通信544「音声だけで外国語習得?」寄田晴代

=================================================
【週刊ハンガンネット通信】第544号 (2025年8月13日発行)
「音声だけで外国語習得?」寄田晴代
=================================================

 540号幡野先生の「ハングルを介さずに韓国語を教えられるか上達するか」を読んだとき、そんな人が自分のクラスに来たらどうするだろうか、と考えてみました。

1.学習の目的、韓国語を学んで何をしたいか、を聞く。(旅行で使いたい、韓国人の友人とおしゃべりを楽しみたい、K-popをカッコよく歌いたい→これくらいならハングルを知らなくてもできるかも)

2.これ以外のことをしたいなら、将来的にハングルを読む必要が出てくるのでは、と説明する。例えば、一人で学習を発展させたい場合ハングルを読めた方がいい。なぜなら、中級以上でハングルを読めない人用のテキストを日本で見たことがないから。(では、そんなテキストがあれば売れるのでしょうか?)

以上のように、私も限定的な場合を除いて、ハングルは必要と思っていました。

確かに韓国ドラマを見ていただけで、聞いたり話したりできるようになった人はいると聞きますが、それが実際どれくらい使い物になるのかは会ったことがないのでわかりません。

一方で、ハングルを覚えるのに費やす時間をもっと短くしたい。早く話せる時間に移行したい、でもまだ読めないひといるしな~というジレンマも毎年感じているので「教えなくていいならラッキー」です。

そこで、文字を介さない外国語教育について調べてみました。

韓国語をハングルを覚えずに習得しました!とSNSに上げている人たちは、大学進学したり検定試験などを受けているので、結局はハングルを学んでいます。

他の言語に関する事例も探してみました。

大阪大学 サイバーメディアセンター 言語教育支援研究部門で行われた市民講座「複言語学習のススメ」では、文字を使わない音声中心の学習で、1回の講座で3〜4言語を並行して学んでいます。

講師の発音を聞いて、受講者が真似して発音しながら学ぶのですが、学習内容(挨拶・自己紹介など)を録画し、参加者同士で共有し、講師や他の参加者から発音のフィードバックを受けます(Flipという動画共有ツールを使用)。言語は選べず、ランダムに割り当てられ、アラビア語、ウクライナ語、カザフ語、ペルシア語、モンゴル語、韓国語などを学びます。ステップ1で音声模倣学習をし、希望者はステップ2で文字を学びます。

学習効果として「音から入ることで、言語への抵抗感が少なくなる」「文字を学ぶことで、音との違いや文化的背景に気づく」などがあります。参加者の感想には「音で覚えた言葉を文字にしてみると、発音の仕組みがより理解できた」「音と文字の関係に気づいた」とありました。

東京大学とマサチューセッツ工科大学が2024年に発表した脳科学研究では、文字に頼らず、音声刺激だけで言語習得が可能であることを科学的に裏付けています。研究の題名は「多言語話者になるための脳科学的条件ー新たな言語の文法習得を司る脳部位を特定ー」で、カザフ語を使って音声と文法課題の提示のみでルールは教えない、という実験です。文法理解に関わる文法中枢という脳部位が、音声のみで文法課題を提示することでも活性化するのだそうです。どのレベルの習得が可能なのかは気になるところです。

他にも、音声感受性と英語学習能力の関係についての研究も興味深いものでした。(「音声の敏感さと英語学習総合能力との関係」熊本学園大学)中学生を対象に、音声識別能力(言語音・楽器音)と英語学習能力(読む・書く・聞く・話す)との相関を調査しています。結果は、音声識別能力が高いほど、英語の「読む」「書く」能力も高い傾向が見られ、「聞くこと」は言語習得の基礎であり、他の技能への転移効果が大きい、と見ています。音声中心の学習は、特に初期段階の外国語習得において非常に重要であると示唆しています。

もっとも、この研究は、被験者が48名と人数が少ないので一般化するには無理があるのですが、「聞くこと」が言語学習の基本であることを実証した先行研究を論文の中で紹介しています。(Postovsky, 1974)。

ハングルなしで、どうやって韓国語を学んでもらうか、から始まって外国語学習における音声教育の重要性を改めて認識する機会となりました。そして「文字を覚えなくていいことから心理的ハードルが下がる」という文言が資料のあちこちに出てきたのが印象的でした。ハングルをクリアしてこそ次に進める、と思っていましたが、外国語習得への道程は様々なようです。

そういえば、私が学生時代の旅行ガイドブックに、韓国の国立博物館 국립박물관のルビが「ククリプバクムルグワン」となっていたことを思い出しました。(当時、博物館爆発しそう、と友人の間で話題でした。)音声から学んでいたらこうはならなかったかもしれませんね。(もしくは発音変化の勉強不足?)

