通信365 「ピアノのセンスと言語のセンス」伊藤耕一

【週刊ハンガンネット通信】第365号 (2021年9月20日発行)
ピアノのセンスと言語のセンス
伊藤耕一
===============================================

私の土曜日の日課のひとつに「テレビ寺子屋」の視聴があります。
テレビ静岡制作の番組ですが、長野県では土曜日の5時半から放送されます。
頭がボーッとした朝の時間に、寺子屋講師のお話を聞くと、徐々に目が覚めてきます。

先日、ピアニストの樹原涼子さんの「センスの磨き方」というお話が放送されました。
音楽の世界の「センス」の話ですが、言語にも共通する部分があるなと興味深く聴きました。

この先生は子どもたちにピアノを教える時に、ピアノの音の減衰を聞かせるというのです。
ご存知のとおり、ピアノの鍵盤を叩いて音を出し、鍵盤から指を離さないようにしていると、徐々に音が小さくなってやがて消えていきます。
樹原さんはこの音がいつ消えるのかを子どもたちに聞かせて、消えたと思った時に手を挙げさせるそうです。
最初は音が消えきる前に手を挙げてしまう子供も、繰り返し聞かせると徐々に消えた瞬間に手を挙げることができるようになるとのこと。
これを樹原さんは「音楽教育で『センス』は、違いがわかることだと思っています。音の違いに『興味』を持つことがとても大切です。」とおっしゃっていました。
その後、複数の音を順番に「ド~ミ~ソ~」のように重ねて聞かせ、「~ド~ミ~ソ」の順に音が消えていくのを聞き分けられるようになった子供は、間違いなくピアノが上手になるとおっしゃっていました。
音楽ではこれが「センス」につながるそうです。
この基礎の「センス」が身についたら、「スタッカート(音と音を続けないで分離する演奏法)」や「レガート(音の切れ目を感じさせない演奏法)」などの技術を教えるのだそうです。

また、あることを言語化できる能力も「センス」を伸ばすのに必要とも話されていました。
「子どもたちはゲームやアニメのキャラクターの些細な違いも見逃さずに、名前や特徴の違いを認識しています。このとき質問をしてみるといいと思います。『言葉にすること』でセンスが伸びてきます。誰かに説明しようとすることで頭の中がどんどん整理されていくのです。まず興味を持つ、そして違いがわかって、それを言葉にしていく。すると良い循環が生まれてきます。音楽も勉強もスポーツも、どんなものでもこの循環に乗せてほしいと思います。」
この辺りは言葉の勉強そのものだと思いました。

先日の金英う先生の通信にもありった韓国人の「カ」と「ガ」の発音の傾向や、日本人の「카」と「까」の発音の傾向を言語化して説明できるまで学習したり、それを教えたりすることができたら、より深い理解につながるように思いました。

言語における「センス」には「発音」「文法」「作文」「対話」などの分野があります。
それぞれの分野を極めるには、どのように「センス」を磨いて行けば良いか、永遠のテーマのようですが、樹原さんのお話を聞いて、これを追求してみたいと思うようになりました。

通信357「文化の変遷」伊藤耕一

【週刊ハンガンネット通信】第357号 (2021年7月10日発行)
文化の変遷
伊藤耕一
===============================================

きのこの山を食べながら、そのイラストを見て、ふと感じたことを書いてみたいと思います。
きのこの山のパッケージには「たぬき」と「うさぎ」の絵が描かれています。
これは、皆様ご存じのとおり「カチカチ山」がモチーフになっています。
物語では、うさぎがたぬきを懲らしめるのですが、お菓子のパッケージなので、楽しくなるような絵が描いてあるのはご愛嬌というところでしょうか。

そんなことを考えているうちに、ふと「鬼」と「도깨비」のことに思いが至りました。
学生の頃にこんな話を聞いたことがあります。
도깨비を韓国人にイメージしてもらうと、ツノがあって、棍棒を持って、虎柄の腰巻があって、と日本の鬼と同じようなイメージを持つ人が多いが、これは日帝時代に日本人が韓国に持ち込んだ鬼の姿が定着してしまったものだと。
それでは、もともとの도깨비はどんなものだったのかというと、韓国在住日本人のブログにこのような表現がありました。
・人の姿をしているけれども神でも人間でもない
・もともとは物だったのものが年月を経てトッケビになる(ママ)
・プライドが高い
・人に悪さをするというよりも、人と交流することを好む
・赤色(小豆や血など)を嫌う
・シルム(韓国式の相撲)が好きで人に挑戦することもよくある
・足が一本しかないトッケビもいる
・韓服を着て傘をかぶっているトッケビもいる
・美女に化けて若者を誘ったりする

