通信561 「パンマルとため口」 加藤 慧

======================================
【週刊ハンガンネット通信】第561号 (2025年12月8日発行)
「パンマルとため口」 加藤 慧
======================================

寄田先生と幡野先生の投稿を楽しく拝読し、私も普段から考えていることを書いてみたいと思います。

「日本のため口と同じ」と言われることも多いパンマルですが、私はため口(以下では日本語のみを指します)とは、実は大きな違いがあると思っています。

少し前に、日本の俳優の方が、日本出身で韓国籍を取得したタレントの方のYouTubeチャンネルに出演した際、韓国の視聴者から「年下で初対面なのに終始ため口で失礼」と批判されていました。韓国語ではなく日本語の会話だったにもかかわらず、です。本人としては同年代の相手への親しみの表れとしてため口で話したのかもしれませんが、韓国の文化に慣れているタレントの方や韓国の視聴者は戸惑ったのでしょう。

自分に置き換えて考えてみると、日本語の会話でそれほど親しくない相手からため口で話されたときに覚える不快感は、相手の年齢やそれが失礼かどうかよりも、馴れ馴れしさからくるものという気がします。一方韓国語母語話者の場合、特に年下の相手からパンマルを使われると、相当に無礼と感じるようです。韓国ドラマでも初対面の相手にパンマルを使われて、何歳か言ってみろと怒るシーンがよく出てきますね。私はここに、日本のため口との差を感じます。

アニメもいい例だと思います。日本のアニメや漫画では、子供のキャラクターはため口で話すことが一般的だと思いますが、その韓国語吹替版を見てみると、子供の台詞はきれいな丁寧語に直されていることがわかります。日本のアニメで子供がみんな丁寧語で話していたら、逆に違和感があるのではないでしょうか。丁寧語で話す子供が登場したとしても、大人びたキャラクターを表すための役割語的なものが多いと思います。

日本の子供がテレビのインタビューでため口で答えるのも、私たちにとっては当たり前の光景ですが、SNSでこれに不快感をあらわにしている韓国の方の投稿を見たことがあります。子供が自分の親以外の大人に対してパンマルを使うことなどありえないからでしょう。

また、先日台湾に行ったときにキャラクターが台湾華語で話している施設紹介映像の字幕を比較してみましたが、韓国語は格式体、日本語はため口になっていました。韓国も子供向け番組のキャラクターなどはパンマルで話しますが、ここでは大人も見る映像だから格式体になっているのだな、と違いを改めて感じました。

こうした例からもわかるように、同じ親しさの表れでも、ため口は距離の近さ、パンマルは無礼講的な意味合いが強いのかもしれません。

さらに同じパンマルでも、한다 体 と해 体の二種類がある点も注意が必要ですね。手元のカナタ韓国語中級1のテキストでは、前者は「相手を非常に低く見る場合」、後者は「お互いが気安い場合」と説明されています。

このような注意点の多さを考えると、本当に深い付き合いになれるネイティブの友達がほしい!という学習者さん以外は、使えるようにまではなる必要がないのかもしれません。
個人的にも、同い年〜年上の友人でパンマルを使うのは日本で知り合った友人のみで、ほとんどが学生時代に先に日本語で会話し始めたケースです。
韓国留学中に親しくなった年下の友人たちからは、ある時点で丁寧語を使わないでくださいと言われ、パンマルを使うようになりましたが、向こうは丁寧語のままです。

使えるようにはならなくていいとしても、映像作品や歌詞、コンテンツなどに登場するので理解できるようになると楽しいものです。
特に映像作品では丁寧語からパンマルに変わったときの微妙な距離感の変化が描かれていたりするのがわかって、作品をより楽しめるようになりますよね。

言語体系が似ているためついつい同じように考えてしまいがちなパンマルとため口ですが、単語の意味などと同じように、重なる部分と異なる部分をしっかりと意識する必要があります。
もちろん個人差があるのは大前提だと思いますが、教える際にはこのような違いも伝えていけると、お互い嫌な思いをすることも減らせるのかなと思いました。

