通信354 「私の韓国語講師・奮闘記30 「勉強はしたくない・・・、でも韓国語は学びたい」」 宮本千恵美

【週刊ハンガンネット通信】第354号 (2021年5月10日発行)
私の韓国語講師・奮闘記30
「勉強はしたくない・・・でも韓国語は学びたい」
宮本千恵美
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コロナ禍の生活にも慣れ、感染予防しながらの2021年度が始まりました。
と思った矢先に、急な感染拡大で石川県でも県独自の緊急事態宣言が発令されました。

教室は対面と希望者にはオンラインを開始しました。
自信がなかったオンライン授業も始めてみるとそんなに苦はなく、逆にPPなどを工夫して作っていく楽しさも芽生えてきました。
この調子でオンライン授業も充実させていけたらと思います。
余裕が出てきたらハンセミで学んだ方法で、自分もニュースキャスターのようにオンラインに登場させてみたいです(笑)

緊急事態宣言が発令される1ヶ月ほど前に、久しぶりの韓国語教室の体験会を開催させていただきました。
久々に人数も集まって、新しい教室ができるかもとワクワクしていました。

ところがこちらの思いと体験で来られた人たちの思いが少しずれていたように思いました。
現在の第4期韓流ファンよりは、第2期ぐらいと言えばいいでしょうか・・・、
10年近く韓流だという方が多く、その間も学習のチャンスがあったのではと思いながら、体験会を進行していました。
最後に授業がスタートする前に学習に対する質問などを聞いて時、なぜ今まで学習してこなかったのか分かりました。
とにかく、勉強したくないのです。
どうにか簡単に習得できないものか、勉強という観念が抜け落ちている状態でした。
楽に簡単に、宿題もテストもしたくない!
それが体験者ほぼ全員の意見だったのです。
その思いが学習スタートの妨げになったのかもしれません。

しかしながら韓国語を学ぶことは学校の勉強と変わりません。
講師側はある程度の進行スピードの調整はできても、後は本人の努力次第なのですが・・・。

そんな悶々とした気持ちを抱いていたある日、とあるテレビ番組を観ていました。
その番組は世界のいろいろな学校をテーマに、特に発展途上国やある国が全国一斉のオンライン授業開始したけれどできない村での授業の取り組みを放送していました。
どの国も環境が整っていない中で、それでも子供たちに教育をという思いから一生懸命に取り組んでいる姿を目にしました。
その中でも算数の授業風景でリズムを取りながら覚えるなど、子供たちにどのようにすれば楽しく学べ身につくのかと言う取り組みをとても感慨深く観ました。

それから私は勉強はしたくないけど、韓国語に触れたいという体験者について考えていました。
それでも「楽しんで学びたい」、「韓国語に触れたい」、と思う人たちは一定数いるだろう・・・。
正直私も楽しく学べたらそんなにいいことはない・・・。
確かにペラペラ話せるようになるとか、検定を受けるなどはできなくても・・・。

そこで元学習者でご自身も参加したいとのお気持ちを聞いて、その方のカフェで「韓国語カフェ」をさせていただくことになりました。
「韓国語カフェ」は参加も自由で、学習経験未経験問わず誰でも参加できます。
コンセプトは韓国好きな人で集まろう、とにかく韓国に触れよう、学習者や学習歴のある方は韓国語を使う場として。
勉強とか教室と言うと「しなければいけない」という観念にとらわれてしまい、逆に辛くなることもあるかもしれません。
まずはウォーミングアップというほどでもありませんが、肩慣らしに韓国語に触れてもらい、楽しんでもらい、興味が出た時、やる気になったときに韓国語の学習をスタートしてほしいと思いました。
いろいろな学習の形を模索していこうと思います。

追記
前回の伊藤先生の記事は大変参考になりました。
導き方も工夫していかないとと思いました。
修行が足りません・・・トホホ・・・

通信350 「私の韓国語講師・奮闘記29「一言でもすごい!」」 宮本千恵美

【週刊ハンガンネット通信】第350号 (2021年3月1日発行)
私の韓国語講師・奮闘記29「一言でもすごい!」
宮本千恵美
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私は何年か前に日本語講師資格の勉強をしたことがありました。
多国籍の学習者に共通語である日本語をどう教えていくか、
比較的通じる英語が出来なくても日本語を教える、
とてもわくわくしたことを覚えています。
現在韓国語の学習者はすべて同じ日本人なので、
分からないことがあれば日本語での説明が可能ですが、
言葉が全く通じないかもしれない学習者に教えるって、考えてみたら未知の世界でした。

