通信406 「統語法」伊藤耕一

【週刊ハンガンネット通信】第406号 (2022年9月5日発行)

統語法
伊藤 耕一
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マレー語の学習を初めて数ヶ月、テキストには少しずつ文法事項も出始めました。
マレー語の語順も部分的にですが、少しずつ理解できるようになりました。

「この・その」等の連体詞は名詞の後に来る。
「私の・あなたの」等の所有格は名詞の後に来る。
「形容詞」は名詞の後から修飾する。
「〜でない」という否定詞は名詞の前に来る。

このように書いてみると理解できたようなつもりになりますが、いざ話そうとすると、頭の中が真っ白になってしまい、もう一度頭の中で作文し直してからそれを話してみるといった感じです。

大学時代の講義で、語順は「統語法」とも言うとの講義があり、「統語法をマスターすると、自然な文章を書いたり話したりできる。」という話を聞いたことを思い出しました。
この統語法(語順)はどうやって覚えたのだろうかと、ふと思い、私が今までに習ったことのある言語で「この厚い本は私の日本語の教科書ではありません。」という文章を書いてみました。
単語のまとまりごとに色分けして並べてみると、このような感じになりました。

スクリーンショット 2022-09-07 10.17.58

改めて見ると、言語によって、てんでばらばらであることがよく分かります。
一見「厚い」はどの言語も2つ目に並んでいますが、マレー語はそれ以外の言語と比べ修飾の方向が逆になっています。
「~でない」は日本語・韓国語以外は否定される語句の前に位置します。
英語・日本語・韓国語は「日本語・教科書」という並びですが、マレー語・イタリア語は「教科書・日本語」という並びです。
ここでは5つの言語サンプルしかありませんが、同じ並びになったのは「日本語・韓国語」だけでした。
でも「あちこち」は「여기저기」と逆になったりするので、おそらく言語の数だけ統語法の数があるのではないかと思います。

言語を教える立場になって考えると、「統語法の規則性」に着目することで「より効率的に教えられるのではないか」という発想が出て来そうな気がします。
しかし、おそらく私の今の実力で、マレー語の語順を「規則性」の観点から理論的に体系的にかつ網羅的に教えてもらったとしても、覚えられる自信がありません。

そこで、実際に私がどうやってマレー語の語順を覚えようとしてきたのかを思い出してみました。
おそらくですが、短い例文「この本は厚い」「この厚い本」「この本は厚くない」「これは日本語の教科書だ」「この教科書は私のものだ」といったものを繰り返し読んでは書き、音と文字で頭の中に定着させてきたような気がします。
その後「この厚い本」と「これは日本語の教科書だ」と「この教科書は私のものだ」という3つの文章を組み合わせて「この厚い本は私の日本語の教科書だ。」という1つの文章を書いている(話そうとしている)のではないかと思います。

この組み合わせ作業で活躍するのが「統語法」だろうと思うのですが、「統語法を理解したから語順を理解できる」のではなく「語順を理解したから統語法を理解できる」というのが実用的な道筋ではないかと考えるに至りました。

私の今のマレー語は、教科書を見ながら書けば簡単なマレー語が書ける(短文だけ)という段階ですが、次は教科書を見なくてもそれなりのマレー語が書ける、話せるように努力を続けたいと思います。

通信398 「語尾」伊藤耕一

【週刊ハンガンネット通信】第398号 (2022年7月12日発行)

語尾
伊藤耕一
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マレーシアに来て7か月が経ちました。
普段の生活や仕事では英語を使うのですが、最近、英語で話した後にマレー語のある語尾を付けて会話している自分に気付きました。
その語尾は「ka?」と「ne.」です。

先日、同僚が木曜日の夕方にこんなことを言ったことがあります。
“See you next week!”(また来週ね。)
すかさず、こう返しました。
“Oh, you don’t come tomorrow, ka!”(え、明日は来ないの?)

「ka?」はマレー語の語尾に付けると疑問文になるのですが、これが英語にも転用されてよく使われるのです。
“OK, ka?”(OKですか?)
“You don’t like this, ka?”(これは嫌いなんですか?)
“You follow the fasting, ka?”(一緒に断食するんですか?)