通信560 「AIの作文」 伊藤耕一

=========================================
【週刊ハンガンネット通信】第560号 (2025年12月5日発行)
 「AIの作文」伊藤 耕一
=========================================

最近、調べ物をする時にAIを使うことが多くなりました。

短い質問を投げかけると、回答の後に「関連することも調べましょうか?」などと提案をしてくれます。

何度かその作業を繰り返すと、自分が欲しい答えが出てきたりして、思いつきで要領を得ない質問を投げかけても、それなりの答えにたどり着けるのが素晴らしいと思います。

しかし、信憑性が低いと感じる時もあり、そんな時はGoogleで調べて反証したりしています。

今回は、「日本と韓国のキャッシュレス文化の違い」というテーマで800字で書いてもらいました。

日本と韓国は地理的に近く、文化的にも共通点が多いとされるが、キャッシュレス文化に関しては大きな差がみられる。韓国では、レストランやタクシーだけでなく、市場や屋台にまでデジタル決済が浸透している。スマートフォン一つでほとんどの支払いが完結し、現金を持ち歩く必要がない。一方、日本ではキャッシュレス化が進みつつあるものの、依然として現金を選ぶ人が多く、国民の“現金への安心感”が根強く残っている。

この差の背景には、歴史的・社会的要因がある。韓国は1990年代後半の通貨危機を契機に、経済の透明性向上を目的として政府がクレジットカード利用を積極的に後押しした。利用額に応じた所得控除も導入され、短期間でカード文化が定着した。その後はスマートフォン普及率の高さがアプリ決済をさらに広げ、国民全体が自然にキャッシュレスへ移行していった。

一方、日本は治安が良く、偽札の心配が少ないことから、現金利用が長く便利で安全とされてきた。また、高齢者の割合が高いことも、急速なデジタル化が進みにくい要因となっている。店側も「現金のままで問題がない」という意識が広く、導入コストを嫌ってキャッシュレスに踏み切れない小規模店舗も多い。

興味深いのは、キャッシュレス化が生活様式にも違いを生んでいる点である。韓国では「KakaoPay」などのアプリで友人同士の送金が簡単にでき、割り勘もメッセージ感覚で行える。対して日本では、近年は「PayPay」や「LINE Pay」が普及してきたものの、現金での割り勘が依然として一般的である。

しかし、日本にも独自の強みがある。多様な決済方式が併存し、SuicaやPASMOといった交通系ICカードの利便性は世界的にも評価が高い。また、安全性や個人情報への意識が高く、慎重にキャッシュレスを取り入れる姿勢は安定した社会の特徴ともいえる。

韓国の大胆なデジタル化と、日本の段階的な移行。どちらが優れているという話ではなく、両国のキャッシュレス文化は、それぞれの社会の価値観や歴史を映した姿といえる。異なる道を歩みつつも、両国は確実にキャッシュレス化の波を受け入れ、より便利な社会へと進んでいる。

言い回しの好き嫌いや、対立的な表現にやや違和感がありますが、それなりの完成度だと思います。「そうなんだ。」と、つい信じてしまいそうになりますが、今の韓国が本当にそんな世の中になっているのか、反証のために見に行きたいと思いました。

通信559 「パンマルを使う相手」 幡野泉

=========================================
【週刊ハンガンネット通信】第559号 (2025年11月24日発行)
「パンマルを使う相手」幡野 泉
=========================================
第553号で寄田晴代先生が「パンマルはいつ使える?」という
メルマガを投稿され、私もこれについてはいろいろ感じてきたので
リレー的に書いてみたいと思います。

私はこれまで誰にパンマルを使ってきただろうと思い返してみたら、
数えるくらいしかいませんでした。
語学堂時代、日本人の友人を介して知り合い、グループでつるんで
遊んでいたお調子者のサンフン。それから、子供(知り合いの子供、
行きずりの子供問わず10歳くらいまで)などです。

