通信424 「 教科書選び」寄田晴代通信424

【週刊ハンガンネット通信】第424号 (2023年1月16日発行)

「 教科書選び」
寄田晴代
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新年になったと思ったら、もう1月も中旬。早いですね。
来年度の授業に向けて、準備も始まっていることとと思います。
準備の中で私が毎年悩むものの一つに教科書選びがあります。
毎年出る様々な新刊教科書を見ては、こんなのも使ってみたい、いや、去年と同じものでいこう、などど楽しみながら悩むのです。
みなさんは何を基準に教科書を選ばれるでしょうか。

受講者によって選ぶ教科書も変わってきますが、市民講座の場合は、1.字が小さすぎないこと、2.わかりやすい説明があるもの、をまず最初に探します。
市民講座では高齢の方もたくさんいらっしゃるので、字が読みやすい大きさであることが結構大事だと思っています。(字が小さいだけでストレスになるというのは、最近私も共感できるようになってきました。)

2.については、自分で予習復習するときに、教科書に説明がわかりやすく書いてあると助かる、と受講生の方々に言われたことがあるからです。こちらとしては授業で聞く説明を書き留めればいいのでは、と思っていたのですが、授業中に聞きながら書いて、考えて、というのは結構忙しいので、メモし損なったり聞き逃したりすることもあると気づきました。
教える側としては、文法の練習問題だけでなく、聞き取り問題や会話できる活動があると嬉しいのはもちろんですが、困るのは、未習事項が何の説明もなく突然文中に出てきたり、家族のことについて尋ねる活動が出てくるときです。

以前、敬語を学ぶ課で「お父さんは何のお仕事をなさっていますか」と尋ねる練習がありました。若い学生に「お父さんに会ったことないからわかりませーん」と言われてヒヤッとしたことがあります。それ以来、何の話題にしてもデリカシーのない質問にならないか気を配るようになりました。

また、学習内容とは直接関係ないように思われますが、挿絵も私は影響を受けます。私の場合、挿絵が気に入るとそのページのフレーズと一緒に頭に格納されるのです。楽しげな挿絵があると、学習内容が難しくないように思わせる効果があるのではないかとも思っています。
それからもう一つ、重い教科書は避けたい、と思うようになりました。
お正月を迎えるたびに、注文が増える自分を感じています。

通信416 「 発音うまくなりたい」寄田晴代

【週刊ハンガンネット通信】第416号 (2022年11月21日発行)

発音うまくなりたい
寄田晴代
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12月4日(日)13時からのハンガンネットセミナーは「音声添削実習」です。
受講生の発音指導のための音声添削を、ワークショップ形式で前田真彦先生と一緒にやってみます。

ここで、自分は発音をどのように学んできたのか思い出してみました。
私が韓国語を勉強し始めた頃は、本屋に行ってもテキストが2~3種類くらいしかなく、音声教材もありませんでした。それで、もっぱらテキストを書き写しまくり、単語を書きまくり、勝手に音読しまくり、という方法で独学していました。大学の授業中も、授業と全く関係ないハングル文字をひたすら書いている私の手元を見て「それ何?」と隣の席の人によく聞かれたものでした。

文法や単語はどんどん覚えていい調子だったのですが、音声教材なしに勝手に音読を続けたため(だと思います)自由気ままなイントネーションと発音を身につけてしまいました。
大学生の頃は年に2回、毎年韓国でボランティア活動に参加し韓国人の友人もたくさんできていました。彼ら彼女らと韓国語で話すときは未熟ながらもそんなに困らなかったので、イケている、でもなんか違うかも私の話し方、と思っていました。
通じるけれど、ときどき尋ね返されたり、少し話すとすぐ日本人だとバレる自分の韓国語をなんとかしたいと思っていました。ネイティブスピーカーのように格好よく話したかったのです。