原文のまま引用してみましたが、このような感じでしょうか。

また、日本語の語源に関してこのような話があります。
「くだらない」は「百済ない」が語源で、百済から来たもの以外は「くだらない」と当時の日本人が感じてこのような単語が定着したのだと。
韓国の三国時代に日本は百済と友好関係があって、白村江の戦いでは日本は百済を助けて戦ったものの敗れ、その後、多くの百済人が日本にやってきて、その後の日本の文化に渡来人の文化が大きな影響を与えたと学んだ記憶があります。

文化というものは、あるきっかけでやって来て、影響を与えながらいつの間にか定着してしまう、興味深いものだということを改めて思いました。

さて、童話の話に戻りますが、最近の日本では昔と今で物語の結末が異なるものがあるようです。

例えば「さるかに合戦」。
私の記憶では、サルが投げた柿がカニに当たってカニは死んでしまうはずですが、今は「カニが何とか一命をとりとめる」ことになっているとか。
カニの仇を取るために「臼と蜂と栗とうんこ」の4人がサルを懲らしめるはずが、「うんこは汚い」というクレームから「臼と蜂と栗」の3人に減ってしまったとか。
さらに、懲らしめられたサルは逃げていくはずが、「サルはカニの家族に謝罪し、仲良く柿を食べて終わる!」という、にわかに信じられないような結末になっているようです。

ここまで来ると、良いのか悪いのか分からなくなってしまいますが、かくも文化とは激しく変遷するものであることを実感しました。

このような発見をもたらしてくれた、きのこの山に感謝しつつ、美味しくいただきました。

IMG_7594

通信353 「言語学習者としての感想」 伊藤耕一

【週刊ハンガンネット通信】第353号 (2021年5月1日発行)
言語学習者としての感想
伊藤耕一
=================================================
会社から転勤を命じられ、マレーシアの子会社で勤務することとなりました。
辞令は出たものの、現地は一時ロックダウン、コロナウィルスの影響のためか渡航手続きが遅々として進まず、ずっと渡航の日を待っているところです。
何もしないわけにも行かず、マレーシア語の勉強を年明けから始めることにしました。
久しぶりにゼロから始める語学学習をしたのですが、学習者の目線で感じたことを書いてみたいと思います。

独習
マレーシア語を習える場所は数少なく、長野県では独習するしかありませんでした。
テキストを探したのですが、マレーシア語の教科書は数えるほどしかありません。
インドネシア語とほぼ同じ言語であるためか、インドネシア語のテキストは比較的多く出版されています。
しかし、経験的に半島と島嶼部では言語が異なることが予想できたので、マレーシア語のテキストを探して買い求めました。
独習の場合、モチベーションが下がらないように気を付けなければなりませんが、今回は「話せるようになりたい」という気持ちを大切にしようと思いました。

文字から入るか音から入るか
韓国語の場合は文字から入った方が近道であろうと私は思っており、マレーシア語も文字の勉強から始めようとしてみました。
ところが、マレーシア語の母音で「e」の音は「에」と読んだり「으」と読んだり、ほぼ半々であることが分かりました。
ほぼローマ字読みとはいえ「e」の音を間違えて覚えると、変な癖がついて通じにくくなるだろうと考えるに至り、音の勉強から入ることにしました。
テキスト付属のCDを車に入れて、行き帰りの合計1時間半ほどの通勤時間を利用して聞き続けました。
当然ながら、最初はひとつも聞き取れなかったのですが、聞き続けるうちに一つ二つと聞き取れる単語が増えてきました。
教科書を読みたい衝動を抑えに抑え、100時間くらい聞いたところで文字を見てみました。
この時の新鮮さというか渇望感というか、この感覚は忘れらないものになりそうです。
「L」と「R」の違い、「B」と「V」の違い、韓国語のパッチムに当たる語末の「t」と「k」の違い、そして「에」と「으」の違いが明らかになった時の「そうだったんだ!」という気持ちはすがすがしいものでした。

正しい発音が身についたか
マレーシア語は読むことよりも話すことに重点を置きたいと思ったので、正しい発音を覚えることを意識しました。
そのチェックには「ポケトーク」を使いました。
マレーシア語を話してみて、正しい日本語が返ってくるか、いくつかの対話文を試しましたが、ほぼ意図した日本語が聞こえてきました。
音から入ったことはある程度の結果につながったよう思います。

全くのマレーシア語入門者として数ヶ月を過ごしてみましたが、意欲ある言語学習者にある程度の結果を出してあげるには、次のような導きが大切なのではないかと感じました。
・やる気を維持するには、どうすればよいか、フォローし続ける。
・文字の勉強と発音の勉強のバランスは見てあげた方がよい。目的や性格によってバランス調整が必要であるように思う。
・成果が分かりやすい形で確認できると安心できる。

1人の学習者として感じたことですが、皆様のご指導のご参考にしていただければと思います。
渡航後は、これまでの勉強が役に立つかどうか、確認してみたいと思います。

通信341 「キムチがあきれ返る?」伊藤耕一

【週刊ハンガンネット通信】第341号 (2020年12月8日発行)
キムチがあきれ返る?
伊藤耕一
=================================================