その中でとても興味ぶかかった教科と言うのが「日本語教育概論」でした。
前回の寄田先生の記事でバイリンガルのことに触れていたのですが、そのことも授業で触れていました。
私は両親のどちらかが外国の人だったらバイリンガルになれたかもとか、
外国にいればその国の言葉を習得できるのではと、言語習得に関してとても簡単に考えていました。
しかしその授業の中ではバイリンガルがいかに大変かということ、2つの言語を習得する大変さを説いていました。

例えばバイリンガル教育的なものがあり、両親が細心の注意を払って双方の言葉を教えていかなければ、
どちらの言語も未熟になってしまい思考の発達にも支障をきたすそうです。
以前にもインターネットの記事で2か国語以上の言葉を有する親は、意外と幼少期からの多言語教育には反対しているという内容を読んだことがあります。

留学時代に上級クラスの討論で、同じような内容を話し合ったことがあります。
幼少期からの英語教育は必要かと言う問いに、私は両親の国が違って2つの国の言葉を教えることはあっても、
両親が同じ国ならばまずは母語を教えてからでも遅くないのではないか、
まだ母語も確立していない段階で外国語をする必要がないのではないかと言う意見を話したことがあります。
しかしながら両親の国が違っていても、実際バイリンガルを育てるのは至難の業なのだと勉強しながら自分の知識のなさや浅はかさを感じていました。
思えば最近ダブル(以前はハーフと言っていましたが、最近はいい言葉ではないみたいですね。ミックスとも言われるそうで…)の芸能人も増えてきましたが、
顔だけ見れば外国の人のようなのに実際は日本語しかできないとか。
それもやはりバイリンガル教育の難しさなのかもしれません。

また寄田先生の記事を読んでいてとても面白くて共感したのが、私の生徒も日本語と韓国語を混ぜて話す生徒が多いことです。
私は冗談で「韓国語版ルー大柴」なんて冗談ぽく言いますし、全部韓国語で話して!と注意しますが、それを見ていた別の教室の生徒が、
「すごい!」
と言うのです。
「私はすぐに韓国語が出てこないです。一言でもすぐに口から出てくるのはすごいです!」
私的には欲張ってすべて韓国語でと言いますが、そうか…一言出すのも簡単なことじゃないのだと思いました。

私は海外旅行が好きで、せめて挨拶とかありがとうだけはその国の言葉で言えたら気持ちいいだろうと
ガイドブックを見て練習しても、実際現地では英語(簡単なものだけです)で言ったり、
気が抜けると韓国語で言ってしまったり、使い慣れていない言葉はすぐに出てきません。
その経験から言えば、生徒さんたちが日常使わない韓国語を流暢に話せるようになることってとても大変なのですね。

それでも生徒さんたちには韓国語を習得してほしいと、
毎回挨拶、安否(元気かどうか)、天気、気候、日付、時間、曜日、気分、1冊目の教科書の中間まで来たら한마디
を言ってもらいます。
日時などに関しては漢・固有数詞を習った後に追加します。
少し慣れてきたら、お互い日付や曜日や気分などの質問、한마디に対する質問をさせたりします。
しつこく同じことを言ってもらう、考えないですぐに口から出せるようにの、練習です。
特に数字は時間をかけていかないとスラスラ言えません。
まだ初級クラスばかりなのですが、まずは簡単なことから発せられるように練習しています。

今年こそ、コロナが少しでも収束して学んだ韓国語が韓国で使えたらと願うばかりです。

通信342 「私の韓国語講師・奮闘記28 貯金で話す韓国語」宮本千恵美

【週刊ハンガンネット通信】第342号 (2020年12月21日発行)
私の韓国語講師・奮闘記28「貯金で話す韓国語」
宮本千恵美
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ある先生からのアドバイスで、昨年からブログを始めました。
私の奮闘記と言う題名から、ブログで公開してみたらどうかと言うご提案でした。
自分の教室の宣伝にもなりますし、始めてみようと・・・まだまだ観覧数も少ないですが、のんびり続けております。
私のブログは韓国語に対する語彙や文法解説などは全くなく、講師生活の中で感じたことや考えをつらつら書いております。
最近感じたことを書いたブログの内容をここに書かせていただきたいと思います。
※ブログの書き方と少し変えてあります。