韓国語の抑揚や発音についての書籍に出会うのはそれからずっと後のことです。
何の知識もなかった私が思いついたのは真似することでした。聞こえる韓国語をとにかく真似する。歌を真似して歌うように、音の高低から強弱から真似する。それをしつこく続けていました。
韓国に住んでいたときは、地下鉄やバスの中で聞こえる会話も真似してぶつぶつつぶやいていました。(これが癖になって日本語で話しかけられても真似をしてオウム返しに答えてしまうという変な時期がありました)

ただ、この方法の欠点は、本当に同じように話せているのか、録音して聞いてみないとわからないところです。そして、どうやって同じ発音になるのかを勘に頼って試行錯誤するので、時間がかかります。
それでも、真似しようと一生懸命聞くことにも集中した結果、韓国語を話すときのリズムや日本語と違う息の出し方などに気づくことができました。(今でも韓国ドラマを見ながらつい真似してしまい、家族にうるさがられています。)

以前、韓国語の単語を読み上げて、同僚の韓国人の先生たちに発音をチェックしてもらったことがあります。
ㅇやㄱ の終声を指摘されるかと思っていたら「『감자』 のㅁが甘い」と言われ、自分じゃわからんもんやな~と改めて思いました。そう、誰かに指摘されなくてはわからないのです。

また、自分が上達するためにあれこれ工夫し努力できても、人を指導するのはまた別物ですよね。
発音をことばだけで説明するのはなかなか難しいと感じています。
受講生が納得できるように直すべきところを気づかせ指導するのに、音声添削をうまく活用できるようになれたら指導しやすくなるのでは、と思っています。

12月のハンガンネットセミナー、みなさまのご参加をお待ちしています。

通信408 「受講生の気持ち」寄田晴代

【週刊ハンガンネット通信】第408号 (2022年9月19日発行)

受講生の気持ち
寄田晴代
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9月4日に行われたハンガンネットお茶会では「韓国語学習者座談会」やアンケートを通じて、受講生の気持ちや考えを知る機会になりました。(たくさんのご参加ありがとうございました!)「やっぱりそうか」と思う話や「え、そんなこと考えるの?」とちょっと驚く話もありました。

私も対面やオンラインで講座を受講することが時々あるのですが、自分が受講生になると、いろいろと気づきがあります。

以前、学生相手のオンライン授業を私がしていたときのことですが、アンケートに「回線が一瞬切れて聞こえなかっただけなのに『聞いてなかったのか』と叱られた」と書かれたことがありました。叱った記憶はないのですが、言い方がきつかったのかもしれません。その時は「じゃあ、その場で言ってよ」と思いました。
ところが、同じことが、自分が受講生の時に起こったのでした。一瞬回線が切れて聞こえなくなり、先生に「聞いてなかったんですか」と言われたのです。
その時わかったのは、わざわざミュート解除して釈明するのは授業の流れを止めてしまいそうで、しづらい場合があること。
感情を込めて注意すると「先生怒っとる」と思われること。あの学生はさぞかし気分が悪かったであろう、と今さらながらに反省したのでした。

また、受講生として次のようなことも感じました。
先生が明るいと受講生全体がリラックスするのが感じられます。そして課題が難しくても暗い雰囲気になりません。
先生が少々コワくても、準備がちゃんとなされていて丁寧に指導してくれるなら、がんばろう、続けよう、と思います。
(受講生皆が私のように感じるかはわかりませんが。)

講師は授業に備えて万全の態勢で臨んでいると思うのですが、受講生の事情は様々ではないでしょうか。特に大人の受講生の場合は、早朝から仕事や家事や家族の世話で休む間もなく動き回っていた人、この頃体調が良くない人、何か心配事のある人、、。
PCの前に座る時間を捻出するために努力している人もいるかもしれません。
講師側は一生懸命授業しているから一生懸命応えてほしいと思いがちなのですが、様々な事情の受講生がいることも忘れず、価値ある時間を提供できればと思います。

通信400 「ババア」と「オバハン」寄田晴代

【週刊ハンガンネット通信】第400号 (2022年7月25日発行)