先日、このような記事を見つけ、興味深く読みました。
「キムチがあきれ返る…『中国キムチ』が世界標準になったって?」
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/201207/for2012070005-n2.html

朝鮮日報の原典はインターネットから削除されてしまったようですが、概要はこのような内容のです。
中国共産党の機関紙、人民日報系の環球時報が「国際標準化機構(ISO)の承認を受けて、中国の「泡菜」がキムチの基準となった。」と報じた。
キムチと泡菜は「塩蔵発酵野菜」という点では同じようですが、「ISO 24220キムチ(塩蔵発酵野菜)規範と試験方法国際標準」の承認を受けたとあります。
これに対し、韓国の様々なところで反論が出たとのことです。

泡菜は食べたことがないので、作り方を調べてみました。
キムチと泡菜の作り方を比べてみると、同じようにも見えますし、異なるようにも見えます。

キムチ https://cookpad.com/recipe/1000316
泡菜  https://cookpad.com/recipe/3381337

双方のレシピを見た料理の素人の感想で恐縮ですが、キムチと泡菜を一緒にするのは無理があるのではないかと思いました。
これが同じであるなら、長野県で作る野沢菜漬けも同じ仲間になるように思います。

野沢菜漬 https://cookpad.com/recipe/3538482

もう少し調べてみると、英国のBBCがこの議論に絡んでいるのを見つけました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/50b2b43f990bb3bc3e70929de0e15a92e4724b22

BBCは「誤報」と報じており、そうだよねと安心しました。
BBCは「伝統的にキムチは野菜を洗って塩漬けにし、ヤンニョム(合わせ調味料)と発酵した海産物とともに土製のかめに入れ、地中に埋めて作る」とした上で「『キムジャン』というキムチを漬ける儀式は、国連科学教育文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されている」「ISOの文書には、今回の食品規格が『キムチには適用されない』と書かれているが、一部の中国メディアはこれと異なる形で報道した」と指摘したとありました。

ほかにもいくつかのサイトがありますが、中立的に見るとBBCの報道が真実に近いのではないかと思いました。

「キムチがあきれ返る?」という文字から見つけたニュースでしたが、こんなことで論争を張るのではなく、キムチも泡菜も野沢菜漬も美味しそうなので、もっと建設的な議論をすればいいのになと思いました。

通信330 「動詞と形容詞の区別」 伊藤耕一

【週刊ハンガンネット通信】第330号 (2020年8月25日発行)

動詞と形容詞の区別
伊藤耕一
=================================================
韓国語を勉強し始めた頃のことを思い出して、書いてみたいと思います。
今回は動詞と形容詞のことです。

韓国語の動詞と形容詞の原形は「-다」で終わり、辞書を引く時にはこの形で調べることになります。
母語話者でない立場の学習者が辞書を引く時には、活用された形から原形を想像します。
語幹を取り出して「-다」を付ければ、ほとんど原形になるので、辞書を引くときに苦労した覚えはあまりありません。

その一方で、母語で文章を考えてそれを外国語で表現しようとする時には、次のように考えて辞書を引いていたような気がします。
①母語で文章を考える。
②母語の用言が動詞なのか形容詞(又は形容動詞)なのかを判断する。
③その判断に基づいて、辞書で該当する単語を探す。(話すときは頭の中で探す。)
④複数の選択肢がある時には、例文を見て見当を付けて使う単語を選ぶ。
⑤規則活用か不規則活用かに気を付けて、活用させ表現する。

韓国語の学習で戸惑ったのが「-다」という用言を活用させようとしたとき、見た目で動詞なのか形容詞なのか判断がつかなかったことです。
特に連体形で表現しようとした時、話す時には形容詞に「-는」をつけてしまうことが多々ありました。
その後、場数をこなすことで、このような間違いは起きにくくなりましたが、日本人は間違えやすいところだと思います。

日本語の用言は「動詞の原形は『う段』の音で終わる」「形容詞の原形は『い』で終わる」「形容動詞は語幹に『に』『だ』『な』を付けて3つの活用ができることを確認する」、このように形式的に区別することができます。
形式的であるが故に、日本人は形で品詞を判断しようという意識が強く働いてしまうように思います。

英語でも同じように間違える場面がありそうな気がしますが、日本語と英語が違いすぎるため、このような混乱は起きにくいように思います。
例えば、こんな感じです。
①cake 品詞:名詞、意味:ケーキ
②make 品詞:動詞、意味:作る
③sake 品詞:名詞、意味:酒(英語にとっての外来語)

形はとても似ていますが、品詞で迷うことはないように思います。

韓国語の母語話者の方は、どのように動詞と形容詞を区別しているのでしょうか?
教えていただけたら、嬉しく思います。