これは最近教室で感じたお話です。
私の元には独学者が来ることもあれば、留学経験者も訪ねてきます。
留学経験者だと聞くと上手なのではと期待してしまいます。
つい最近、1年間留学したという方にもお会いしましたが、ご本人曰く韓国語が抜けていくとお悩み中でした。
でも帰国したのは今年の6月だというので、そんなすぐ忘れるかと思いもしましたが、答えは簡単に出ました。
それは日本で韓国語を使う頻度がとても少ないということ。

大概は使ってないとか、現地の人とチャットなんかでは話すことがあっても、
結局はどんどん少なくなっていきメッセージだけになり…なんてこともよく聞きますし、私自身もその経験があります。
帰国すると忘れてしまうリスクは誰にでもあります。

またもう1つの傾向として、題名の通り「貯金で話す韓国語」。
簡単に言えば、残っている残高(韓国語)で話す、と言うことなのですが、話せてるのではと思うかもしれません。
しかしそれは話せていると言っても、よく使う文法・表現に助けられているだけで、伸びることがないのです。
そしてどんどん、一定の言い方しかできなくなったり、同じような文法を使うだけになったり。
実際は韓国にいた時のほうがもっといろいろな言い方をしていたと思います。
でも帰国すると、使う頻度が減る、それに伴って話す言葉も減り残ったもので話そうとなっていきます。

そこで維持しようと韓国人に会って何とか・・・で維持できれば良いのですが、維持できていない人がとても多いです。
例えば、毎日嫌でも韓国語を話す環境と、自分のしたい時にだけ話す韓国語、
どちらがが伸びるかと言えば断然前者ではないでしょうか。
でも日本にいる限りその環境を作ることは容易な事ではありません。

では、母語でない言語を教えている先生はなぜいつまでも話せるのか?
これも答えは簡単で毎日使うからです。
今日韓国語が嫌だと思っても、仕事で使わなければいけません。
韓国語で資料を作らなければいけません。
韓国語で話さなければいけません。
仕事として使っている以上は、維持しなくてはいけません。
少し留学の時と状況が似ています。
それが嫌だと思っても逃げられません(笑)

では、留学経験者などの学習経験者たちのどうしたらいいのでしょうか。
勿論教室に通うもありですし、韓国人の友人でも恋人でも作り密に連絡を取り合い話す機会を作るのもあり。
同じようなレベルの人たちで集まって話す機会を作るのもあり。
本人が望まなければ、そのレベルでい続けるのも勿論ありです。

でもやはり上達したいと思っている気持ちはどこかにあったり、周囲の人たちが向上していく姿を見て、
しておけば良かったと後悔することもあるでしょう。
また自分の学んだことを失いたくない・維持したいときは少なからず学習は続けるべきだと思います。
必ず教室に通うだけが良い方法とは言いませんが、
一人での学習継続が難しい人は教室や最近たくさん開催されているオンライン授業への参加するなど、
継続できる環境を作ったほうが良いです。
語学の学習は終わりはありません。
しかし一生続けられることがあるって、なんだか素敵なことだと思いました。

このブログは教室以外にも中上級者や留学経験者などの会話の場を作り、
自分自身の韓国語の維持のためにもカフェを開設した時に参加した受講生のことを書きました。
留学経験やワーホリの経験があり韓国の友人と話してはいましたが、
本人曰く「長い文章」、「自分の意見」もうまく言えない、また聞き取りも十分ではありませんでした。
自分のできる範囲で会話をしていたようですが、上達したいという思いがあり、もう1度学習を再開しました。
でも留学経験者ということで、答えるスピードは母語話者なみで、今からどれくらい伸びるかとても楽しみな生徒です。

通信334 私の韓国語講師・奮闘記27「ひたすら続ける」 宮本千恵美

【週刊ハンガンネット通信】第334号 (2020年9月21日発行)