「ババア」と「オバハン」
寄田晴代
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ソウルから東京に引っ越してきて早くも7回目の夏を迎えています。
大阪人の私にとってこちらで未だに違和感を感じる文化はいろいろあって、今頃お盆なのね、とか、なんで黒蜜のついたところてんが売ってないの?とか、毎年つぶやいています。
今回は先日友達の発言に、これも文化の違いか!?と、驚かされた話を書きます。

「男の人ってすぐに『ババア』っていうよね」と友人は言いました。(事の真偽はここでは問題としないことにします。)
え?どんなお友達とつきあってんの?「男の人って」っていうくくり方も雑過ぎない?と言いたいのを飲み込み「へー、(東京近辺では)そうなん?」と、まずは驚きの声を出しました。
だって私にとって「ババア」とは、回し蹴りして逆さづりにして島流しにしてやりたいと思うほどの悪口です。それを乱発する人がここでは珍しくないとは!(友人の名誉のために言い添えると、彼女自身は良識のある普通の人です。)
大阪人の私には「ババア」という言葉にはあまりなじみがなく、そのせいかキツく聞こえるのです。大阪で似たようなことばといえば「オバハン」でしょうか。これも面と向かって言われるとムカッとくる言葉ではありますが、親しみを込めて冗談で用いられる場合もあります。
他の大阪の友人たちにも聞いてみたところ「『オバハン』は許せるが『ババア』は許せん」というのが共通した意見でした。また、「『ババア』と単独で言われることはまずなく必ず頭に『クソ』がつく。この場合相手は臨戦態勢である」と教えてくれた窓口相談業務を仕事としている友人もいました。
では西地域が皆そうかといううとそうでもなく、広島人の夫は「ババア」の方が馴染みのある言葉で、激怒するような言葉とは思っていないようです。
同じ言葉でも、使われる地域、言われる相手によってはインパクトが違うのですね。冗談でも使えない場合があるので、特に悪口関係は要注意だと思いました。似たような例に「バカ」と「アホ」もありますね。ふたつとも同じ意味でありながら、東京アクセントで「バカ」と言われると、大阪人は本当に馬鹿にされていると受け止めます。皆さんの地域ではいかがでしょう。
そして、韓国語でもこのように、同じ単語(やや悪口系)でも地域によって受け止められ方が違うものがあるのか気になるところです。ご存じの方がいらっしゃったら是非教えてください。

通信392 「目的のある雑談」寄田 晴代

【週刊ハンガンネット通信】第392号 (2022年5月30日発行)

目的のある雑談
寄田 晴代
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6月26日(日)のハンガンネットセミナーは、日下先生のライブ授業を通して「楽しい授業」について考えます。
それでずっと楽しい授業って何だろう、と考えを巡らせているのですが、人材開発の世界的権威であるボブ・パイクさんが「学習と楽しさは比例する」、つまり楽しかったら学習が進む、と書いているのを読んで、ますます楽しい授業に関心が湧いてきているところです。

自分が受講生として学ぶときは、新しいことを知るととてもワクワクします。間違っても恥ずかしくない環境(雰囲気)だと安心して、もっと楽しめるように思います。しかし、講師の側になると、楽しくやれる日もあれば、受講生の息切れが聞こえてくるときもあります。

ちょっとクラスの雰囲気を立て直したいとき、次の活動に切り替えるときなど、私は雑談をはさむことがあります。受講生から話題提供が始まって雑談が始まることもありますが、みんなで笑いながら話をすると、2,3分でもリフレッシュできるようです。また、受講生同士が仲良くなるのにも効果があります。そうなると、授業で発言しやすくなったり、間違いを恐れる度合いが低くなるように思います。