何かを言って最後に「ka?」を付ければ疑問文になる、便利すぎる語尾です。
ちなみにその同僚は、曜日を間違えていただけでした。

「ne.」はマレー語の語尾に付けると「~なんですね。」というようなニュアンスになります。
“OK, ne.”(OKですね。)
“You don’t like this, ne.”(これは嫌いなんですね。)
“You follow the fasting, ne.”(一緒に断食するんですね。)

これは会話の中で私が感じているニュアンスなので、本当は違うかも知れませんが、日本語の「~なんですね。」だと思っています。
ちなみに断食は今年のラマダンの時に私も一緒にやってみたのですが、その時に言われました。
平日だけの断食でしたが、その後のマレーシア人の同僚たちとの心の距離が少し縮まったように感じました。

もうひとつ「lah.」という語尾があるのですが、これはまだ使いこなせていません。
少し調べてみたら、こんな動画を見つけました。
https://www.youtube.com/watch?v=KPnzyXpSS-k

「lah.」は「~だよ。」というような意味で、初めて知った時、何かを伝えたい時、突っ込みたい時に使うとのこと。
そして「lah.」は体言にも用言にも付けることができるとのこと。
この言葉は仕事のミーティングの最中によく耳にします。
“OK, this is the last month product stock, lah.”(さて、これが先月の製品在庫数です。)
こんな感じで使うのですが、動画を見てそのニュアンスを知ることができました。
なるほど、何かを伝えたいと思って言っているのだなということが分かりました。

動画では「kan.」と「nya.」も紹介されていたので、今後の会話に耳を澄ませて聞き取って使い方を確認してみようと思いました。

マレーシアでは「マレー語」「中国語」「タミル語」を母語とする皆さんが意思疎通を図れるように英語が共通語になっているのですが、そんな中で使われるようになった表現なのだろうと思います。
マレーシアの英語は意思疎通が目的なので、多少構文がおかしくても、複数形でなくても、時制が間違っていても、お互いにその意思を汲み取ろうとしてくださるので、リラックスしてしゃべることができます。
そんな時に共感を示す語尾を付けると、自分が理解していることを相手に伝えることができるのではと思いました。
ただし、その使い方が本当に合っているのか間違っているのか、自分には分からないところが悩ましいところですが。
でも、少し変なマレー語を話す日本人と思ってもらえれば、それはそれで良いのかなとも思います。

翻って、私は韓国に住んだことがないので、完全に理解しているとは思っていませんが、「-요.」「-네요.」「-ㄹ래요.」等の語尾のニュアンスを適切に教えることができたら、生徒さんの会話のレパートリーを増やすことができるのではないかとも思いました。
ゼロから外国語を習得しようとした時に、私が何を感じて何を理解しているのか、ひとつの実験台として今後も通信に書いてみたいと思います。
僭越ながら、韓国語をゼロから学習される生徒さんがどんなことを感じてどのように解釈しようとしているのか、その理解に少しでもお役に立てればと思っています。

通信391 「ラマダン」伊藤 耕一

【週刊ハンガンネット通信】第391号 (2022年5月16日発行)

ラマダン
伊藤 耕一
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イスラム圏では4月2日から5月1日までラマダン(斎戒)でした。
日の出から日の入りまで全ての欲望を絶つのがイスラム教で定められた戒律で、日中の飲食や喫煙などをしなくなります。
4月2日を境にピタッと人々の行動が変わったのには驚きました。
私も平日だけ一緒に断食をしてみましたが、何事もやってみれば慣れるもので4月下旬には空腹やのどの渇きがそれほど苦にならなくなりました。