私の韓国語講師・奮闘記27「ひたすら続ける」
宮本千恵美
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コロナ禍、すでに10か月近く経とうとしています。
ここ最近、生徒たちの覇気のなさ、教室が暗いように感じていました。
ある生徒はやる気がないんですと、悩みを話してきました。
理由を聞くと何か特別な事柄はありませんでしたが、本人曰く「コロナ疲れ」と言っていました。
何かあるわけでもなく、この長く続くコロナ禍の生活に疲れているようでした。
他の教室もほぼそんな感じで、また韓国に行けないこともとても大きな要因のようです。

それでも今はこの難局を乗り切るしかない!
恒例の「夏休みの宿題」を今年も発令し、家で必ず1本は韓国映画を字幕で観てくること、感想を書いてくることを出題しました。
最初はなんとなく乗り気じゃなかった生徒たちも、たくさん用意してあったDVDを見ながら映画の説明を聞くうちに興味が湧いてくるようでした。
中には2~3本観たいという生徒もいます。
最近は「パラサイト」などの映画や「愛の不時着」などのドラマが、韓国好きではない人達もこぞって観ていると聞きます。
また今までとは逆の現象で日本が韓国の映画やドラマをリメイクしたりなど、韓国の大衆文化が新たに日本に浸透してきています。
韓国の脚本が良い・・・と知り合いがSNSに書いているのを見ると、なんだかこちらも嬉しい気持ちになります。

そして私自身も最近の韓国映画・ドラマを観ながら、以前観ていた内容とはまた違う新たな韓国の世界に引き込まれています。
正直・・・面白い!

今年の夏休みの映画鑑賞は、レベルアップを実感できる年でもあったようです。
3年目に入ったクラスでは3回この宿題をしてきましたが、確実に聞き取りがアップしているとか、言っていることが分かってきたと手に取るように成果を感じているようでした。
このクラスはドラマ好きがあまりいないので、授業以外は韓国語に触れる機会がありません。
ドラマが好きな生徒は普段からも観ているので成果がいつも感じられるのに比べ、このようにたまに観る生徒は成果を感じられる喜びが大きいようです。
また聞き取れるようになってくると、以前に観た映画をもう一度観たらもっと聞き取れるようになっているのではないか、だからもう一度観たい!となんとも頼もしいことを言ってくれます。

そして各教室ごとの宿題の感想文の発表では、感想も年ごとに韓国語で話すことが増え楽しそうに発表しています。
その感想を聞いて他の生徒が興味を持ち、その映画を観たいと言い出し楽しみが増えていくようでした。
また映画の中には歴史的政治的背景の強いものもあり、日韓関係を知ることにも役に立っているようです。

「ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女(덕혜옹주)」を観た生徒は、元々韓国の時代劇が大好きで、この映画を薦めたところ、興味津々に借りていきました。
今まではあまり感想をたくさん書く方ではありませんでした。
今回に関しては映画の感想から聞き取れた韓国語に関してや学んだ文法などがどのように使うのかとても理解できたと、
以前にも増してレベルアップの実感とともに充実した気持ちで映画を観たとぎっしり書かれていました。
そして感動して泣いたそうです。(私も泣きましたTT)

韓国の文化に触れてほしいと始めたこの映画鑑賞と言う宿題が、少し形になってきたように思いました。
楽しそうに感想を話す生徒たちを観てもっと楽しんでもらえるように、学習の励みになるようなことをこれからもひたすら考えていきたいと思います。

通信326 「私の韓国語講師・奮闘記26 「“超”はチョー便利な言葉」」 宮本千恵美

【週刊ハンガンネット通信】第326号 (2020年7月13日発行)

私の韓国語講師・奮闘記26「“超”はチョー便利な言葉」
宮本千恵美
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中学生の時の話です。
国語の先生からいただいたハガキを嬉しく受け取った時の事、両親は
「この先生、本当に達筆だ!」
と感心していました。
私はその先生をとても尊敬していたので、ハガキをいただけるだけでも嬉しかったのですが、残念なことが1つありました。
それは達筆すぎて中学生の私には読めなかったことです。
すごい書だと言われる習字の文字が読めない、その時と同じように先生も文字は達筆すぎる故に書をたしなんでいない人にとっては難解な文字になっていました。

生徒が韓国のドラマや映画のタイトルが読めないと話してくることがあります。
韓国の習字文字で、韓国語を学び始めた人にとっては私が冒頭に書いたように難解な文字に見えるのでしょう。
漢字に比べればハングルに慣れると読めるようにはなりますが、その文字でもなんでも学ぶ側は何と書いてあるのか気になってしょうがないのです。