ところが、雑談にのってこない人もいます。初めは、クラスの人とウマが合わないのか?と心配したりしたのですが、必要のない話には興味を持たない人もいることを知り、納得。(私は自分に必要あるなしに関わらず何でも「へー」と面白がって聞くタイプなので、そんな人がいるとは教えられるまで気づきませんでした。)
それで、そういうスタイルのメンバーがいるときは、学習に役立ちそうな自分の体験談や見聞きした話、学習項目に関連した話を盛り込むようにしました。
雑談というのはもともと目的のない話ですが、受講性にとっては目的のない話でも、講師側からは「授業の雰囲気を楽し気に作り」「リラックスしてもらって」と、目的のある話になります。何気なく思い出した雑談風に話を切り出したりするのですが、実はいつもネタ探しに力を入れていたりするわけです。
クラスによってはそれを韓国語で話したり、韓国語の後に日本語訳で話したりしています。キーワードをいくつか黒板に書いて見せて、韓国語で話をする、というのもよくします。

それから、話す際は誰かが居心地悪くなるような話題を避けることはもちろんですが、同じ話を何回もしてしまわないように気をつけています。
これ大事。

通信385 「授業と平和」寄田晴代

【週刊ハンガンネット通信】第385号 (2022年4月4日発行)

授業と平和
寄田晴代
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連日ニュースを通して見聞きするウクライナ情勢に胸が痛くなります。
そして、今さらながら生命の危機にさらされて暮らす人は、ウクライナ以外でも少なくないことを思い出します。

ある国から一時帰国した人からこんな話を聞いたことがあります。
現地で日本語を教えている人なのですが、政権が替わって以来、教育の現場も影響を受けているという話でした。
授業で「~したい・~がほしい」の練習をしたとき、学生に「今、何がほしいですか。」と尋ねると、「平和がほしいです」という答えが返ってきたそうです。
また、最近の出来事を自由に話してもらう時間には「隣の家に警察が来て隣の人が連れて行かれました。」「近所で爆発がありました。」「親が病気で病院に連れて行ったのですが、病院では不服従運動をしていて診察してもらえませんでした。それで親は死にました。」などなど。
なんとコメントをすればいいのかわからない「最近の出来事」ではありませんか。

コロナ禍でオンライン授業をしているときには、こんなこともあったそうです。授業中に学生が突然「ちょっとインターネット切ります」というので、訳を聞くと「近所に軍や警察がいっぱい来ているのが窓から見えるので」。あらぬ嫌疑をかけられないように用心しているようです。
オンライン授業中に突然インターネット回線が切れたことがあったそうで、後で知ったその原因は、近所の電柱が爆破されたためだったそうです。

日本に帰国しているときも、スパイがいるから大勢の前で現政権の批判をすると危ないとも聞きました。

たまたま安全な地域で暮らす私は、どうしたらいいのか、何をすべきなのか答えは簡単ではないのですが、せめて自分が教えている言語が人と人をつなぐ、平和に寄与するものとして使われてほしいと思ったりするのです。
授業の準備大変、とかぼやくのは「배부른 소리」ですね。

通信378「そんな言葉知らない」寄田晴代

【週刊ハンガンネット通信】第378号 (2022年2月7日発行)

そんな言葉知らない
寄田晴代
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今週11日(金)にはハンガンネトオンラインセミナーが開催されますね。
1時間目の「年間行事のねらいと効果」、2時間目のTOPIK中級問題を使ったライブ授業も楽しみです。

TOPIKの読解といえば、若い学生の授業ではときどきちょっと困ることがあります。
それは、長文を日本語に訳しても、その日本語の文章の意味がわからないことがあるからです。
TOPIK中級の論説調の文になると馴染みのない漢字語がたくさん登場し、テーマも経済や歴史や福祉や、
普段友達との会話には出てこないものも少なくありません。
それで、訳した後にその文章の解説そのものをするのに時間がかかることがあります。社会科か国語の時間のようです。
その時文中に出てくる日本語に対して、しばしば「そんな言葉知らない」「そんな言葉使わない」「そんな言葉使ってる人見たことない」という言葉が返ってきます。
そのたびに、話し言葉と文章言葉は違うんだよ、とか、あなたたちが知らないだけで使う人はいるんです、とか、そんなこと言ってる場合ですか、TOPIKには出るんですよ、とか言って説き伏せることになります。