語学堂のクラスメイトや知り合いの子供でも、中学生以上くらいに
なると丁寧語を使っていたかもしれません。サンフン以外の
韓国人友人には仲が良くても丁寧語を使っていましたし、
仕事で接する人は、いくら年下でもすべて丁寧語です。

上記、「つるむ」という表現を使いましたが、感覚的に、同世代でも
年下でも、「つるむ」ような間柄でないと、なんとなくパンマルは
使いにくいと感じています。
あと、10歳以下くらいの子供に丁寧語を使うと、知り合いでも
行きずりでもオカシイ気がしています。

また、寄田先生が職場での話を書かれていましたが、
私も似たような場面を見たことがあります。

社員の中で姉御的存在の韓国人Aさんがいて、Aさんは周囲の後輩
社員に向かってパンマルで話していました。
そして、新入社員の韓国人Bさんが入社してきました。
Bさんは、Aさんより10歳以上年下です。
ほどなくして、事情がありAさんは退社しました。
すると、Bさんがこう話していたのです。
「Aさんの印象は良くなかった。パンマルを使っていたから」と。
AさんとBさんは少し接する期間がありましたが、AさんがBさんに
パンマルで話していたかは分かりません。
とにかく、Aさんが後輩社員に向かってパンマルで話していたことに対し、
よく思っていなかったようでした。

私からしたら、Aさんは姉御肌だったし年長者だったので、周囲に
パンマルで話すのも自然に感じられたのですが、同じ韓国人でも
違和感を覚える人がいるんだ、と意外に感じたものです。

親しい中にも礼儀あり……。私たち日本語話者が外国語として韓国語を話す
とき、パンマルを使うことが相応しい場面というのは、かなり限られる
のではないかと思っています。

通信558 「スピーチ大会は総力戦」前田真彦

=====================================
【週刊ハンガンネット通信】第558号 (2025年11月17日発行)
「スピーチ大会は総力戦」 前田真彦
=====================================
12月13日(土)13時~ 毎年年末恒例のミレの第15回スピーチ大会を実施
します。
今回もイムチュヒさんを審査員としてお招きし、すべてZOOMで実施します。
ミレでは普段から発音や音読指導に力を入れています。その集大成としての位置づけで毎年年末にスピーチ大会を実施しています。今回のテーマは、「韓国の魅力~だから韓国が好き」です。15人の個性的な原稿が集まっています。

原稿作成からサポートし、何度も原稿の書き直しをしてもらいます。合同の勉強会は3~4回実施し、出演者1人に、スタッフ1人が担任としてつきます。個別レッスンは、前田、担任スタッフ、ネイティブスタッフと3回実施します。スタッフ全員で出演者をサポートします。観覧者には、「次は私も挑戦したい」と思ってもらえるように、ミレ生全員に観覧に来るように呼びかけます。スピーチ大会に向けて、出演者も、スタッフも、そして観覧者も、学院全体が一つにまとまるのです。このように、スピーチ大会はミレ学院の一大イベントです。

なぜここまでするのか? それはスピーチは、「成功体験」でなければならないと考えているからです。「挑戦してよかった」「壁を突破できた」「韓国語がますます好きになった」「韓国語で自分の気持ちを伝えることができた」と思える成功体験を保障するのが、私たちの使命だからです。

出演者一人一人の発表が終わるとイム・チュヒさん、前田、そしてスタッフからコメントがあります。このコメントは、出演者にとっても、われわれスタッフにとっても大いに学ぶところがあります。発表者の真剣さに見合うだけのしっかりしたコメントができなければ、会全体の空気が緩んでしまいます。コメントも真剣勝負なのです。

「音読」から「語る」へ、いつどのように移行できるのか、いつもドキドキします。今年は大丈夫だろうか?