通信535「加齢と知的能力」寄田晴代

=================================================
【週刊ハンガンネット通信】第535号 (2025年6月16日発行)
「加齢と知的能力」寄田晴代
=================================================

 4月に文字から始まった入門クラスでは、そろそろハングルをマスターして文法編に入っている頃でしょうか。

私が担当するおとなのクラスでは、脱落せずに最後まで通ってほしいので、ややゆっくりめに進んでいます。

しかし、ゆっくり進むからといって、ハングルをどんどん覚えられるわけではないので毎年進度のスピードに悩みます。

年齢を重ねると「覚える」ことに時間がかかる。と、いうより、何でも忘れてしまいます。

自分のことですが、新しい単語を覚えるどころか、何しに2階に上がって来たのかも覚えていないことがあります。

すべてを加齢のせいにして、仕方ないよね、と思っていたところ、知的能力の種類によっては高齢になっても向上するという嬉しい話を新聞記事でみつけたので、共有させていただきます。

知的な能力には主に2種類あるのだそうです。

一つは、情報処理スピードが当てはまる「流動性知能」、もう一つは知識や言語能力が該当する「結晶性知能」です。

後者は経験や学習によって得られる知的能力ですが、70歳ころまで伸び続けた後、ゆるやかに低下するということが、老化に関する疫学調査で明らかになったそうです。(国立長寿医療研究センターが40歳以上の住民を対象に実施。)

また、脳の灰白質という領域は10~20代でもっとも体積が大きくなり、その後ゆっくり減少して知的機能も低下していくのですが、

白質という領域は、何かを学ぶなど脳を使い続けることで体積が増えていきます。

脳には変化する力があるので、何歳になっても脳の働きは向上するのだそうです。

まさに、韓国語に取り組むおとなにとって励ましのことばではありませんか。

そして、知的な能力の維持に寄与する語学学習や楽器演奏、運動などを続けるには、スモールステップ法(少しずつ無理せず行う)、すでにある習慣と一緒に行う(歯磨き後に音読など)、楽しく取り組むこと、が脳の癖をうまく利用した方法なのだとか。

東北大学加齢医学研究所の瀧靖之教授によると「記憶をつかさどる海馬では年をとっても神経細胞が新しく生まれている。楽しくやる方が記憶に残りやすく、上達もしやすい」のだそうです。

やっとハングルを全部覚えたと思ったら、次々と発音変化が出てきて「このまま読んじゃだめなの?」と落胆させられる時期でもあります。楽しく記憶に残る授業で乗り越えたいです。

参考:「結晶性知能」高齢でも向上 2025年1月18日日本経済新聞

通信478「外国語学習は何歳からでも」寄田晴代

【週刊ハンガンネット通信】第478号 (2024年3月2日発行)

「外国語学習は何歳からでも」
寄田晴代
=================================================

この通信で外国語学習体験の記事が続いていますが、新しい言語ができるようになったら楽しいだろうなと思いつつ、もう今から勉強を始めてもモノにならないんじゃないか、と年齢を理由にチャレンジをあきらめている人も少なくないと思います。

そこで、ちょうど先日ラジオで、脳言語学者である酒井邦嘉さんの興味深い話を聞いたのでご紹介します。

酒井さんは、言語習得に年齢は関係ないと言います。

大学生以上を対象に行った実験を紹介していたのですが、カザフ語(カザフスタンで使用されている言語)を、文法は一切教えずに音声だけをひたすら繰り返して聞かせたところ、約半数の人がカザフ語がわかるようになったというのです。
私たちの脳には言語野という部分があって(大半の人は左にある)ここの文法中枢でことばを理解しているそうです。母語も第二言語も同じところを使うんだそうです。
この実験は、できた人とできなかった人の脳の動きの違いを調べ、第三言語、第四言語も同じ文法中枢を使うのかをつきとめるものでした。
カザフ語ができるようになった人は、脳の文法中枢に活動の上昇が見られました。
このことから、私たちが新しい言語を習得するとき、ゼロから始めているのではなく、母語や学習したことのある英語などで培った脳の場所を使っていると言えます。
言語哲学者のノーム・チョムスキーは「すべての文法は人間の脳にとっては同じなのだ」と60年以上前に言っているように、私たちには言語の枠組みのようなものが備わっている。だから、おとなでも同じ脳の場所を使って十分に音声が入ればカザフ語の正しい文を認識できるようになるのだ、と酒井さんは言います。
「ことばは教えるものではなく引き出すもの」ということばが印象的でした。