ラマダンは、食事が摂れないとか、巡礼で砂漠を旅するとか、困難な状況に直面した時にそれを我慢し克服できるように備えておくとか、厳しい状況に置かれた人の気持ちを理解するためとか、そういったことが目的のひとつにあるようです。
ただし、病気の人、妊娠中の人、子供等は対象外で、それなりに配慮がなされています。
ラマダン期間中、マクドナルドに行ったことがありましたが、親子で来ていた家族を見ると、子供だけが食事をして両親は横で見守っている、そんな姿もありました。
異教徒であるインド系や中国系の人たちは断食をしませんが、それぞれの民族の習慣をお互いに尊重し合い、異なる文化の領域にはお互いに足を踏み入れ過ぎないといったバランス感覚のようなものも感じました。
私自身は空腹を感じた時、周りのみんなも同じだよねと自然に考えることができ、相手への思いやりのような気持ちを育むことができたように思います。
その一方で、普段おしゃべりな人でも無口になったり、役所の手続きに時間がかかったり、なるべくエネルギーを節約しようとしているのかなとも感じました。

ラマダンが終わるとマレーシアはハリラヤという休みになり、日本のお正月のような雰囲気になります。
ハリラヤの祝日は5月3日と4日だけですが、今回は5月1日の労働の日、2日の振替休日と祝日が続き、ついでに5日と6日も休みにする会社が多く、ちょうど日本の連休と重なり、出入国制限も大幅に緩和されたので、一時帰国することにしました。
長めの旅行をすることができ、いろいろなことを考える時間があり、ふと初めて海外旅行に行った時のことを思い出しました。

私が初めて海外に行ったのは、21歳の時、冷夏で騒がれた年です。(私は冷夏を経験できませんでしたが。)
最初のフライトは、伊丹空港から返還直前の香港に行く便でした。
当時の航空券は複写式で、香港経由オークランド行きの1年間オープンの往復チケットが何枚も束ねられたもので、傷めないように難儀した覚えがあります。
今では航空券情報がパスポート情報と紐づけられて管理されていて、スキャンするだけで搭乗便が検索できるようになっていますが、ずいぶんと様変わりしたものです。

5月以降は出入国制限がだいぶ緩くなり、12月の渡航時と比べると時間の面でも経費の面でも楽になったと実感しました。
特に隔離がなくなったことは精神面で大きいものがあります。
以前のように気軽に行き来できる日が戻ってくると良いですね。

通信384 「韓国語のパッチムとマレー語の閉音節」伊藤耕一

【週刊ハンガンネット通信】第384号 (2022年3月30日発行)

韓国語のパッチムとマレー語の閉音節
伊藤耕一
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マレーシアに来て3ヶ月半、だいぶマレー語が耳に馴染んできたように思います。
数字は100までだいたい分かるようになり、徐々に聞き取れる単語が増えてきて、知っている言葉をつなぎ合わせて話してみると、時々ですがちゃんとしたマレー語になって褒めてもらえる、そんな楽しい日々を送っています。

マレー語には閉音節があります。
無声音の子音(t,k,p等)が語末に来ると、息を止めて発音します。
韓国語のㄷやㄱやㅂとほぼ同じ発音なので、この発音は軽くクリアできました。
これを傍で聞いていると、とても苦しそうに発音しているように聞こえる時もあります。

マレーシア人とは英語で話すことが多いのですが、英語の発音もマレー語の影響を受け、マレー語以上に苦しそうに発音しているように感じることがあります。
例えば、”I went to the park.” のような文章を話すとき「アイ ウェンッ トゥ ド パッ(아이 웬ㅅ 투 더 팍)」といった発音になります。
最初は戸惑いましたが、今ではだいぶ聞き取れるようになりました。
何事も慣れるものだなと痛感します。

韓国語と異なるのは、無声音の子音の後に母音が来てもリエゾンしないことです。
例えば、”Check it out.” を発音すると「チェッ イッ アウッ(쳌 잍 아웃)」のような発音で、ㄱとㄷのパッチムを律儀に音節ごとに息を止めて発音している感じです。
リエゾンさせれば、もっと話しやすくなるのでは、などと余計なことを考えてしまったこともありました。

ここからは蛇足のような話ですが、クアラルンプールである集まりに顔を出したら、私を含めた日本人数人とルーマニア人、ブラジル人、ミャンマー人と出会いました。
そこでは英語で話をしたのですが、学生時代に勉強したイタリア語を思い出し、ルーマニア人とブラジル人に話しかけてみました。
話したのは自分の自己紹介のような文章ですが、「だいたい分かる」と言われました。