12月13日(土)13時から、ぜひ観覧にいらしてください。
https://new.mire-k.jp/speech_15/

通信557 「伝えたいこと」日下隆博

=================================================
【週刊ハンガンネット通信】第557号 (2025年11月17日発行)
「伝えたいこと」 ワカンドウ韓国語教室 日下隆博
=================================================

人にものを教える仕事をしていると受講生が挫折しそうな様子を見ることがあります。
そんな時に伝えるメッセージはいったいどういったものがあるでしょうか。

週刊ハンガンネット通信での私の2025年中の執筆担当はこの号が最後となりますので2025年の個人的に初めてのことを振り返ってみます。

NHK Eテレの「NHK俳句」で私の句が特選句となり番組で紹介されました。
毎月の句会を5年間続けてきたひとつの大きな成果が出たでき事となりました。

句会ではいつもメンバーからの評価が低い私ですが、韓国語とは直接関わりのないもので、こつこつ続けることの成果、続けていれば何か良いことがある、ということを受講生に示すことができました。

今年は音楽活動を再開しました。声や演奏のリハビリを兼ねてライブハウスでの飛び入り演奏など、活動再開からこれまで7か月で30回以上ステージに立ちました。
そのうちの2か所は鳥取県米子市と宮城県仙台市と関東以外でも歌い演奏しました。

その際できるだけ心がけていることは歌詞もすべて暗記して歌詞カードや譜面を見ないで歌い演奏することです。

ステージでの私の演奏曲は主に英語の歌です。
英語の歌詞は韓国語や日本語の歌詞と違って私にとってはおおよそ意味を伴わないで覚えるものです。そのため何度も何度も繰り返し暗記を確かめるしかありません。

「単語が覚えられない」「覚えてもすぐ忘れる」と嘆く受講生からは「単語がすいすい覚えられるのは先生だからできるんですよ」と言われることも多いです。

今回英語と楽器演奏という、韓国語ではないものをこつこつと覚えていくことの実践から、暗記や記憶の定着のために誰もがやらなければならない何度も繰り返し暗記を確かめる過程を説明しやすくなりました。

またステージを何度も積み重ねることで経験値を増やし、ミスの発生とその修正の繰り返しがスキルアップにつながることの実践も、韓国語学習に置き換えると、アウトプットの場数を増やし、間違えては修正し、その繰り返しでより良い韓国語話者としてスキルアップにつながるという点も説明しやすくなりました。
学習者に「伝えたいこと」をより説得力を持って伝えやすくなったと感じています。

通信556 「死ぬ日まで天を仰ぎ」田附和久

=====================================
【週刊ハンガンネット通信】第556号 (2025年11月3日発行)
「死ぬ日まで天を仰ぎ」田附和久
=====================================

私は韓国語の授業でパッチムを教える際、必ず取り上げる単語が三つあります。하늘(空)、바람(風)、별(星)。これらを発音してもらった後で、「皆さんは『空と風と星と詩』という詩集をご存じですか」と問いかけます。そして、何も見ずに、「죽는 날까지 하늘을 우러러..(死ぬ日まで天を仰ぎ…)」と尹東柱の「序詩」を暗誦してみせます。そして、受講生がぽかんと口を開けているのを横目に、この詩の日本語訳と詩人・尹東柱の人生を紹介し、最後にこう語るのが私の授業の「定番」です。
「自転車の乗り方を一生忘れないように、若い頃に覚えた詩は、年齢を重ねても自然に口をついて出てくるものです。皆さんも、心に残る詩や歌詞に出会ったら、ぜひ暗誦してみてください。それは皆さんの韓国語力を伸ばすだけでなく、生きていく上での心の支え、心の糧になるはずです。」