「知らない言葉」は難しい漢字語だけではありません。あるテキストには、夏に使う道具の紹介で모기장や돗자리が出てきます。
蚊帳は知らないだろうと思っていましたが、茣蓙(ござ)や、すだれまで知らないとは予想外でした。(「ブルーシートみたいなやつですか?」と言われました。)

先日テレビで見た話です。小学校の算数の授業で「〇〇円を持って買い物に行きました。△△円のものを2個、□□円のものを3個買いました。おつりはいくらでしょう。」という問題を出したところ、子どもたちがポカンとしているというのです。聞いてみると「おつり」の意味が分からなかったとのこと。キャッシュレス支払いが進み、親が現金で支払う姿を見たことがない子どもが多いためだそうです。
知らない言葉があると外国語学習以外でも、このようにうまくことが運びません。

私たちの生活がどんどん変わり、使われる言葉もどんどん様変わりしていくのを感じます。
同じ日本語母語話者だから、当然通じると思って使っている日本語も、実は通じていないこともあるのかなと思わされました。
また、「『古い』言葉知らない」現象の一方で、「『新しい』言葉知らない」現象も考えられます。
こっちは自分が気をつけなくては、と思っています。(グリーンな水素って、気体に色がついているの?とか言ってしまいそう。)

どんな言葉を使うか、知っているかは、年齢、地域、同居家族、性別、生い立ちなど、様々な要因が関わってきますから、自分が使わないだけで他の人も使わないと簡単に断言するのは難しいかもしれません。そう考えると、自分の日本語の語彙力も心細くなってきます。
そして、韓国語の語彙を増やすことが大事なのはもちろんですが、やはり最後の勝負は母語の語彙力にかかっているのではと思うのです。

通信366 「発音苦労話」寄田晴代

【週刊ハンガンネット通信】第366号 (2021年9月27日発行)
発音苦労話
寄田晴代
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昨日のハンガンネットセミナーには(第1部:発音クリニックリレーライブ 第2部:オンライン時代の教え方)40名を越える方々に参加していただき、盛況のうちに終えることができました。
ありがとうございました。
改めて「発音指導」への関心の強さを実感しました。

韓国語が母語でない私は、自分はできているのだろうか、というところがいつも気になります。ネイティブスピーカーのようにはいかなくても、講師としての信頼を得るためには、ある程度のレベルを習得していなければならないからです。
今日は、自分が学習者としての発音・イントネーションで苦労した話を書いてみます。

発音に関する思い出ならいくらでもあります。
韓国で、封筒(봉투)ください、と言ったのに、ボンドを渡されたり、タクシーの運転手さんに「明洞」と何回言っても通じなかったり。
(結局最後にはわかってもらえたのですが、運転手さんが「あ~,명동?」といったとき「私の発音と何が違うんだよっ!」と思ったのを
覚えています。)
「通じない発音」から脱却した後も「不自然な抑揚」が悩みの種でした。買い物に行って、一言話しただけで「日本人でしょ?」と言われるのです。(「釜山から来たの?」もよく言われました。関西アクセント韓国語だったんですね。)

韓国語の意思疎通では何も不自由がなかったのですが、日本人だとバレるのが嫌で、韓国に住んでいたときはタクシーに乗ったらほとんど口をききませんでした。家族そろってタクシーに乗る時も同じで、誰も口をききません。小学生の子どもたちまで、一言も話さず黙って窓の外を見ている。用があって話すときはひそひそ声。なんて不気味な家族を乗せてしまったんだ、と運転手さんは思ったことでしょう。

独学で韓国語を習得した私は、音声教材もほとんどない時代、一人で一生懸命音読を続けた結果、独自のイントネーションを身に着けていたと思われます。一方、韓国人と区別がつかないくらい、上手に韓国語を話す日本人の友人が身近にいたので、自分も練習すればそうなれるかも、と思って続けられたのでしょう。(その友人は日本人よりも韓国人と一緒にいる時間が断然長い人でした。)