イタリア語、ルーマニア語、ポルトガル語はフランス語とスペイン語を加えてロマンス諸語と呼ばれ、お互いに似ている言葉同士だと学生の時に教えてもらいました。
話してみて分かったのは、なるほど似ているのだなという実感でした。
ほかにもドイツ語とオランダ語、ヒンディー語とウルドゥ語などは似ているようなのですが、どのくらい似ているのか実感できたら面白いのになとも思いました。

マレー語の中期目標はマレーシアにいるうちにCEFRのB1レベルに達することにしてみましたが、そこにたどり着けるように精進したいと思います。

通信377「春節」伊藤耕一

【週刊ハンガンネット通信】第377号 (2022年1月31日発行)

春節
伊藤耕一
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マレーシアにやって来て1ヶ月半ほどが過ぎました。
そして、明日と明後日は春節でこちらは休日です。
旧正月をお祝いする国でこの日を迎えるのは初めてで、街の雰囲気を楽しんでいる今日この頃です。

マレーシアの民族はマレー人、中国人、インド人がマジョリティを構成し、日本を含めた周辺国の人々がマイノリティを構成しています。
政治的にはマレー人優遇政策が取られていますが、文化面ではマレー・中国・インドそれぞれを尊重しており、各文化の主要行事が行われる日は祝日となっています。
結果として、祝日の数は日本ほどではありませんが、結構多くあります。

春節はご存じのとおり中国の文化ですが、クリスマスが終わった後、街の雰囲気は一気に春節に変わり、赤や黄色の装飾を目にする機会が多くなりました。
そして、マレーシアでは「イーサン」という食文化があり、先日、これを初めて体験しました。
「イーサン」は漢字語で「魚生」と書き、その名のとおり生魚(刺身)を使ったものです。
最初は極細に切った大根、ニンジン、キュウリ、揚げた餃子の皮、ピーナッツ、果物などの具が色鮮やかに盛られているのですが、そこにドレッシングや香辛料をかけて、みんなでこれをゴチャゴチャに混ぜます。
この時に、できるだけ具を高く持ち上げて落として、グチャグチャに混ぜながら、各自が願い事を言って願掛けします。
混ぜて混ぜて具材が散らかるほど良いのだとか。
また、各食材には縁起の良い意味がそれぞれ込められているそうです。
一通りの儀式が終わると、混ぜたものを取り分けて食べるのですが、これがとても美味しいのです。

勝手な想像ですが、日本のお節料理の具材のような意味合いがあったり、韓国の비빔밥のような所作があったり、中国料理の色鮮やかさがあったり、いろいろな文化が混じっているようにも思いました。

この通信を書きながら、ニュージーランドの新年のことも思い出しました。
こちらは太陽暦の新年のお祝いですが、大晦日から元旦に変わったとき、パーティーに居合わせた人々が老若男女問わず、頬にキスをしまくるという場面に居合わせたこともありました。

明日と明後日は町の中でどんな行事が行われるのか、楽しみながら見てみたいと思います。

通信373「新しい言語の学習」伊藤耕一

【週刊ハンガンネット通信】第373号 (2021年11月24日発行)

新しい言語の学習
伊藤耕一
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私事で恐縮ですが、来月、マレーシアに旅立つこととなりました。
会社から転勤辞令を受けて以降、コロナウィルスの影響もあって相当の時間が経ちましたが、ようやく行けるようになりました。

マレーシア語を勉強し始めたことは以前の通信にも書きましたが、私は言語を専攻したためか、この言語自体の部分にも興味が向き、少し調べてみました。

マレー語はオーストロネシア語族に分類され、マレーシア、インドネシア、ブルネイ、シンガポールで国語とされています。
4カ国の人口を単純合算しても3億人を超えます。
4カ国の中には中国系やインド系の人も多数含まれているものの、言語人口で考えても世界有数ですね。