私は、東京・池袋の近くで生まれ、50代後半となった今もその地で暮らしていますが、この10月、故郷・池袋にある立教大学の構内に尹東柱を顕彰する記念碑が設置されました。1942年3月、戦時下の日本に留学した尹東柱は、翌1943年7月に治安維持法容疑で逮捕されるまでの間、東京の立教大学と京都の同志社大学で学びました。これまで京都には同志社大学構内をはじめ複数の場所に記念碑がありましたが、東京には一つもありませんでした。今回初めて東京に設置された記念碑には、彼の肖像写真のほか、東京滞在中に立教大学の便箋に書いた「たやすく書かれた詩」の自筆原稿が刻まれています。
記念碑が設置される以前から、立教大学では毎年、命日である2月16日に近い日曜日の午後、卒業生と大学の尽力により、構内のチャペルで追悼礼拝と記念講演会が行われてきました。コロナ禍で一時中断されましたが、再開された昨年と今年は、チャペルに入りきらないほど多くの参加者が集まりました。韓国で最もよく知られる詩人尹東柱は、日本でも今日、実に多くの人々から愛されています。

日本における尹東柱ファンを増やす大きな契機を作ったのは、詩人の茨木のり子さん(1926 – 2006)です。戦後日本を代表する詩人の一人である茨木さんは、50歳から韓国語を学び始め、自身の翻訳による『韓国現代詩選』を刊行されたほか、韓国語の魅力を綴ったエッセイ集『ハングルへの旅』も上梓しました。その中の一編「尹東柱」が、後に筑摩書房の高校教科書『新編現代文』に収録され、日本の多くの高校生が尹東柱の作品と人生に触れるようになりました。

茨木さんは尹東柱の存在を知って以来、作品の翻訳に取り組んでいましたが、作業を進めていた1984年に伊吹郷さんによる完訳が刊行されたため、気勢が削がれてしまったとエッセイに記しています。しかし、今年9月、岩波書店から刊行された『茨木のり子全詩集・新版』に、これまで未公開だった茨木訳の尹東柱詩7編が収められました。数は多くないものの、「現代詩の長女」と呼ばれた方の翻訳だけあり、既存の訳とはひと味異なる箇所が少なくありません。例を一つ挙げれば、立教大学の記念碑にも刻まれ、「たやすく書かれた詩」と紹介されてきた「쉽게 씌어진 시」を「さらさら書けた詩」と訳しています(「人生は生きがたいというのに/詩がこうも さらさら書けるのは/恥ずかしいことだ」)。本書には金裕鴻先生の「좋습니다(いいですね)」というチェックも入った「自畫像」の自筆原稿写真も掲載されています。茨木さんが本格的に尹東柱詩の翻訳に取り組まなかったことは残念でなりませんが、この7編が残されていた奇跡を、心から喜びたいと思います。
その後、日本での尹東柱への関心が高まる中、伊吹訳以外にも複数の翻訳書が刊行され、現在では、金時鐘さん翻訳による、原文併載の岩波文庫版が、廉価で入手できるようになっています。

私も「序詩」を暗誦し、授業で必ず紹介するほどですから、言うまでもなく尹東柱を愛してやまない一人です。初めて彼の作品と向き合ったのは1989年、交換留学生としてソウルの延世大学に通い始めたときでした。大学構内の「尹東柱詩碑」の横の坂道を通って毎日教室へ通ううちに、詩碑に刻まれた「序詩」を暗誦できるようになりました。その後、他の作品も読むようになりましたが、韓国人の友人がなかなかできず、下宿でよく読めない韓国語の本を眺めてばかりいた当時の私の心に最も響いたのは、東京での留学中に書かれた「たやすく書かれた詩」でした。「六畳部屋は他人の国」という冒頭を「オンドル部屋は他人の国」と置き換えて口ずさんでみたこともあります。
日本に戻り、卒業後には、縁あって彼の生涯を描いた演劇公演の翻訳や広報を手伝ったこともあり、そのたびに彼の作品を読み返す中で、日々の忙しさの中で忘れがちな純真な思いや社会に出たときの初心を思い起こしてきました。
最初の出会いからおよそ40年が経ち、私の年齢は尹東柱の享年(27歳)をはるかに超え、彼の倍以上生きてしまいました。いつしか私も尹東柱と同じキリスト教の信仰を持つようになり、今では若い頃とは異なる視点で彼の詩を読むようになったと感じています。