さて、言語をうまく引き出す方法ですが、まず音を真似する。聞こえた音に近いように言ってみることを勧めています。
この場合、ローマ字やカタカナ語にとらわれないことが大事です。(外来語に引きずられてcapのpを「プ」と言ってしまうなど)

「単語をたくさん覚えたら話せるようになるか?」というアナウンサーの質問には「単語だけ知っていても複合語や文になると発音が変わるので文で練習した方がいい」とアドバイスしながら、「東京都」と「東京と京都」でアクセントが変わる例が示されました。

シャドーイング練習法については、上級者には有効だが、そうでない人(まだ音が十分に入っていない人、文の意味がわからない、脳の中で考えなければいけないとき)の場合は習得を封印してしまう恐れがあるので無理しないほうがいい、と述べていました。

言語習得のために練習しよう!と思って取り組むよりも、映画や好きな歌を繰り返し真似しているうちに言えるようになった、というように体験を通して身につく方法が良いというお話でした。

ある年齢を超えると言語の習得は難しいという臨界期説は関係ない、という酒井さんの話には大変勇気づけられ、受講生の方にお話ししなくっちゃ、と思いました。一方、限られた時間内にやるべき学習項目が決まっている授業もあるので、いかに音をたくさん聞いてもらうか、考えたいところです。

最後に、言語を学ぶということは繰り返し聞いたり言ってみたり、元来非効率的なものである。それを「効率的な教育」と謳う時点で大事な部分から遠ざかっていると思う、と学校の英語教育におけるAI活用に対して警戒感を述べていました。

元来、非効率的なもの、時間がかかって当たり前と思えば、教えるときも、自分が新しい言語を学ぶときも焦らずにすむかもしれません。(実は中国語やインドネシア語を細々と勉強しているのですが、一向に前進できず焦っていました。)

 通信468 「韓国語教材のカナルビについて」を読んで 寄田晴代

【週刊ハンガンネット通信】第469号 (2023年12月17日発行)

「韓国語教材のカナルビについて」を読んで  
寄田晴代
=================================================

前回の加藤慧先生の通信を読んで、周囲の韓国語を学習したことのある人に、韓国語教材のカナルビについて聞いてみました。
「いいと思う」「いいと思う。ただし、ハングルを学び始めて慣れるまでの間だけ」という意見でした。
いいと思う理由は「韓国語で言えた!と思える経験が意欲につながるから」「ハングルを覚えるのが嫌にならないために」でした。

私は、文字の指導と発音指導は一体だと思っているので、カナルビに頼る癖をつけたくない派です。また、ハングルが読めない人に発音規則を教えるのは大変そうです。
韓国語のカナルビと言えば思い出すのが、昔、バックパッカーによく読まれていた旅行ガイドブックの韓国編です。국립박물(国立博物館)のカナルビが「ククリプバクムルグァン」となっていて「なんだか爆発しそうだね」と友人と話した思い出があります。

カナルビに頼ってほしくないとは思うものの、1年間毎週受講しているのにハングルが読めない学生に出会うことも実際にあり、そんなときは、読み方をカタカナで書いてもいいからやめないでほしい、と思うのも事実です。

「英語にカタカナを振ることに対する小学校教員の意識」(田中 真紀子・河合 裕美 2023)という論文に英語を指導する小学校教員の「カタカナ使用」に関する意識調査があるのですが、賛成、反対の意見を読んでみると、いずれもなるほどと思わされます。
賛成:自信のない子どもにとっては安心につながる。苦手意識を持ちづらくさせる。児童のやる気や自主的な学習に結び付く。
反対:正しい発音、音韻認識を身に着ける妨げになる。カタカナではスペルの違いに気がつかない。新しい単語に出会ったとき自力で読めない。書くことにも影響する。

