週刊ハンガンネット通信】第438号 (2023年4月24日発行)
初学者の言語運用能力の状況
伊藤耕一
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マレーシアでは4月21日にラマダンが終わり、22日からハリラヤ休暇が始まりました。
ハリラヤは日本のお正月のようなもので、国全体がお休みモードに入ります。
公休日は2日しかありませんが、私の会社ではマレー人が従業員の95%程度を占めるためか、前後の土日を入れて10連休となります。
連休明けは日本のGWがあり、今回は長めの休暇を取ることができ、この通信を日本で書いています。
早いものでマレーシアに来て1年4ヶ月が経ちました。
今回は、私のマレー語の運用能力がどれほどになったか、恥ずかしながら振り返ってみたいと思います。
聞く力
マレーシアに来たとはいえ、普段の仕事は英語、買い物やちょっとした用足しも英語で済ませられるため、マレー語に接する機会はほとんどありません。
少しでもマレー語を聞く機会を持ちたいと思い、通勤時の車内ではマレー語のラジオを聞くようにしています。
繰り返し流れるCM、音楽を紹介する時のフレーズ、天気予報など定型的な言い回しは徐々に理解できるようになりました。
私にとっての外国語である英語と韓国語を覚えた時のことを思い出すと、会話の実践で最も役立ったのはリズム感と抑揚でした。
そこで、聞く時にはそこに注意を向けています。
最初は全く聞き取れなかったマレー語が、少しずつ聞き取れるようになってきました。
これは、ざるで砂利をすくった時に、最初は全てが零れ落ちていたのが、大きな石から順にざるに残るのに似ていると思っています。
時間をかければ、ざるの目がもっと細かくなり、零れ落ちる砂がだんだん少なくなっていくイメージを持ちながら、マレー語を聞き続けています。
話す力
日常のあいさつ、単文は語彙力の範囲で話せるようになりました。
会社では月に1回、スピーチの時間があるのですが、1〜2分程度の原稿を作り、それを読むことを続けています。
日本語で文章を書いて、それをGoogle翻訳でマレー語に変換します。便利な世の中になったものです。
翻訳されたマレー語が適切かどうかは、マレー語を英語に変換して確認します。
すると、経験的に全体の20%ほどは手直しが必要になるのですが、英語を修正してマレー語に変換、マレー語を日本語に変換、日本語を修正してマレー語に変換、マレー語を英語に変換…このような作業を数回繰り返すと、手直しが不要な程度の文章が出来上がります。
それを社員の皆さんの前で読むのですが、最初は目を細められたり、首を傾げられたりすることがありました。
最初の頃は単純な文章しか話さなかったので、ひとえに発音が悪かったのだと思います。
最近は、「おはようございます。元気ですか。」と言うとタイミング良く「元気です。」と返してくれたり、ウンウンと頷いてくれたり、伝わる言葉を喋れていることを実感します。
先日、社長とこのことについて話す機会があり「発音は問題なく、だいたい聞き取れる。」とおっしゃっていただけたので、とても嬉しくなりました。
みんなの前で話すことは、月に1回であっても話す力を着実に高めてくれることを実感します。
今後は語彙と言い回しを覚えて、原稿なしで話せるようになりたいと思います。
読む力
スピーチの効果だと思いますが、文字が書いてさえあれば、ゆっくりと文章を読むことはできます。
しかし、語彙力と文法力がなさ過ぎて何が書かれているのかは、分かる時と分からない時があります。
日本語の外来語のように、マレー語には英語由来の単語が多いので、読んで発音するとその音から意味を類推できることが結構あります。
これはハングルで書かれた文章から、音を頼りに漢字を類推して韓国語の意味を捉えるプロセスにも似ています。
実感するのは黙読して分からない時に、声に出して読むと分かる時があることです。
声に出すと、英語に似た音の単語を類推できたり、ラジオで聞いた音が思い出されたり、インプットされた単語やフレーズが頭の中から取り出されるような気がします。
改めて音読は効果的だなと実感します。
書く力
学生の頃のように、ノートに手書きする時間を今はなかなか取ることができず、書くことはほとんどできていません。
聞き取れた単語を書いても、綴りが間違っていることが多々あります。
パソコンで書く時には、英語や日本語はスペルチェックや校正機能が助けてくれるのですが、マレー語はほぼ全ての単語に波線が表示されてしまい、この機能の力を借りることもできません。
書く力はやはり、ペンとノートと時間を使い、地道に築き上げるしかないように思います。
私はマレー語について「聞く>話す>読む>書く」の順番で力を付けようと思っていましたが、現時点では「話す>聞く>読む>書く」の順番になっているようです。
これは、そこそこ適切な文章を手軽に入手できる自動翻訳機能と、話す機会に恵まれている環境のおかげだと思います。
30年以上前に私が韓国語を学び始めた時は「読む≒書く>聞く>話す」でした。
最も手軽な学習法は「読む」ことでした。
二番目に手軽な学習法は「書く」ことでしたが、辞書と文法の教科書を何度もひっくり返すことが必要でした。
しかも、書いた文章が正しいかどうかは、その場で自分では検証できません。
韓国語を聞くにはラジオやテレビを録音・録画したり、先生の音声が録音されたカセットテープを受け取ったりするしかなく、「聞く」は自分の環境(ラジカセやテレビや録画機を買う等)を整え、機会を逃さない姿勢(番組の録音・録画、先生に録音をお願いする、旅行に行く等)が必要でした。
話すことは、交通費をかけて誰かに会いに行く、電話で話すなどコストが高すぎ、学生の私には最も難しいものでした。
今はスマートフォンがあれば、動画を通じて聞くことができ、自分の音声を手軽に録音することができ、それをすぐに誰かに送ることができ、通話アプリで格安に会話ができ、音声も文字も瞬時に翻訳することができ、「聞く」こと「話す」ことの方が、やる気さえあれば安く簡単にできる時代になったように思います。
この30年で随分と環境が変わったものだなと、あらためて驚かされます。
学習歴が1年を超えた韓国語学習者の中には、私と同じような状況にある人がいるのではないかと思いながら、今回の通信を書いてみました。
皆様のご参考になれば幸いです。
ここからは余談ですが、日本に帰って来ていつも感動するのは、耳に入って来る音声のほとんどが聞き取れて理解できることです。
外国にいる時には空港の搭乗前のアナウンスでさえ「どの座席ゾーンに搭乗できる」と言ったのか、全神経を耳に集中させています。
日本ではさほど集中しなくても、何を言われたのか理解できるので、全集中する必要がなく、その分の脳みそのリソースをセーブできるような気がしています。
マレーシアに来て以来、恥ずかしながら、お酒も飲まないのに夜9時には猛烈に眠くなってしまいます。
全集中する必要がない分、日本ではもう少し夜遅くまで起きていられるのではないかと思い、連休中にそれを検証してみたいと思っています。