尹東柱は立教で数か月学んだ後、退学して同志社に転じました。東京では友人もできず、あまりよい思い出はなかったのかもしれません。しかし、東京で書かれた詩が、彼の死後広く読まれるようになり、今では日本の多くの人々に愛されています。東京に設置された記念碑を多くの人が訪れ、彼の詩を愛する人がさらに増えることを願っています。
私は、かつての延世大学の詩碑のように毎日訪れることはできませんが、故郷に生まれたこの記念碑には、できるだけ足を運び、刻まれた「たやすく書かれた詩」を前に、若き日に立てた初心を胸に刻み直したいと思います。そして、彼のように、日々天を仰ぎつつ、すべての死にゆく者、あらゆる命を慈しみながら、この人生を過ごしていきます。

通信555「ノーベル文学賞と翻訳権」ペ・ジョンリョル

=====================================
【週刊ハンガンネット通信】第555号 (2025年10月29日発行)
「ノーベル文学賞と翻訳権」ペ・ジョンリョル
=====================================

毎年10月に発表されるノーベル文学賞。昨年韓国の作家ハン・ガン氏が受賞したことがまだ記憶に新しいですが、今年度はハンガリー出身のクラスナホルカイ氏が受賞しました。あれからもう1年たったのですね。

クラスナホルカイ、私は初めて知る作家でした。調べてみると、代表作が『サタンタンゴ』『抵抗の憂鬱』(どちらも邦訳はなし)。唯一の邦訳が、京都を舞台にした『北は山、南は湖、西は道、東は川』だそうで、松籟社(しょうらいしゃ)という京都の出版社から2006年に出ています。

興味を持ってamazonにいくと「お取り扱いできません」となっています。それで出版社のホームページに行ってみると、

「弊社は受賞者の小説『北は山、南は湖、西は道、東は川』の日本語版を、早稲田みかさんの翻訳で2006年に刊行しています。出版元として、光栄のおすそ分けをいただいたかたちで、クラスナホルカイさん、早稲田さんに感謝しております。

ただ大変申し訳ないのですが、『北は山、南は湖、西は道、東は川』は長らく絶版で、在庫がございません。また、翻訳権も失効していますので、重版(復刊)も少なくとも短時日では難しいという状況です」

と書いてあるではありませんか! 受賞後は書店からの問い合わせが  殺到したはずですが、なんとも悲しいことです。

同じようなケースが記憶にあります。ウクライナのアレクシェービッチ氏が『戦争は女の顔をしていない』で2015年度ノーベル賞を受賞したときです。

業界内ではロシア文学の出版社として知られている群像社が、この作品を含むアレクシェービッチ氏の作品を複数翻訳出版したのにもかかわらず、受賞が決まったときに出版権を失っていたのです。千載一遇の商機を逃した群像社は以下のようなコメントを残しました。

「アレクシエーヴィチの作品は、今後、あらたに版権を取得した出版社から刊行されることになると思います。小社の本をお届けできなかったみなさまには、ぜひ新しい装いの本でアレクシエーヴィチの作品をお読みいただければ、最初に刊行した出版社としても喜ばしいことです」

この件も、契約の更新を怠っていたのでしょうか? 作家・作品をいち早く日本に紹介した出版社が、ビジネス上の対価を得られないことはとても残念なことです。

私の出版社では国外の著者・出版社とも契約を結んでいますが、契約内容はある程度定型化されており、通常5年の契約期間が過ぎると「双方の合意のもと1年ずつ延長することができる。延長に当たっては●カ月前までに文書で申請する」としていることが多いです。「文書による通知がない限り1年ずつ自動延長」とする場合もあり、要は双方が合意すればどちらも可能です。