学生のころ、もう1つとても不思議に思っていたことがあります。
それは国語辞典に関してですが、どうしてわからない言葉を調べているのにこんなに難しく解説するのだろうか、と言う疑問を常に持っていました。
だから調べた後もなんとなく理解できているようで、なんとなくで納得させている感じで終わらせていました。
当時は比較できるほどたくさんの辞書を見る機会もなく、こんなものかなと適当に流していたように思います。

現在、自分自身が韓国語を教える立場になり、資料を作ったりこのように記事を書く際も言葉選びに非常に神経を使うようになりました。
どんなふうに書けば分かりやすいだろうか、どんな言葉が適しているのだろうか、どんな言葉を使えば格好いいだろうか、専門的に見えるだろうか?
普段使っている方言は勿論の事、丁寧な文章を心掛け、先生らしい綺麗な言葉で、とちょっと背伸びしています。

そんな中、授業中に昔感じたような疑問がふつふつと蘇ったことがありました。
初級1~2に移行するくらいのレベルの教室でのことです。
まだすべてを韓国語で説明するには不十分で、日本語の解説も必要なクラスです。
似ている単語が出る頻度も増え、その違いの説明も必要になってきました。

ある単語で私が疑問に思う単語が出てきました。
「아마도」という言葉、生徒たちも「아마」とは何が違うのかと勿論の事質問してきます。
辞書では「아마」の強勢語だとの解説、でも多分の強勢って?
日本語で訳すと、「多分、恐らく、大方」ならば、それを強く言うってどういうこと?
私自身がなんとも曖昧な気分の中で生徒たちに十分な説明もしづらく、辞書の言葉をそのまま引用しても十分な説明ができずにいました。(日韓の辞書はまだ理解しずらい解説が多いような気がします。)

そんな時生徒の一人が、
「超多分ってことですか?」
という一言に、私はハッとしました。
『・・・! 分かりやすい!(心の声)』
思わず、納得していました。

他のクラスでもこの説明をした瞬間、一瞬で理解していました。
「超・チョー」は日本では1990年代の流行語として、今でもその言葉を強調する時に一緒に使われ定着してきました。
きれいな言葉かと聞かれれば正直きれいとは言い切れませんが、説明する時にどんな言葉よりも入ってきやすいです。
私も知らず知らずによく使いますし、ことば1つで理解できる言葉になっています。

また最近では「チンチャ、それな」のような日本語と韓国語を融合した流行語があるそうで、以前はそれが英語だったと思えば、近年韓国語が若い世代に普通に浸透していることに驚きを隠せません。
ただ「チンチャ、それな」は既に古いそうで、生徒は「チンチャ、クレ(진짜 그래)」をよく使い、自分なりの言い方を模索しています。
若い人たちの感性や突発力には脱帽で、とても勉強になります。
またその気持ちが語学学習の意欲にも繋がっているのだと思います。
生徒たちの自由な発想に便乗し、私も授業でも有難く使わせてもらっています。

最近では日本の国語辞典も、解説を分かりやすく表記するように改定されてきているとニュースで聞いたことがあります。
そのニュースを見ながら、当時私が疑問に思っていた難解な辞書解説の問題も、私だけが疑問に思っていたのではなく多くの人が使いづらかったのかもしれないと思いました。

以前は美しい日本語、美しい文字で、きれいな表現でという世間一般の当たり前の常識的思考も少しずつ変化しているのかと思いました。
確かにきれいな文字には憧れますが、読めること、誰にでも理解できることのほうが大切なのではないかと思うのです。
そしていつのまにか先生としてと言うガチガチな思考に陥っていた私自身にも、柔軟性が必要だなとしみじみ感じました。

通信319 私の韓国語講師・奮闘記25「カタカナ語」 宮本千恵美

【週刊ハンガンネット通信】第319号 (2020年5月4日発行)

私の韓国語講師・奮闘記25 「カタカナ語」
宮本千恵美
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まず最初に・・・ハンガンネットの講師の先生方のご家族ご親族の中には、新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、
私たちの生活や健康を支えてくれている医師や看護師などの医療従事者、危機対応にあたる公務員、配達を担う物流事業者、
スーパーやドラッグストアなどの販売員のみなさん、バスや地下鉄など公共交通の職員などの業務に関係の方々がいらっしゃると思います。
この場をお借りして一言、お礼を言わせてください。
毎日、本当にお疲れ様です。心から感謝申し上げますm(__)m

