通信566「講師と生徒」日下隆博

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【週刊ハンガンネット通信】第566号(2026年1月19日発行)
「講師と生徒」 ワカンドウ韓国語教室 日下隆博
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私が昨年からオープンマイクと呼ばれるライブハウスなどの飛び入りステージに立つようになって10か月ほどが経ちました。これまで40回ほどのステージを経験し音楽を通して様々な人と知り合う機会も得ています。

その中で時に、普段はボーカルレッスンの講師やボイストレーナーをしているという方に出会うこともあります。「ボーカルを教える仕事もしていますので気軽に問い合わせてみてください」とステージで自己紹介する方もいます。

人に歌を教えて対価を得ている人のボーカルということで当然その人のボーカルは期待して聞くわけですが、一般のカラオケ好きな人ほどもうまくないボーカルだったりすることがあります。

そこでふと、流ちょうに韓国語会話ができなかったり韓国語の発音が韓国人のように聞こえない韓国語講師の顔が数人頭に浮かびました。

なるほどボーカルの世界でも同じことがあるのだな、と感じます。

本人の歌唱力は二の次で、教えるプロとしての何らかの力量を備えているのだろうと想像します。

ある日、そんなボーカル講師主催のパーティーに誘われ参加したことがありました。

パーティのカラオケコーナーでは参加者がカラオケを披露しました。特にうまくもない歌唱が次々と披露されていきます。その時、歌唱者を紹介する際に「ボーカル講師の生徒」だということが明かされていきます。

そこではたと、講師の教える力量にも疑問符がわいてきました。

生徒のうちひとり歌が上手な人がいました。驚いたのは、その人にボーカル講師が「先生と一緒に歌いましょう」とデュエットしたところハーモニーはいまひとつで講師が生徒の歌を台無しにしていたことでした。また生徒もありがたく講師とのデュエットに臨んでいるように映りました。

このことで考えたことは、こうした先生に習い続けている生徒の、講師を見極める目というのは、ほぼ盲目状態なのではないかということでした。

音楽の交流の場で、思わず講師と生徒について考えてみる機会を得た形となりました。

通信565「アンソンギさん、ありがとう」田附和久

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【週刊ハンガンネット通信】第565号 (2026年1月16日発行)
「アン・ソンギさん、ありがとう」田附和久
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私が朝鮮語を学び始めた1980年代は、今と違って韓国から日本へ旅行で訪れる人も少なく、インターネットもなかったので、生きた朝鮮語に触れるのにはずいぶん苦労させられました。

そうした中でたいへんありがたかったのは、当時、池袋のサンシャイン60にあった韓国文化院で毎月行われていた無料の韓国映画上映会でした。15分ほどの短編文化映画が上映された後、毎月1本、娯楽作品が上映されていました。小説原作の作品、メロドラマ、戦争映画など、さまざまなジャンルの作品を通して、言語だけでなく、日本と異なる韓国の文化や習慣についても多くを学びました。やがて、上映される多くの作品にたびたび登場する、個性的な俳優の存在に気づくようになりました。そう、それがアン・ソンギさんでした。

多くの追悼記事が伝えるように、80年代の韓国映画はまさにアン・ソンギの時代でした。僧侶、浮浪者、インテリ、野球監督など、作品ごとにまったく異なる役柄を演じているのには、いつも驚かされました。

私は、批評ができるほどの映画ファンではないので、ただただ強い印象を受けたということだけで80年代アン・ソンギ作品のベスト3を挙げるとすれば、

3位 안개마을(韓国の土俗的な闇を描いた怖い作品)
2位 깊고 푸른 밤(忘れられない悲しいラストシーン)
1位 고래 사냥(「カクソリタリョン」と「ナドヤガンダ」が、いつでも元気にしてくれる永遠の青春映画)

という順位になるでしょうか。

そして番外で、공포의 외인구단。チョン・スラが歌うテーマ曲をバックに、イ・ボヒの笑顔が浮かんできます(イ・ボヒといえば、무릎과 무릎 사이というアン・ソンギさんとの共演作もありました)。

私は一度だけ、実際にアン・ソンギさんに会い、言葉を交わすことができました。1987年だったでしょうか。池袋西武にあったスタジオ200という小さなスペースで韓国映画祭が開催された際、トークショーとサイン会が行われたのです。彼が韓国外国語大学で学んだことを知っていた私は、サインをもらうときに「私も外国語大学の学生で、今、朝鮮語を学んでいます」と話しかけると、ちょっと驚いたような表情を浮かべながら、にこりと微笑み返してくれました。

