通信326 「私の韓国語講師・奮闘記26 「“超”はチョー便利な言葉」」 宮本千恵美

【週刊ハンガンネット通信】第326号 (2020年7月13日発行)

私の韓国語講師・奮闘記26「“超”はチョー便利な言葉」
宮本千恵美
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中学生の時の話です。
国語の先生からいただいたハガキを嬉しく受け取った時の事、両親は
「この先生、本当に達筆だ!」
と感心していました。
私はその先生をとても尊敬していたので、ハガキをいただけるだけでも嬉しかったのですが、残念なことが1つありました。
それは達筆すぎて中学生の私には読めなかったことです。
すごい書だと言われる習字の文字が読めない、その時と同じように先生も文字は達筆すぎる故に書をたしなんでいない人にとっては難解な文字になっていました。

生徒が韓国のドラマや映画のタイトルが読めないと話してくることがあります。
韓国の習字文字で、韓国語を学び始めた人にとっては私が冒頭に書いたように難解な文字に見えるのでしょう。
漢字に比べればハングルに慣れると読めるようにはなりますが、その文字でもなんでも学ぶ側は何と書いてあるのか気になってしょうがないのです。

学生のころ、もう1つとても不思議に思っていたことがあります。
それは国語辞典に関してですが、どうしてわからない言葉を調べているのにこんなに難しく解説するのだろうか、と言う疑問を常に持っていました。
だから調べた後もなんとなく理解できているようで、なんとなくで納得させている感じで終わらせていました。
当時は比較できるほどたくさんの辞書を見る機会もなく、こんなものかなと適当に流していたように思います。

現在、自分自身が韓国語を教える立場になり、資料を作ったりこのように記事を書く際も言葉選びに非常に神経を使うようになりました。
どんなふうに書けば分かりやすいだろうか、どんな言葉が適しているのだろうか、どんな言葉を使えば格好いいだろうか、専門的に見えるだろうか?
普段使っている方言は勿論の事、丁寧な文章を心掛け、先生らしい綺麗な言葉で、とちょっと背伸びしています。

そんな中、授業中に昔感じたような疑問がふつふつと蘇ったことがありました。
初級1~2に移行するくらいのレベルの教室でのことです。
まだすべてを韓国語で説明するには不十分で、日本語の解説も必要なクラスです。
似ている単語が出る頻度も増え、その違いの説明も必要になってきました。

ある単語で私が疑問に思う単語が出てきました。
「아마도」という言葉、生徒たちも「아마」とは何が違うのかと勿論の事質問してきます。
辞書では「아마」の強勢語だとの解説、でも多分の強勢って?
日本語で訳すと、「多分、恐らく、大方」ならば、それを強く言うってどういうこと?
私自身がなんとも曖昧な気分の中で生徒たちに十分な説明もしづらく、辞書の言葉をそのまま引用しても十分な説明ができずにいました。(日韓の辞書はまだ理解しずらい解説が多いような気がします。)

そんな時生徒の一人が、
「超多分ってことですか?」
という一言に、私はハッとしました。
『・・・! 分かりやすい!(心の声)』
思わず、納得していました。

他のクラスでもこの説明をした瞬間、一瞬で理解していました。
「超・チョー」は日本では1990年代の流行語として、今でもその言葉を強調する時に一緒に使われ定着してきました。
きれいな言葉かと聞かれれば正直きれいとは言い切れませんが、説明する時にどんな言葉よりも入ってきやすいです。
私も知らず知らずによく使いますし、ことば1つで理解できる言葉になっています。

また最近では「チンチャ、それな」のような日本語と韓国語を融合した流行語があるそうで、以前はそれが英語だったと思えば、近年韓国語が若い世代に普通に浸透していることに驚きを隠せません。
ただ「チンチャ、それな」は既に古いそうで、生徒は「チンチャ、クレ(진짜 그래)」をよく使い、自分なりの言い方を模索しています。
若い人たちの感性や突発力には脱帽で、とても勉強になります。
またその気持ちが語学学習の意欲にも繋がっているのだと思います。
生徒たちの自由な発想に便乗し、私も授業でも有難く使わせてもらっています。

最近では日本の国語辞典も、解説を分かりやすく表記するように改定されてきているとニュースで聞いたことがあります。
そのニュースを見ながら、当時私が疑問に思っていた難解な辞書解説の問題も、私だけが疑問に思っていたのではなく多くの人が使いづらかったのかもしれないと思いました。

以前は美しい日本語、美しい文字で、きれいな表現でという世間一般の当たり前の常識的思考も少しずつ変化しているのかと思いました。
確かにきれいな文字には憧れますが、読めること、誰にでも理解できることのほうが大切なのではないかと思うのです。
そしていつのまにか先生としてと言うガチガチな思考に陥っていた私自身にも、柔軟性が必要だなとしみじみ感じました。

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