言語学的にはオーストロネシア語族は、台湾(北)~ニュージーランド(南)~イースター島(東)~マダガスカル(西)という広範囲に分布しているそうです。
このうち「ニュージーランド、イースター島」はピンと来るものがあります。
もうひとつ「ハワイ」を加えた三角形で囲まれた地域が「ポリネシア」ですが、この地域は文化的な共通性が見られます。
おそらく、船を使ってこの広大な地域を言語と文化が行き交ったのだろうと想像できます。

私が最初にマレーシア語で勉強した部分は「発音」ですが、発音自体はそれほど難しいとは思いませんでした。
韓国語のパッチムに当たる閉音節があったり、”H”の文字が来ると息を同時に出したり(韓国語の激音に近い)と、韓国語の経験を活かせる部分が結構あります。
ただし、韓国語の「連音化」や「鼻音化」に当たる音変化はないので、韓国語につられないように気を付けなければならない部分もあります。

「文法」は全貌を理解できていませんが、基本はこのような感じです。
・主語~述語~その他目的語等という語順が基本
・日本語の「です」に当たる言葉がない
(私:saya + 名前:Ito ⇒ Saya Ito. =私は伊藤です。)
・修飾語は後ろから修飾する。
(私:saya + 父:ayah ⇒ Ayah saya =私の父)
(私:saya + 父:ayah + 友人:kawan ⇒ Kawan ayah saya =私の父の友人)
・複数形や性はない。

「文字」はアルファベットを使います。

そして「本当かなあ?」と思ったテキストの例文をご紹介したいと思いました。
同じ単語を同じ語順で並べて文章を作った時、矢印の部分で抑揚を付けたり区切ったりすると、それぞれ異なる意味の文章になると言うのです。

「ibu:母」
「kucing:猫」
「itu:その」
「curi:盗む」
「ikan:魚」
「comel:小さい」

Ibu kucing itu curi ikan comel.↑ その猫の母は、小さい魚を盗みましたか?
Ibu kucing itu curi ikan↑ comel. その猫の母は魚を盗みました。かわいい。
Ibu kucing itu↑ curi ikan comel. その猫の母が、小さい魚を盗みました。
Ibu↑ kucing itu curi ikan comel. お母さん、その猫は小さい魚を盗みました。

この5つの単語をどのように発音し分ければ、4つの意味として聞き取ってもらえるのか、現地の人に聞いてみたりして調べてみようかと思います。

今回はコロナ禍での出入国となり、手続きや隔離など、めったにない体験をする機会に接することができそうです。
どのようなことが起きるのだろうかと不安半分興味半分ですが、新しい言語の学習の方も楽しんでみようと思っています。

通信365 「ピアノのセンスと言語のセンス」伊藤耕一

【週刊ハンガンネット通信】第365号 (2021年9月20日発行)
ピアノのセンスと言語のセンス
伊藤耕一
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私の土曜日の日課のひとつに「テレビ寺子屋」の視聴があります。
テレビ静岡制作の番組ですが、長野県では土曜日の5時半から放送されます。
頭がボーッとした朝の時間に、寺子屋講師のお話を聞くと、徐々に目が覚めてきます。

先日、ピアニストの樹原涼子さんの「センスの磨き方」というお話が放送されました。
音楽の世界の「センス」の話ですが、言語にも共通する部分があるなと興味深く聴きました。

この先生は子どもたちにピアノを教える時に、ピアノの音の減衰を聞かせるというのです。
ご存知のとおり、ピアノの鍵盤を叩いて音を出し、鍵盤から指を離さないようにしていると、徐々に音が小さくなってやがて消えていきます。
樹原さんはこの音がいつ消えるのかを子どもたちに聞かせて、消えたと思った時に手を挙げさせるそうです。
最初は音が消えきる前に手を挙げてしまう子供も、繰り返し聞かせると徐々に消えた瞬間に手を挙げることができるようになるとのこと。
これを樹原さんは「音楽教育で『センス』は、違いがわかることだと思っています。音の違いに『興味』を持つことがとても大切です。」とおっしゃっていました。
その後、複数の音を順番に「ド~ミ~ソ~」のように重ねて聞かせ、「~ド~ミ~ソ」の順に音が消えていくのを聞き分けられるようになった子供は、間違いなくピアノが上手になるとおっしゃっていました。
音楽ではこれが「センス」につながるそうです。
この基礎の「センス」が身についたら、「スタッカート(音と音を続けないで分離する演奏法)」や「レガート(音の切れ目を感じさせない演奏法)」などの技術を教えるのだそうです。

