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【週刊ハンガンネット通信】第546号 (2025年8月25日発行)
「文字を介さずに外国語を学ぶ」裵正烈
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本通信540号で幡野先生が「韓国語をハングルを介さずに教える方法」に関して投稿されましたが、これと関連して私も自分の個人的な思い出を書きたいと思います。
「韓国語をハングルを介さずに学ぶ」のには、
1 ハングル以外の文字を使って学ぶ
2(文字を使わずに)音声言語として学ぶ
の二つがあると思います。私は上記の2に関心があります。初歩の段階でなるべく文字に頼らずに、つまり韓国語の場合すぐにハングルを導入せずに音声から学ぶ教材が作れないかとずっと考えてきました。
話は変わりますが、90年代の中頃、私は高校の教師を辞めて近所の同胞の土木会社でアルバイトをしていました。そこでの私の主な役目は、4トンダンプを運転して人や機材、残土やアスファルトなどを運ぶことでした。運転以外にもスコップを持って穴ぼこに入ったり、ショベルカー(ユンボ)を操作したり、従業員の人たちと一緒に泥まみれになって働きました。
業界の末端の会社だったので、何人かの日本人の親方を除いて従業員のほとんどは外国人です。イランの人たちが数人いたのですが、彼らはみな滞在4,5年目にもかかわらず、実に流暢な日本語を話していました。アジア系の人たちは独特のなまりがあるのですが、彼らはなまりがあまりない。日本語は日本に来てから現場でいやおうなく、あるいはテレビドラマを繰り返し見て覚えたとのこと。つまり2の方法で覚えたということになります。
ただし現場で丸覚えしただけあって丁寧語や敬語はほとんど使えず、すぐ「馬鹿野郎」と言ったりします。漢字を読める人はいない。それでどうやって日本で生活できるんだろうかと思いました。
私は社長の後輩ということもあり、こういう現場ではめずらしく親方に「烈君(れつくん。正烈君の略)」と「君付け」で呼ばれていました。それでイラン人の従業員たちからは「れつくんさん」と呼ばれました。耳で聞いた音に敬称の「〜さん」を付けたものが彼らの中での私の呼び名になったのです。
彼らの中でもサリーというイラン人とは、仕事の後にビールを飲みに行ったり(イスラム教徒なのに!)、彼の部屋で故郷のテレビ番組のVHSを見たり特に親しく過ごしました。
しばらく1時間ほど離れた現場に通っていて、その行き帰りの車の中でサリーからペルシャ語を習いました。面白がっていろいろ教えてくれるのですが、なかなか一度で記憶できず、忘れてはまた教えてもらって覚えるということを繰り返しました。
すぐ忘れてしまう原因として、運転をしているのでメモを取れなかったことが挙げられます。カタカナでもアルファベットでも何でも、思い出すための記号でもあれば復習ができるのですが…、聞いただけだとすぐ忘れてしまうんですよね。あるいは録音があれば、繰り返し聞いてもっと効率よく覚えられるのにと思いつつ、忘れたことを何度も聞き返してようやく覚えました。
そんなある日、イラン人の新人が会社に来ました。ここぞとばかりに「ショマ ダル シェルチャテ ヤマダ カール ミコニード?(君はヤマダ建設で働いているの? ※フリガナはテキトー)」と習った言葉で話しかけると、彼は目をパチクリさせてビックリしていました。にわか仕込みのペルシャ語ですが、聞き取ったとおり話すことでそれなりに通じたのだと思います。
その後私はある出版社に中途採用され、このバイトも実質1年ほどで終了しました。サリーとはたまに会っていましたが、新しい職場は昼も夜も休日もないような編集部だったので、だんだん疎遠になり、しばらくして新聞の余白に書いたテヘランの電話番号を私に渡して彼は帰国してしまいました。
私のペルシャ語学習もそこから先に進むことはなく、覚えた言葉はあらかた忘れてしまいましたが、今でもいくつかのフレーズは口に出すことができます。
こんな個人的な体験もあってか、次にどこかの言葉を学ぶときは、できるだけ文字に頼らずに学んでみたいと考えています(と思いつつ、はや30数年)。韓国語の語学書を作る立場としても、音声だけを繰り返し聞いて入門レベルの言葉を覚えられる教材が作れないかとずっと考えているのですが、「文字を介さない」という方法が本を作る出版社の仕事と根本的に矛盾していることもあって、いまだ実現の見込みは立っていません。