ある時、知り合いの韓国人のおばさんにこう言われました。
「お笑い番組に、日本人の韓国語を真似をする芸人がいるんだけれど、あなたの話し方、その人にそっくりね。」
がーん。
悔しくて、練習に拍車がかかりました。やっぱり、自然に話せるようになりたいと思いました。
テレビを見ながら、ラジオを聴きながら、聞こえたものをずっと真似することを続けていました。
地下鉄の中で聞こえる会話も、大声で真似できないときは、ハミングで歌うようにイントネーションを真似していました。
(これが癖になり、日本人と話しているときもシャドーインしてしまうことも。)

学習者として飛躍したきっかけは私の場合「悔しさ」で、効き目があったのは「お手本に基づいたしつこい練習」でした。そして
後に教える立場になって韓国語の発音や抑揚に関する知識を本や講座から得て、実体験と合致し腑に落ちた、という感じです。

発音や抑揚を指導することは、こうして自分が練習を積んで身につけることとは、また違った難しさがあります。
学習者はどこまで指摘してほしいのか。通じればいいのか、もっと自然な発音や抑揚で話したいのか、人によって違うでしょう。
また、指導するときの表現、言い方にも配慮が欠かせません。
指摘内容は正しくても、伝え方を間違うと相手を傷つけたり、ストレスを与えたりしかねません。
特にオンライン授業だと、雰囲気を把握しにくかったり、授業後に相手の気持ちを修復する雑談などのチャンスがなかったりするので、対面よりも言葉に気をつけています。
でも、発音・抑揚ばかりは指摘してもらわないと一人で克服するのは難しいのですよね。

昨日の発音ライブ指導では、前田先生と金順玉先生の「明るく」「励まし」「テンポがいい」ご指導が印象的でした。

次回のハンガンネットセミナーは2月11日を予定しています。お楽しみに。

通信349 「子どものころから暮らせばバイリンガル?」寄田晴代

【週刊ハンガンネット通信】第349号 (2021年2月27日発行)
子どものころから暮らせばバイリンガル?
寄田晴代
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毎年春が巡ってくるたびに「帰国して○年目」と数えてしまいます。
来月で韓国から日本に戻って6年。そして、うちの末っ子が韓国で暮らした年月と日本で暮らした年月がちょうど同じ長さになります。
2歳で韓国に渡り8年住んでいた、というと、ネイティブスピーカー並みの「日韓バイリンガル」に成長したと思われるかもしれません。
今回はそのことについて書きたいと思います。

私たち家族が韓国へ引っ越すことになったとき、彼は2歳になったところでした。2度目の韓国生活に浮かれる私とは対照的に、さぞ苦労が多かっただろうと想像します。
なにしろ、やっと言葉が少し話せるようになったと思ったら、いきなりそれが通じない世界に連れて行かれたのですから。

息子は、小学校へ上がるまでは近所の保育園(어린이집)で朝から夕方まで過ごしていました。
ピアノ教室でも、もちろん全部韓国語です。
帰国する頃には私の息子は韓国語ペラペラ間違いなし、、、母(私です)は夢想したのでした。

ところがです。
これがいっこうにペラペラにならない。話すには話すのですが流暢ではなく、母のイメージとちょっと違う。
「친구がお膳の上に上って선생님が怒らはってん」というように、話の中に韓国語の単語が混じったりもしました。
面白いと思ったのは、家で私とお店屋さんごっこをして遊ぶ時は、私が日本語を使うと「엄마,한국말 해~!」と怒ることでした。
日本語を使うと어린이집のような楽しい気分にならないのでしょう。

男の子は女の子より言葉が遅く発達すると、子育て中の親の間でよく言われるのですが、それにしても遅すぎる。
そこで、어린이집では韓国語を話しているのか?と担任の先生に聞いてみたところ「お友達が助けてくれるので、あまり話さなくても困らない」と
おっしゃるではありませんか。
気の利く女子たちが「선생님!この子だけ牛乳がありません!」とか「工作の材料がほしいみたいです!」とか、息子が全部言う前に、もしくは何か言う前に代わりに言ってくれてお世話(?)してくれると言うのです。
(「あー、こういう時に챙겨 주다って使うのね」と思いながら先生の話を聞いていた覚えがあります。)

