ハンガンネット通信第387号の、ぺ・ジョンリョルさんの投稿を大変感慨深く読ませていただきました。2002年の『韓国語ジャーナル』(以下KJ)創刊は、私にとっても忘れられない出来事です。
当時、「韓国関係で起業したい」と思い、「韓国」と名の付く集まりなどには片っ端から参加し、「韓国」と名の付く仕事をしている人に片っ端から(というと、節操ない感じですが)お会いしてお話をさせていただいていたとき、永福町のアルク本社一階でぺさんとお会いしました。
ぺさんが第387号で語られていたような熱き思いを直接伺い、是非ご協力したいと申し出ました。そして、若い一人ぼっちの起業家を応援しようと思ってくれたのでしょう。KJ第2号で、アルクさんの通信教育『韓国語マラソン』の広告に出させてもらいました。
当時は韓国語スクールでなく、「日韓ビジネス交流の橋渡し」を看板に掲げ、コンサルタント業をしていましたが、その広告を見て問い合わせをしてくれた企業様はその後、大きな成果は得られなかったものの、「橋渡し業」時代最も深くお付き合いするクライアントさんになりました。
2003年後半、「やっぱり(当初からの夢だった)韓国語スクールにチャレンジしよう」と思い、2004年4月に「シゴトの韓国語」講座を開設。ちょうどその月にペ・ヨンジュンさんが初来日しました。
その後、「知っていたらできなかった」というような大変なことはたくさんありましたが、多くの先生方、スタッフたち、受講生の皆様に恵まれ、こうして当校が存在していることは本当にありがたいことだと思っています。
今回発売されたKJ 20周年号では、表紙裏に当校の広告を出しましたが、そんな思いがあり、共に歩んできた記念に、と出させていただきました。
起業のきっかけの一つ、「日本の人々に韓国をもっと身近に感じてほしい」という願いは、概ね叶ったような気がしています。
まだ達成できていないことはいろいろとありますので、引き続き、先生方、スタッフと共に、30周年目指して頑張って行こうと思っています。