私自身もコロナ問題がここまで深刻化するとは予想できず、未曽有の大災害だと感じています。
教室は勿論のこと休講、またオンライン授業も生徒さんたちからの希望で移行できませんでした。
それでも韓国語を忘れてしまうのではないかとか、生徒さんたちの漠然とした不安の1つに韓国語学習に対しても
感じてもらえることは嬉しいですが、でもなかなか学習継続の術がない状況であります。

現在は特別授業として無料オンライン授業をしながら、生徒さんたちにまずは韓国語を忘れないでね、
と何とか気持ちを持ち続けてもらうようにしております。
多分そうだとは思っているだけですが、全国のどの教室もとても大変だと思います。
それでもSNSなどで多くの先生方が一生懸命授業をしている姿に元気をもらっています。
配信していらっしゃる先生、多方面での取り組みを思索してくださっている先生方にも、この場を借りてお礼を言わせてください。
本当に力になっています!ありがとうございます!

コロナのことが毎日TVなどで報道されています。
正直うんざりしながらも、もう1つ頭を悩ませることがあります。
それはコロナに関しての用語がすべてカタカナ語(英語でしょうね)だと言うことです。

私は早々と英語を諦めている…と言いながら万年英語学習者で、でもやはり英語はできないという感じです。
なので、最近の流行語も英語が合わさると理解ができないことが多いです。

例えば「クラスター」、私はてっきり「集団感染」だと思っていましたが、「感染者小集団」という意味であり、集団感染のような大規模の感染ではありませんでした。
また「ソーシャルディスタンス」…?? 多分年配の方などは「ディスタンス」を「デスタンス」と呼びそうですし、それ以前に覚えられないと思います。
「オーバーシュート」、やりすぎたシュート?
この文字を漢語的な表記にすると表現がかたくなるとか、カタカナのほうが印象はマイルドになるとか・・・いやいや大切なのは印象じゃないでしょうと思うのです。
聞いてすぐ理解できることのほうが大切なのに、「クラスタ-」、「ソーシャルディスタンス」、「オーバーシュート」と聞いてすぐに日本人は理解できるでしょうか。
そしてそんな言葉の混乱は非常に危険だと論じている記事も拝見したことがあります。
それが現在問題になっている誤用の誘発を促しかねません。

以前ある集まりに参加した時には、その横文字で話す人が多すぎて話についていけないときがありました。
勿論こちらの勉強不足ではありますが、後々調べると日本語だったら理解できることばでした。
それを横文字で言うことってどうなのだろうと最近感じています。

「教養としての言語学(鈴木孝夫著/岩波新書)」には言語干渉の一説に韓国のことも紹介されていました。
韓国では日本語の干渉を食い止めるため、国語(クゴ)の純化自立を保持するために言語政策をとっている、
その1つが町中の看板をすべてハングル表記にすることだったと書かれていました。
実際に今でも私の生徒さんたちが韓国に行き感動することが、看板を読めるようになったことなのです。
つまりはハングルが読めないと看板が読めないわけですが、それが学習者には楽しみの一つになるのです。
勿論、韓国人たちが日本人ように「横文字」に当たる言葉を全く使わないわけじゃありませんが、やはり韓国語は固有語を使う傾向を強く感じます。
そのように自国の言葉を守ることは、その国のアイデンティティーを守ることになるのだと思います。
(英語ばかり使っていると言いながらアイデンティティーなんて使ってしまってすみません><;;正直正しく使っているのか不安です…。)

韓国語を教えるようになってから母語にも興味が出てきたことは、やはり私自身のアイデンティティーは日本にあるのだと思いますし、
国際化している・グローバル化していても個々の「自分らしさ」を失ってはいけないと思います。
長々と書きましたが、コロナ&カタカナ疲れしているのが正直な気持ちです(汗)

特別授業で、生徒に自粛生活での週末の過ごし方を聞いたとき、
「スピリチュアルカウンセリング을 받았어요.」を言われ、卒倒しました…。
横文字もういいです(笑)!