小学校は日本人学校に入学しました。
日本の学校と同じカリキュラムで日本から来た先生に授業を受け、学校生活はすべて日本語でしたが、サッカー教室、水泳教室、ピアノ학원、教会学校など、その他の活動はすべて韓国語の世界でした。
しかし、彼のそばにはいつも韓国語が話せるお友達がいて自分ががんばって話さなければいけない状況にはありませんでした。
そのせいか、いつまでたっても韓国語を流暢に話す姿は見られません。
単語は日常生活で使うものくらいしか知らないようなので、どれくらい聞き取れているのか定かではありません。
ハングル文字は어린이집で習ったので少し書けました。学校でも週1回韓国語の授業があったので、そのときに書く機会があったようですが、作文を書くレベルではありませんでした。

学校のお友達の中には、両親とも日本人でも、家庭教師に韓国語を習い2年くらいで韓国語の本を読んで楽しめるようになった子もいました。
日本語も韓国語も流暢に話せる子どももいるのに、なんであんなふうにならないのか、と残念に思っていました。
いくら若くたって必要がなければ言葉はマスターしないんだ、と痛感。恥ずかしがりなキャラクターも災いしたようです。
毎日テレビのアニメ(「アンパンマン」や「とっとこハム太郎」の韓国語版)を見る時、一時子どもたちに乞われるままに同時通訳してあげていたのですが、あれもまずかったか?と後悔したり。

ある日、韓国人のママ友に「うちの子、なかなか韓国語が話せるようにならなくて」と話すと「え?엄마がいないときはフツ―に話していますけれど」と聞いてあんぐり。どうやら必要なことは話せるらしい、と知りました。
確かに、口数は少ないが、話す韓国語の発音や抑揚は自然な感じです。
今でも、7歳年上の姉が話す日本人的韓国語を聞いて「ぷぷっ」と笑う不敵な態度を見せることもあります。
しかし、韓国語の語彙数や表現は同年齢の韓国人ほどではありません。
そして小学生になってから、日本語の方も頼りないことに気づき始めました。

日本にいるときよりも耳や目から入る日本がが少ないので、より熱心に毎日本の読み聞かせをしていたのですが、どうも息子の言葉には韓国語チックな日本語が混じるとか、日本語の語彙が少ないのでは、と思うようになりました。
二つの言葉に触れれば1+1=2のバイリンガルになると思われますが、どちらも中途半端な1+1=1もありうるようです。
(ちなみに、母語と同レベルで外国語を使いこなせなくても「バイリンガル」と言う、と読んだことがありますが。)

考えてみれば、ある人が2種類の言語を使っていても、それぞれお言語をを年齢に相応しく社会的にも不自由なく使いこなしているかどうかは、同じくらい二つの言語が使える人にしかわからないものです。
小さい時から外国にいるからといって、必ずしもその国の言葉をネイティブのようにマスターできるわけではないのだと体験したわけです。
(うちの子は特別に外国語の才能がないのかと思ったのですが、学校の英語は普通に学べているようです。)

一方、姉の方は意識的に韓国語を学習していますので語彙力や文法の知識は弟と比べ物になりません。TOPIKやハングル検定にも意欲的に挑戦中です。
これは、日本語の力が安定してきた小学校中学年から韓国語に触れ始めたことも関係あるかもしれません。芯になる母語がしっかりしている方が外国語習得も早いと思うのです。稼ぐに追いつく貧乏なし。学ぶに追いつくペラペラなし、です。

「留学でもしないと自由に話せるようになれない」と嘆く学習者に出会うたびに息子の話をして励ましているのですが、似たような経験をされた方も結構いらっしゃるのではないでしょうか。