当時、苦労して鑑賞した彼の出演作は、今ではインターネットの動画サイトでその大半を見ることができます。先週、彼の訃報を聞いてから、上に挙げた80年代の彼の代表作を探し、何編か見直してみました。あんなに感動した作品でも、長い歳月が流れ、ほとんどあらすじも忘れてしまっていたものが大半でした。

でも、キム・スチョルの音楽やチョン・スラの歌を耳にし、イ・ボヒやチャン・ミヒ、イ・ミスクといった女優たちの魅力的な表情を見ると、40年前の若かりし青春の日々に一気にタイムリープさせられました。

74歳という享年は、今の時代ではとても若く、もうアン・ソンギさんの新しい作品を見ることができないと思うと、ただただ悲しいです。

でも、彼の命は尽きても、彼の作品はこれからも残り続けます。フィルムに遺した彼の演技は、これからも多くの人を魅了し続けることでしょう。

私も、まだ見ていない比較的最近の作品を探して鑑賞したいと思いますし、80年代の彼の作品を知らない方には、ぜひ若き日の彼の代表作をご覧いただければと思います。なぜ彼が「国民の俳優」と呼ばれるのか、きっとわかると思います。

アン・ソンギさん、ほんとうにありがとうございました。

通信564「絶版と品切重版未定」 ペ・ジョンリョル

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【週刊ハンガンネット通信】第564号 (2026年1月5日発行)
「絶版と品切重版未定」ペ・ジョンリョル
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前回著作権の話をしましたが、今回も続けて著作権に関することを記したいと思います。

出版社から本を出すとき、通常、著作権者である著者と出版社との間で出版契約を結びます。出版社はこの契約により、著者の原稿に出版権(業界では版権と言うことが多い)を設定し、多くの場合、国内で独占的にその原稿を出版する権利を持つことになります。この場合でも、あくまで著作権は著者に帰属します。

なお、雑誌などでは、原稿料を支払って原稿を書いてもらうことがあります。これを「買い取り」と呼ぶことがありますが、この場合も、契約書などで特段の取り決めがある場合を除いて、出版社は原稿料と引き換えにその原稿の1回きりの使用権を得ているだけで、著作権は執筆者にある(出版社が著作権を「買い取った」わけでない)と解釈されることが多いです。

ほとんどの本は、時間の経過とともに販売が低下します。書店の売り場は限られているのに毎月新刊が出て、常に入れ替わるからです。Amazonなどのオンライン書店はその限りではありませんが、やはり新しい本やよく売れている本が目立つように表示されるので、時間がたった本、売れ行きを維持できない本はやがて先細りしていきます。書店の売り場やオンライン書店での露出を勝ち取るためには、絶え間ない営業・販促活動が必要です。でも出版社も、古い本より新しい本の営業に力を入れる傾向にあります。

さらに出版社にとって、在庫は経理上財産であるため、処分することで会社の利益を圧縮することができます。在庫を持っていると倉敷料(保管料)もかかります。加えて、お金を貸してくれる金融機関は在庫の増加を好ましく思いません。法人税を減らすため、経費を減らすため、よい決算書を作るために、出版社は売れないタイトルから絶版処分を行います。出版社の中には、あまり絶版にしないところもあれば、売れないとみるやさっさと絶版にする出版社もあります。

絶版は「版を絶つ(印刷用の版を廃棄する)」から来ている言葉で、出版社がその本をもう売らない、出荷しないと決めたことを指す用語です。これに伴い、(私が知る限り)倉庫の在庫を廃棄し、著者との契約も終了することがほとんどです。

契約が生きている間は、著者がその原稿を他の出版社から本にすることができません。しかし契約が終了すれば、別の出版社から出すことが可能になります。もし引き受けてくれる出版社があればですが、一度売れなくなった本も内容をアップデートさせて、再び日の目を見られるようになるかもしれません。

一方「品切重版未定」という状態もあります。出版社に在庫がないのに増刷を行わない場合です。増刷をすると印刷・製本費がかかりますが、一定部数売れないとその費用は赤字になってしまうので、ある程度の売上が見込めないときは、出版社も増刷ができないのです。ではなぜ絶版にしないのか? 市中在庫があるから?(返品されたら改装して出荷できる)、取り置き在庫だけはキープしてあるから? 要件が揃ったときに増刷する可能性を残しておきたいから? HANAではこういうケースがないので私もちょっと良く分かりません。

著者にとっては在庫がないので売れる可能性はゼロ。一方で出版権が有効なので他の出版社から出すこともできず「塩漬け」状態になります。人生を懸けて書いた本がそんな状態だったら、困りますね。