教える側としては、学習を続けて上達し韓国語が使える楽しさを知ってほしい、と思うので、まずは嫌になってやめてしまわないためならカナルビもアリなのかもしれない。逆上がりができないときに「鉄棒回転サポーター」を利用するのと同じと考えればいいではないか、と思い始めているのですが、韓国に初めて行ってきた人に「韓国語は全然話せなかったけど、ハングル読めたのが嬉しかったし助かった」と言われると、やっぱりしっかりハングル覚えてもらわなきゃ、と思ったりするのです。

参考文献:英語にカタカナを振ることに対する小学校教員の意識
-賛成派と反対派の考えの相違:教員の英語力および英語指導力の自己評価との関係から-
田中真紀子・河合裕美 神田外語大学紀要第35号(2023)

通信459「消齢化」寄田晴代

【週刊ハンガンネット通信】第458号 (2023年10月8日発行)

「消齢化」
寄田晴代
=================================================

「消齢化」ということばを最近知りました。
消齢化とは、「若者らしさや年相応のような年代、年齢にひもづいた生活者の特徴が徐々に薄らいでいき消えていくこと」で、博報堂生活総合研究所が今年発表した新語です。

この言葉を聞いて思い浮かんだことがありました。

日本に30年以上住んでいる、50代の韓国人男性の話なのですが、面識のない韓国人と電話で話をすると、「あなたが何歳なのか見当がつかない」とよく言われるのだそうです。
声を聞いたらおおよその歳がわかりそうなものですが、予想する年齢と、その年齢らしいと思われている話し方(語彙、イントネーション、語尾など)がズレていると混乱します。

そういえば、私が以前韓国で日本語を教える仕事をしていたときにもこんなことがありました。
あるクラスに、中学生のころまで日本で生活していたという受講生がいました。発音、イントネーションなど自然な日本語を話せるのですが「40代の人なのに、話し方が10代の若者みたいなんです。」と担当の先生が言っていたのを覚えています。日本で身についた、その時の話し方がそのままアップデートされていなかったようです。

私たちは周囲の人からことばを学び続けています。
前述の二つの例のように、もともと使っていたことばに囲まれた世界から出てしまうと、年を重ねるにつれて変わっていく話し方に接する機会がほとんどなくなり、意識しない限り自然に身につくことはないのかもしれません。また、文法的間違いならコミュニケーションに支障が出ますが、「年相応」の話し方でなくても日常の会話なら「ちょっと変わってる」と思われるくらいなので、指摘されることもあまりないと考えられます。(家族など身近な人は、その人の話し方に慣れているだろうし、身近ではない人はわざわざ指摘しにくい。)

ちなみに、私は仕事で20歳前後の人と接することが多いのですが、知らないうちに「若者の話し方&微妙な関東アクセント」(勤務地は東京ですが、私は大阪弁ネイティブスピーカー)になっているらしく、家族によく「ときどき気色悪い話し方する」と言われます。

同研究所によると、消齢化の傾向はこれからも進んでいくということなので、このように「ちょっと変わってる」と思われることもなくなるのでしょうね。
そもそも、年齢による話し方に全く違いのない言語もあるのか、も興味深いところです。

通信449 「外国語が聞き取れる話の続き」寄田晴代

【週刊ハンガンネット通信】第449号 (2023年7月22日発行)

外国語が聞き取れる話の続き
寄田晴代
=================================================

447号のハンガンネット通信「外国語が突然聞きとれるようになる瞬間」を読んで、韓国語が聞き取れるようになった瞬間を覚えているか?が、我が家で話題になりました。(レベルの差はあるが、うちの家族は韓国語が聞き取れる。)
家族メンバーAは、聞き取れるようになった瞬間は覚えていないけれど、自分が覚えた単語がドラマの中に出てきたときは「ホントにこうやって使うんやぁ」と感激したそうです。(学習に感激は強い味方ですね。)

メンバーBは英語が聞き取れるようになった瞬間を話してくれました。
毎日NBAの試合を英語の放送で見ていたおかげなんだそうです。当時、他にすることがなくて毎日毎日毎日毎日見ていたそうです。初めはアナウンサーが何を言っているのか全くわからなかったのですが、そのうち、選手の名前を言っている部分がわかるようになり、次にバスケットのルールに関する用語を言っている部分がわかるようになったそうです。これらは繰り返し出てくるのでわかるようになったらしいのですが、すると、その二つのパーツ以外の部分が、急に聞き取れるようになったというのです。
今まで切れ目すらわからなかった言葉が「選手名」と「バスケット用語」で区切られ、意味の固まりをつかむきっかけになったようです。