この延長申請は、本の刊行から数年以上後ということもあって、きちんとしたシステムを構築していないと気付きづらいのです。HANAでも以前は私が編集長と併行してこのような事務をやっていて、うっかり延長申請を忘れたことが何度かあります。でも定期的な販売報告と印税支払いは怠ったことはないので、何ごともなかったように契約は維持されました。そういうこともあって、契約の際にはなるべく「自動更新」になるように交渉しています。

契約が生きていれば、在庫がなくても増刷することができますが、契約が切れていると手元の在庫を売ることすらできない場合があります(通常契約書で一定期間の後の販売を禁じられる)。新たに契約を取り直すとなると、受賞により著者と作品の「値打ち」が上がってしまっています。原著の出版社や翻訳エージェントは少しで高く買ってくれるところや、多く販売してくれそうなところに出版権を売りたいでしょうから、小出版社のチャンスは少なくなります※。

『戦争は女の顔をしていない』は、結局受賞の翌年に岩波書店から刊行され、私はそれを読みました。それ以降この作家の作品は岩波書店から出続けているようです。また『戦争は女の顔をしていない』はKADOKAWAから漫画にもなって出ています(現在5巻まで刊行)。クラスナホルカイの作品は今後どの出版社から出されるでしょうか。

ハン・ガン氏の作品は、2011年にクオンが『菜食主義者』を出版したのをはじめ、授業前からいくつかの出版社から翻訳出版されていました。クオンは昨今の日本での韓国文学普及において大変大きな役割を担ってきた出版社です。ハン・ガン氏の受賞によって、名誉はもちろん対価も十分に得られたとのことです。

※この文章での「翻訳権」「版権」「出版権」はすべて「日本国内での日本語翻訳版の独占出版権」のことで、通常他の出版社が同じフォーマットで出せないようになっています。

通信554「スクール運営奮闘記(10カ月目)」浅見綾子

=====================================
【週刊ハンガンネット通信】第554号 (2025年10月22日発行)
「スクール運営奮闘記(10カ月目)」浅見綾子
=====================================

――「広報の難しさと、手応えを感じた10カ月」

HANA韓国語スクールの運営担当を引き継いでから、10カ月が経ちました。

運営業務の中でも、最も難しさを感じるのが「広報」です。

どんなに魅力的な講座を企画しても、受講生にその魅力が届かなければ開講には至りません。

講師や内容に自信があっても、知ってもらうまでの道のりには毎回試行錯誤があります。

これまでにも、残念ながら受講者が1名にとどまり、開講できなかった講座がいくつもありました。

「授業チラ見せ動画」から「先生紹介動画」へ

これまで広報の一環として、授業の一部を切り取った“チラ見せ動画”を制作してきました。

動画を通して授業の雰囲気を感じてもらえる点で効果は大きく、動画を見てから申し込む方が増えた実感があります。

▶︎ https://www.youtube.com/watch?v=GJOriK4nECY&t=4s

ただ、一つの動画を完成させるまでに多くの時間を要するのも事実です。

そこで新たに始めたのが「先生紹介動画」です(「そんなのもうやってるよ!」と怒られそうですが……)。

授業の一場面ではなく、先生ご本人の魅力に焦点を当てた短いインタビュー形式の動画です。

最初の1本を制作する際は時間がかかりましたが、テンプレートを整えることで次からは効率的に編集できるようになりました。

申し込みの決め手は「先生」という存在

受講を決める要素には、受講料、時間帯、開催形態(対面・オンライン)などがありますが、多くの方が最終的に重視されるのは「どんな先生なのか」という点だと感じています。

授業の雰囲気や先生の話し方、人柄など、文章では伝わりにくい部分を動画で直接見ていただくことで、受講を後押しする効果があります。

先生の紹介動画はこんな感じです。

▶︎ https://www.canva.com/design/DAG18kU_F7I/HhVP81UXkmQOFbdH82N33Q/watch

また、別途先生の紹介ページも作りました。

▶︎ https://www.hanatas.jp/events/24352/

この動画を公開したところ、すぐに講座のお申し込みがあり、動画の持つ影響力を改めて実感しました。現在は、他の先生方にもご協力いただきながら撮影を進めているところです。

