【週刊ハンガンネット通信】第477号 (2024年2月19日発行)
「外国語学習の喜びと哀しみ」
加藤 慧
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幡野先生のスペイン語学習についての投稿、伊藤先生のマレー語脳についての投稿を楽しく拝見し、私も外国語学習について書いてみたいと思いました。
私は昔から外国語の勉強が大好きで、英語と韓国語以外ではスペイン語、タイ語、台湾華語の学習経験があります。
(NHKの語学講座で触れた程度まで入れると、イタリア語、ドイツ語、フランス語も入ります)
スペイン語は大学の第二外国語だったためなじみがあり、数年前にメキシコを舞台にした映画『リメンバー・ミー』をきっかけに再び学習を始めましたが、現在はお休み中です。(いつかは再開したいです…!)
タイ語は旅行をきっかけに勉強を始めましたが、文字と簡単な挨拶だけ覚えて終わり、残念なことに今ではすっかり忘れてしまいました。
どれひとつまともに習得できておらずお恥ずかしい限りですが、唯一ゆるく続いているのが台湾華語で、月に2、3回のペースでオンラインレッスンを受けています。
きっかけは注音符号が可愛くて興味を持ったことなのですが、その根底には学生時代に行った台湾旅行の楽しかった記憶と、もう一度旅行に行きたいという気持ちがあったと思います。
韓国で使われる漢字と近い繁体字に親しみを感じたことも大きいです。
複数語学を学ぶことのメリットはいろいろありますが、〝韓国語で〟外国語を学ぶことができるのもそのひとつです。
台湾華語のコンテンツは圧倒的に少ないため主に中国の中国語にはなるものの、この方法だと韓国語と外国語の両方を同時に学ぶことができて一石二鳥です。
さらに私の場合、韓国の小説の台湾華語版を読んで、ここはこう訳したのか、と翻訳の参考にすることもできました。
(まだ一人で小説を読めるレベルではないので、先生に教えていただきながらでしたが)
ですが一番の収穫はやはり何と言っても、生徒さんの気持ちがわかるようになったことです。
非ネイティブ講師の最大の強みは、「生徒さんと同じ言語の学習者であること」だと思っています。
生徒さんよりも早く韓国語の勉強を始め、たまたま深めることができただけの先輩で、語学学習にはゴールはないので、自分も生涯〝学習者〟です。
とはいえ上級レベルの学習者なので、特に初級の頃の気持ちというのはどうしても忘れがちです。
一方で台湾華語の学習には、頭で理解しているつもりの声調が口からは何故か出てこなかったり、習いたての単語の意味が思い出せなかったりして、苦戦するばかりです。
注音符号も読むのに時間がかかったり、似た形のものを混同してしまったりします。
授業で生徒さんがこのような状況に陥っているとき、台湾華語を学ぶ以前と比べてその気持ちがよくわかるようになり、寄り添いながら誘導できるようになりました。
それまでは「たった今教えた単語なのに…」と思ってしまっていたところがあったとすれば、今は馴染みのない音はすぐに覚えられるものではない、とわかるからです。
また、「復習してくださいね!」といつも呼びかけているくせに、当の自分はなかなかその時間がとれません。
仕事をしながらレッスンの復習時間を捻出するのは容易ではないこともわかりました。
私が韓国語を習得したのは、まだ頭も柔らかく、時間的な余裕もある学生時代だったので、この「大人になってから語学を学ぶ大変さ」というのは大きな発見でした。
発音が上手くできない、単語が覚えられないストレスや、復習する時間がとれない結果なかなか伸びない自分への失望感はたしかに〝哀しみ〟と言えるかもしれません。
でもその分、本当に少しずつでも自分の言いたいことが言えるようになったり、台湾ドラマや中国ドラマのセリフが一言でも聞き取れたり、先生と会話ができ、褒めていただけたりしたときの〝喜び〟はひとしおです。
そう思わせてくれる先生にも学ぶところが多く、「生徒」という立場になること自体が、私にとっては素晴らしい経験です。
このように、特に語学講師にとって新しい外国語の学習は、初心にかえり喜びも哀しみもわかるようになる絶好の機会だと思います。
私の台湾華語学習は、韓国語学習がそうだったように、喜びの方が大きいから続いているのだと思います。
生徒さんたちにも、そう思っていただけるような授業がしたいものです。