ところで、Bの韓国語の方はどうだったかというと、韓国に語学留学に行って3カ月くらいは全然上達しなかったようです。
それでも、聞き取れなくても韓国語で話しかけられれば、何でも「ケンチャナヨ」と笑顔で答えて韓国人の友人たちと交流していました。
ところがある時「『ケンチャナヨ』ってどういう意味かわかってるんですか?」と友人に言われてしまいます。(これを通訳したのは私でした。)
トンチンカンな使い方をしたのでしょう。こう言われて、Bはこのままではいけない、と思ったそうです。(その後、韓国語で仕事ができるくらいにまで上達できました。)
「失敗って効果あるよねー」と、この思い出話をしながら言っていたのですが、できれば失敗したくない大人になってしまったとも思ったのでした。

「作文力が上がれば聞き取り力も上がるのではないか。」という伊藤先生の「実験」結果を楽しみにしています。

通信432 「豊富な語彙」寄田晴代

【週刊ハンガンネット通信】第432号 (2023年3月17日発行)

豊富な語彙
寄田晴代
=================================================
子どもの卒業式で、保護者代表で先生方に感謝の挨拶をすることになりました。
いざ原稿を書き始めてみると、納得のいく表現がなかなか出てきません。自分が持っている日本語の語彙量はたいしたことないのかと、ちょっと悔しくなりました。
語彙で思い出したのは、アメリカに住んでいた韓国人の友人から聞いたことばです。
「ルームメートがユダヤ人だったので、私はたくさんの英語の単語が身についた。ユダヤ人は語彙が豊富なんだ。」
それが本当か嘘か知りませんが、民族によって語彙の豊富さに違いがあるの?と驚いた覚えがあります。
こんなことばも聞いたことがあります。
「ヨーロッパの人は何でもことばで説明できると思っている。特にドイツ人。」
ほんまかいな、と突っ込みたくなりました。
日本ではことばで言わなくても「察する」という文化があり、また、寡黙なことはそんなに否定的に見られないと思います。
たくさん話す必要がなく、SNSの短いメッセージのやり取りで済むのなら、少ない語彙でも事足りるでしょう。
他言語話者と比べて、日本語母語話者の語彙が多いのか少ないのかはわかりませんが、語彙が豊富だと自分の気持ちを相手に伝えるとき、とても良いことは確かです。
先日、怒りなどの不快な感情を解消する方法として、自分の気持ちを書き出す方法があると記事で読みました。
詳しくここでは述べませんが、「筆記開示法」というのだそうです。
そして、自分の感情を豊富な語彙できめ細かく表現できる人ほど、ストレスに強く、心身の健康状態を良好に保てる事実があるそうです。
語彙力が外国語習得だけでなく健康にも関わるとは、これは真剣に語彙力をつけなくてはと思わされますよね。

通信424 「 教科書選び」寄田晴代通信424

【週刊ハンガンネット通信】第424号 (2023年1月16日発行)

「 教科書選び」
寄田晴代
================================================

新年になったと思ったら、もう1月も中旬。早いですね。
来年度の授業に向けて、準備も始まっていることとと思います。
準備の中で私が毎年悩むものの一つに教科書選びがあります。
毎年出る様々な新刊教科書を見ては、こんなのも使ってみたい、いや、去年と同じものでいこう、などど楽しみながら悩むのです。
みなさんは何を基準に教科書を選ばれるでしょうか。

受講者によって選ぶ教科書も変わってきますが、市民講座の場合は、1.字が小さすぎないこと、2.わかりやすい説明があるもの、をまず最初に探します。
市民講座では高齢の方もたくさんいらっしゃるので、字が読みやすい大きさであることが結構大事だと思っています。(字が小さいだけでストレスになるというのは、最近私も共感できるようになってきました。)