おわりに

講座運営は、「良い授業を作ること」と「その良さを伝えること」の両輪で成り立っています。

どちらが欠けても継続は難しく、特に広報は地道な取り組みの積み重ねが、講座の信頼や認知につながる大切な役割を担っています。

今後も、受講を検討している方々に講座の魅力をわかりやすく伝えられるよう、動画をはじめとするさまざまな方法を模索していきたいと思います。

先生方の広報事例や工夫も、ぜひ共有いただけたら幸いです。

通信553 「パンマルはいつ使える?」寄田晴代

=================================================
【週刊ハンガンネット通信】第553号 (2025年10月18日発行)
「パンマルはいつ使える?」寄田晴代
=================================================

ヘヨ体(-아/어요体)の学習に入ると、パンマルの話をします。

語尾のヨ(요)を取ると、親しい同年代や年下に使えるぞんざいな言い方、いわゆる「タメ口」になるよ、と説明することが多いのですが、使い方には気をつけてね、と付け加えます。

パンマルを使っていい状況というのは、なかなか口で説明しにくいと思っています。

留学生時代、なかなかパンマルがうまく使えなくて苦労した思い出があります。

研究生として、担当教授の研究室で一日中過ごす毎日でした。研究室にいるのは、私と高齢の教授と40代の助教の3人。当然パンマルを使う状況にはなく、それどころか、失礼がないように敬語を使いこなすことに全集中する日々でした。

すると敬語しか話せない外国人になってしまい、韓国の友人たちに「そんなのおかしい」「友達なんだから語尾に요をつけちゃダメ!」とさんざん矯正されることに。うっかり「~요」と言ってしまうと、友人たちは胸の前で腕をバツを作り、アウトを宣告するのでした。

パンマルが口から出てこなかった理由のひとつが、それがとんでもなく乱暴な言い方に聞こえて抵抗感があったことです。

「이거 먹어」と言われると「これ食べて」ではなく「これ食えや」(抑揚は関西弁)に聞こえていたのです。(ただの妄想ですが)

しかし、親交を深めるためには慣れなくてはいけないと努力した結果、抵抗感も薄れ、そこそこ使えるようになりました。

そこで、お互いまだパンマルを使ったことのない韓国人の友人がいたのですが、私たちもこれからはパンマルで話そう、と提案してみました。すると「今まで通りがいい」と言うではありませんか。

私の頭の中は?でいっぱい。聞いてた話と違うやん。それって、そんなに親しくなりたくないってこと?しょっちゅう会って仲良くしてるつもりだったので、ちょっとショックでした。

残念ながら当時の私は理由を聞き出すほどの語学力がなく「あ、そうなの?아, 그래요?」で終わった記憶があります。

けれども、彼女とはそれ以降も疎遠になるわけでもなく、よくいっしょに遊んでいました。

もうひとつ、パンマルに関する印象的な思い出は日本でのこと。

日本人Aさんが韓国人Bさんに、「です/ます」ではない、砕けた口調(日本語)で話をしていました。二人は同じ職場で顔なじみですが、違う部署で働いています。AさんはBさんより一回り以上年上です。

Aさんが去った後、Bさんが「なんでパンマル使われなきゃいけないのよ。そんな昔からの知り合いでもないのに」とぼやいているのを聞き、年が離れていても、関係性によってはパンマルで相手の気分を害することもあるのか、と思った場面でした。

そういえば、うちの家族にも、パンマルを使って注意された人がいます。

久々に会った親しい元同僚(韓国人)に、嬉しくてパンマルで話しかけたら「話し方が乱暴になりましたね。気をつけた方がいいですよ」と、きれいな日本語でたしなめられたそうです。

年齢、相手との関係性、状況など、いろいろな要素が絡むパンマル使用ラインは、結構難しいと感じています。

学生に「안녕!」とか「알았어」と言われると、どこから説明しようかな、と思うのです。