また、あることを言語化できる能力も「センス」を伸ばすのに必要とも話されていました。
「子どもたちはゲームやアニメのキャラクターの些細な違いも見逃さずに、名前や特徴の違いを認識しています。このとき質問をしてみるといいと思います。『言葉にすること』でセンスが伸びてきます。誰かに説明しようとすることで頭の中がどんどん整理されていくのです。まず興味を持つ、そして違いがわかって、それを言葉にしていく。すると良い循環が生まれてきます。音楽も勉強もスポーツも、どんなものでもこの循環に乗せてほしいと思います。」
この辺りは言葉の勉強そのものだと思いました。

先日の金英う先生の通信にもありった韓国人の「カ」と「ガ」の発音の傾向や、日本人の「카」と「까」の発音の傾向を言語化して説明できるまで学習したり、それを教えたりすることができたら、より深い理解につながるように思いました。

言語における「センス」には「発音」「文法」「作文」「対話」などの分野があります。
それぞれの分野を極めるには、どのように「センス」を磨いて行けば良いか、永遠のテーマのようですが、樹原さんのお話を聞いて、これを追求してみたいと思うようになりました。

通信357「文化の変遷」伊藤耕一

【週刊ハンガンネット通信】第357号 (2021年7月10日発行)
文化の変遷
伊藤耕一
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きのこの山を食べながら、そのイラストを見て、ふと感じたことを書いてみたいと思います。
きのこの山のパッケージには「たぬき」と「うさぎ」の絵が描かれています。
これは、皆様ご存じのとおり「カチカチ山」がモチーフになっています。
物語では、うさぎがたぬきを懲らしめるのですが、お菓子のパッケージなので、楽しくなるような絵が描いてあるのはご愛嬌というところでしょうか。

そんなことを考えているうちに、ふと「鬼」と「도깨비」のことに思いが至りました。
学生の頃にこんな話を聞いたことがあります。
도깨비を韓国人にイメージしてもらうと、ツノがあって、棍棒を持って、虎柄の腰巻があって、と日本の鬼と同じようなイメージを持つ人が多いが、これは日帝時代に日本人が韓国に持ち込んだ鬼の姿が定着してしまったものだと。
それでは、もともとの도깨비はどんなものだったのかというと、韓国在住日本人のブログにこのような表現がありました。
・人の姿をしているけれども神でも人間でもない
・もともとは物だったのものが年月を経てトッケビになる(ママ)
・プライドが高い
・人に悪さをするというよりも、人と交流することを好む
・赤色(小豆や血など)を嫌う
・シルム(韓国式の相撲)が好きで人に挑戦することもよくある
・足が一本しかないトッケビもいる
・韓服を着て傘をかぶっているトッケビもいる
・美女に化けて若者を誘ったりする

原文のまま引用してみましたが、このような感じでしょうか。

また、日本語の語源に関してこのような話があります。
「くだらない」は「百済ない」が語源で、百済から来たもの以外は「くだらない」と当時の日本人が感じてこのような単語が定着したのだと。
韓国の三国時代に日本は百済と友好関係があって、白村江の戦いでは日本は百済を助けて戦ったものの敗れ、その後、多くの百済人が日本にやってきて、その後の日本の文化に渡来人の文化が大きな影響を与えたと学んだ記憶があります。