2.については、自分で予習復習するときに、教科書に説明がわかりやすく書いてあると助かる、と受講生の方々に言われたことがあるからです。こちらとしては授業で聞く説明を書き留めればいいのでは、と思っていたのですが、授業中に聞きながら書いて、考えて、というのは結構忙しいので、メモし損なったり聞き逃したりすることもあると気づきました。
教える側としては、文法の練習問題だけでなく、聞き取り問題や会話できる活動があると嬉しいのはもちろんですが、困るのは、未習事項が何の説明もなく突然文中に出てきたり、家族のことについて尋ねる活動が出てくるときです。

以前、敬語を学ぶ課で「お父さんは何のお仕事をなさっていますか」と尋ねる練習がありました。若い学生に「お父さんに会ったことないからわかりませーん」と言われてヒヤッとしたことがあります。それ以来、何の話題にしてもデリカシーのない質問にならないか気を配るようになりました。

また、学習内容とは直接関係ないように思われますが、挿絵も私は影響を受けます。私の場合、挿絵が気に入るとそのページのフレーズと一緒に頭に格納されるのです。楽しげな挿絵があると、学習内容が難しくないように思わせる効果があるのではないかとも思っています。
それからもう一つ、重い教科書は避けたい、と思うようになりました。
お正月を迎えるたびに、注文が増える自分を感じています。

通信416 「 発音うまくなりたい」寄田晴代

【週刊ハンガンネット通信】第416号 (2022年11月21日発行)

発音うまくなりたい
寄田晴代
==============================================

12月4日(日)13時からのハンガンネットセミナーは「音声添削実習」です。
受講生の発音指導のための音声添削を、ワークショップ形式で前田真彦先生と一緒にやってみます。

ここで、自分は発音をどのように学んできたのか思い出してみました。
私が韓国語を勉強し始めた頃は、本屋に行ってもテキストが2~3種類くらいしかなく、音声教材もありませんでした。それで、もっぱらテキストを書き写しまくり、単語を書きまくり、勝手に音読しまくり、という方法で独学していました。大学の授業中も、授業と全く関係ないハングル文字をひたすら書いている私の手元を見て「それ何?」と隣の席の人によく聞かれたものでした。

文法や単語はどんどん覚えていい調子だったのですが、音声教材なしに勝手に音読を続けたため(だと思います)自由気ままなイントネーションと発音を身につけてしまいました。
大学生の頃は年に2回、毎年韓国でボランティア活動に参加し韓国人の友人もたくさんできていました。彼ら彼女らと韓国語で話すときは未熟ながらもそんなに困らなかったので、イケている、でもなんか違うかも私の話し方、と思っていました。
通じるけれど、ときどき尋ね返されたり、少し話すとすぐ日本人だとバレる自分の韓国語をなんとかしたいと思っていました。ネイティブスピーカーのように格好よく話したかったのです。

韓国語の抑揚や発音についての書籍に出会うのはそれからずっと後のことです。
何の知識もなかった私が思いついたのは真似することでした。聞こえる韓国語をとにかく真似する。歌を真似して歌うように、音の高低から強弱から真似する。それをしつこく続けていました。
韓国に住んでいたときは、地下鉄やバスの中で聞こえる会話も真似してぶつぶつつぶやいていました。(これが癖になって日本語で話しかけられても真似をしてオウム返しに答えてしまうという変な時期がありました)

ただ、この方法の欠点は、本当に同じように話せているのか、録音して聞いてみないとわからないところです。そして、どうやって同じ発音になるのかを勘に頼って試行錯誤するので、時間がかかります。
それでも、真似しようと一生懸命聞くことにも集中した結果、韓国語を話すときのリズムや日本語と違う息の出し方などに気づくことができました。(今でも韓国ドラマを見ながらつい真似してしまい、家族にうるさがられています。)

以前、韓国語の単語を読み上げて、同僚の韓国人の先生たちに発音をチェックしてもらったことがあります。
ㅇやㄱ の終声を指摘されるかと思っていたら「『감자』 のㅁが甘い」と言われ、自分じゃわからんもんやな~と改めて思いました。そう、誰かに指摘されなくてはわからないのです。

また、自分が上達するためにあれこれ工夫し努力できても、人を指導するのはまた別物ですよね。
発音をことばだけで説明するのはなかなか難しいと感じています。
受講生が納得できるように直すべきところを気づかせ指導するのに、音声添削をうまく活用できるようになれたら指導しやすくなるのでは、と思っています。

12月のハンガンネットセミナー、みなさまのご参加をお待ちしています。