。
私は新学期、初めての授業時間には、受講生のことを知りたいのでアンケートを書いてもらうのですが、
学習の動機や目標には「旅行に行っても困らないくらい話せるようになりたい」「字幕なしでドラマがわかるようになりたい」など、
「話す」「聞く」力の獲得を希望する人が「読む」「書く」に比べて断然多いと感じています。
しかし、ガンガン韓国語で発言しようとする人とと、そうではない人がいます。
学習者の性格の違い、と言ってしまえばそれまでですがなんとかしたいではありませんか。
そういうことを、ドイツ人と会話(のようなもの)をするうちに思い出したのです。
そこで、なぜ自分ができもしない英語で恥ずかしげもなく発話できたのか、を振り返ってみると次のような要因が考えられました。
- 自分は初対面の人とコミュニケーションを取りたいと思う傾向がある。
- その場にいた人たち(日本語母語話者)も英語のレベルが似ていた(たぶん)。他の人がみんな英語の達人だったら恥ずかしくて話せなかったかも。
- その場にいた人たちが親しい人たちだった。安心感。
- ネイティブレベルに英語を使うのだろうけれど、ドイツ人だから私と同じ非英語母語話者だと勝手に考えて負担感が減った。
- 相手が私の変な英語にも聞こうとする態度を示してくれた。
- ラジオ講座などで、英語を耳にする機会があった。
この中でも 3.の影響は大きく、教材研究と同じくらい授業の雰囲気作りに心配る必要があると思っています。
6.に関して言えば、真面目に英語を学習しているわけではなく、講師の説明の仕方が面白いので、通勤ラッシュの苦痛緩和も兼ねて聞くようにしているだけです。(難しい用語を使わず、聞くだけでわかるように発音方法や文法のエッセンスを説明してくれるので、どの講座も面白い)
聞いているだけですが、触れる機会が多いだけで「恐怖を軽減してくれる」と感じました。だから、韓国語を学習しながら、上達しない、話せない、と思っている学習者でも、こつこつと触れ続けることの力は大きいと再確認しました。
そして、ドイツ人との会話の後「もう少し真面目に勉強したら私はひょっとしてすごく上手になるのではないか」と妄想する自分に気づきました。
ささやかな経験がやる気につながる過程を久しぶりに体験したわけですが、いちいち分析したくなるのは職業病ですね。
新しい年も良い年になりますように!
「なぜ自分ができもしない英語で恥ずかしげもなく」と振り返り、「みんな英語の達人だったら恥ずかしくて話せなかったかも」「ドイツ人だから私と同じ非英語母語話者だと勝手に考えて負担感が減った」「相手が私の変な英語にも聞こうとする態度を示してくれた」と、いくつか要因をあげていますね。大半は中学校の英語授業で植え付けられた外国語(英語)に対する意識の壁です。日本では、ある程度英語ができるのに「できない」と思い込んでいる人が多いようですが、この壁を突き崩すのがむずかしい。その意識さえ崩せば、ある程度はできるはずなのですがね。学校英語の壁を崩す必要がありますが、小学校に英語授業が導入されたことで、事態が改善されるとは考えられません。
英語学習についてもうひとつ付言します。本来的には、韓国語はできるけど英語はできないということはない、と思うのです。逆に、韓国語がある程度できれば英語もある程度はできるようになる、ということです。この点は、韓国語の講師の方から意識改革していただく必要があると思いますが。先生方に向かって失礼な言い方になりますが、お許しください。