文化というものは、あるきっかけでやって来て、影響を与えながらいつの間にか定着してしまう、興味深いものだということを改めて思いました。

さて、童話の話に戻りますが、最近の日本では昔と今で物語の結末が異なるものがあるようです。

例えば「さるかに合戦」。
私の記憶では、サルが投げた柿がカニに当たってカニは死んでしまうはずですが、今は「カニが何とか一命をとりとめる」ことになっているとか。
カニの仇を取るために「臼と蜂と栗とうんこ」の4人がサルを懲らしめるはずが、「うんこは汚い」というクレームから「臼と蜂と栗」の3人に減ってしまったとか。
さらに、懲らしめられたサルは逃げていくはずが、「サルはカニの家族に謝罪し、仲良く柿を食べて終わる!」という、にわかに信じられないような結末になっているようです。

ここまで来ると、良いのか悪いのか分からなくなってしまいますが、かくも文化とは激しく変遷するものであることを実感しました。

このような発見をもたらしてくれた、きのこの山に感謝しつつ、美味しくいただきました。

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通信353 「言語学習者としての感想」 伊藤耕一

【週刊ハンガンネット通信】第353号 (2021年5月1日発行)
言語学習者としての感想
伊藤耕一
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会社から転勤を命じられ、マレーシアの子会社で勤務することとなりました。
辞令は出たものの、現地は一時ロックダウン、コロナウィルスの影響のためか渡航手続きが遅々として進まず、ずっと渡航の日を待っているところです。
何もしないわけにも行かず、マレーシア語の勉強を年明けから始めることにしました。
久しぶりにゼロから始める語学学習をしたのですが、学習者の目線で感じたことを書いてみたいと思います。

独習
マレーシア語を習える場所は数少なく、長野県では独習するしかありませんでした。
テキストを探したのですが、マレーシア語の教科書は数えるほどしかありません。
インドネシア語とほぼ同じ言語であるためか、インドネシア語のテキストは比較的多く出版されています。
しかし、経験的に半島と島嶼部では言語が異なることが予想できたので、マレーシア語のテキストを探して買い求めました。
独習の場合、モチベーションが下がらないように気を付けなければなりませんが、今回は「話せるようになりたい」という気持ちを大切にしようと思いました。

文字から入るか音から入るか
韓国語の場合は文字から入った方が近道であろうと私は思っており、マレーシア語も文字の勉強から始めようとしてみました。
ところが、マレーシア語の母音で「e」の音は「에」と読んだり「으」と読んだり、ほぼ半々であることが分かりました。
ほぼローマ字読みとはいえ「e」の音を間違えて覚えると、変な癖がついて通じにくくなるだろうと考えるに至り、音の勉強から入ることにしました。
テキスト付属のCDを車に入れて、行き帰りの合計1時間半ほどの通勤時間を利用して聞き続けました。
当然ながら、最初はひとつも聞き取れなかったのですが、聞き続けるうちに一つ二つと聞き取れる単語が増えてきました。
教科書を読みたい衝動を抑えに抑え、100時間くらい聞いたところで文字を見てみました。
この時の新鮮さというか渇望感というか、この感覚は忘れらないものになりそうです。
「L」と「R」の違い、「B」と「V」の違い、韓国語のパッチムに当たる語末の「t」と「k」の違い、そして「에」と「으」の違いが明らかになった時の「そうだったんだ!」という気持ちはすがすがしいものでした。

正しい発音が身についたか
マレーシア語は読むことよりも話すことに重点を置きたいと思ったので、正しい発音を覚えることを意識しました。
そのチェックには「ポケトーク」を使いました。
マレーシア語を話してみて、正しい日本語が返ってくるか、いくつかの対話文を試しましたが、ほぼ意図した日本語が聞こえてきました。
音から入ったことはある程度の結果につながったよう思います。

全くのマレーシア語入門者として数ヶ月を過ごしてみましたが、意欲ある言語学習者にある程度の結果を出してあげるには、次のような導きが大切なのではないかと感じました。
・やる気を維持するには、どうすればよいか、フォローし続ける。
・文字の勉強と発音の勉強のバランスは見てあげた方がよい。目的や性格によってバランス調整が必要であるように思う。
・成果が分かりやすい形で確認できると安心できる。

1人の学習者として感じたことですが、皆様のご指導のご参考にしていただければと思います。
渡航後は、これまでの勉強が役に立つかどうか、確認してみたいと思います。