通信357「文化の変遷」伊藤耕一

【週刊ハンガンネット通信】第357号 (2021年7月10日発行)
文化の変遷
伊藤耕一
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きのこの山を食べながら、そのイラストを見て、ふと感じたことを書いてみたいと思います。
きのこの山のパッケージには「たぬき」と「うさぎ」の絵が描かれています。
これは、皆様ご存じのとおり「カチカチ山」がモチーフになっています。
物語では、うさぎがたぬきを懲らしめるのですが、お菓子のパッケージなので、楽しくなるような絵が描いてあるのはご愛嬌というところでしょうか。

そんなことを考えているうちに、ふと「鬼」と「도깨비」のことに思いが至りました。
学生の頃にこんな話を聞いたことがあります。
도깨비を韓国人にイメージしてもらうと、ツノがあって、棍棒を持って、虎柄の腰巻があって、と日本の鬼と同じようなイメージを持つ人が多いが、これは日帝時代に日本人が韓国に持ち込んだ鬼の姿が定着してしまったものだと。
それでは、もともとの도깨비はどんなものだったのかというと、韓国在住日本人のブログにこのような表現がありました。
・人の姿をしているけれども神でも人間でもない
・もともとは物だったのものが年月を経てトッケビになる(ママ)
・プライドが高い
・人に悪さをするというよりも、人と交流することを好む
・赤色(小豆や血など)を嫌う
・シルム(韓国式の相撲)が好きで人に挑戦することもよくある
・足が一本しかないトッケビもいる
・韓服を着て傘をかぶっているトッケビもいる
・美女に化けて若者を誘ったりする

原文のまま引用してみましたが、このような感じでしょうか。

また、日本語の語源に関してこのような話があります。
「くだらない」は「百済ない」が語源で、百済から来たもの以外は「くだらない」と当時の日本人が感じてこのような単語が定着したのだと。
韓国の三国時代に日本は百済と友好関係があって、白村江の戦いでは日本は百済を助けて戦ったものの敗れ、その後、多くの百済人が日本にやってきて、その後の日本の文化に渡来人の文化が大きな影響を与えたと学んだ記憶があります。

文化というものは、あるきっかけでやって来て、影響を与えながらいつの間にか定着してしまう、興味深いものだということを改めて思いました。

さて、童話の話に戻りますが、最近の日本では昔と今で物語の結末が異なるものがあるようです。

例えば「さるかに合戦」。
私の記憶では、サルが投げた柿がカニに当たってカニは死んでしまうはずですが、今は「カニが何とか一命をとりとめる」ことになっているとか。
カニの仇を取るために「臼と蜂と栗とうんこ」の4人がサルを懲らしめるはずが、「うんこは汚い」というクレームから「臼と蜂と栗」の3人に減ってしまったとか。
さらに、懲らしめられたサルは逃げていくはずが、「サルはカニの家族に謝罪し、仲良く柿を食べて終わる!」という、にわかに信じられないような結末になっているようです。

ここまで来ると、良いのか悪いのか分からなくなってしまいますが、かくも文化とは激しく変遷するものであることを実感しました。

このような発見をもたらしてくれた、きのこの山に感謝しつつ、美味しくいただきました。

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