こういう場合は、出版社に連絡をして、「もう増刷しないのなら出版契約を終了してほしい」と相談するとよいと思います。応じてくれなくても(そういうことはまずないと思いますが)、多くの出版契約では「契約期限の●カ月前までに文書で知らせない限り1年ずつ自動更新する」といった条項を設けてあります。この場合、逆にいうと、次の更新日の●カ月前までに「更新しない」と文書で通知すれば、契約を終了させることができるわけです。すでに本を出版されていて関心のある方は、ぜひ一度出版契約書の内容を確認してみてください。

通信563「忙しくても回すために:売上目標を“意識して動く”ということ」浅見綾子

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【週刊ハンガンネット通信】第563号 (2025年12月22日発行)
「忙しくても回すために:売上目標を“意識して動く”ということ」浅見綾子
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突然ですが、年間の売上目標金額を決めていらっしゃいますか?

そして、その目標を「立てっぱなし」にせず、毎月意識し、途中途中で見直していますか。

私が教室運営で大切にしていることはこの2点です。

①売上目標金額を明確に立てること
②それをきちんと意識して行動すること

(すでに実践されている方も多いと思いますが、運営の考え方の一例として読んでいただければ幸いです。)

私は2025年からスクール運営担当になりました。運営をしていると、やるべきこと・やりたいことが次々に出てきます。広報、講座企画、申込導線の整備、先生方との調整、単発企画……。どれも大切ですが、全部を同じ熱量で追いかけると、どうしても「忙しくて手が回らない」状態になりがちです。

そこで役に立つのが、明確な売上目標金額を立てること、そしてそれを意識して動き続けることだと思っています。

売上目標金額は「迷いを減らす」ための軸

売上目標という言葉は少し構えてしまうかもしれませんが、私にとっては、運営を締め付けるための数字ではなく、判断を早くするための軸です。

目標金額がはっきりしていると、講座運営の中で頻繁に出てくる問いに答えやすくなります。

  • 今月(今期)は、どこに力を入れるべきか
  • 新しい企画が必要か/既存を磨くべきか
  • 広報は「やれたら」ではなく「いつ・何回・どう出すか」
  • 単発企画は、今年は何本必要か

つまり、目標金額があると、運営が「気分」ではなく「設計」で進みやすくなります。

目標があると「逆算」して、やることが決まってくる

売上目標を置いたら、次にやるのは逆算です。金額は人それぞれなので、ここでは考え方だけまとめます。

  1. 年間の売上目標金額を決める
  2. 定期講座(既存)の見込みを積む
  3. 不足分(=差分)を出す
  4. 差分を埋めるために必要な「打ち手」を決める

この「差分」が見えた瞬間に、行動が具体化します。

  • 新講座を何本つくるか
  • 単発イベントを何本入れるか
  • 1企画あたりの定員・単価をどう設計するか
  • 募集のスケジュールをいつから動かすか

私の場合も、目標金額から逆算すると、通常の授業だけでは目標に届かないことが早い段階で見えました。そこで、新講座や単発イベントを計画に組み込み、年間の構成を先に設計するようにしています。

そして大事なのは「きちんと目標金額を意識する」こと

売上目標は、立てるだけでは効果が薄く、意識して行動に反映させて初めて意味が出ると感じています。

私は月ごと(加えて3カ月ごと)に、次の3点を確認します。

  • 現時点で目標に対して何%達成か
  • 想定通りか、遅れているか
  • 遅れている場合は「何を足すか」より先に「どこを直すか」

テコ入れは、大きな改革ではなく「小さく早く」が基本です。たとえば、

  • 募集開始を前倒しする
  • 告知の切り口を変える(講座名や対象を調整する)
  • 紹介動画を作る
  • 単発企画を1本入れる

こうした微調整を早めに入れることで、年度後半に慌てて詰め込む状況を避けやすくなります。

目標金額を“毎月見える位置に置いておく”だけでも、行動がぶれにくくなる感覚があります。

おわりに

売上目標金額の立て方は、教室の規模や運営方針によってさまざまだと思います。

ただ、もし「やることは多いのに優先順位がぶれやすい」「企画や広報がその場の勢いになりがち」と感じることがあれば、

  • 目標金額を明確に立てる
  • それを意識して行動する(定期的に達成率を見てテコ入れする)

この2点をセットで試してみるのはいかがでしょうか。

とはいえ、やるべきことが分かっても、現実はなかなか手が回らない日も多いんですがね(涙)

無理なく続けるためにも、「テコ入れは小さく早く」を合言葉に、できるところから回していこうと思います。

通信562「AIと韓国語学習」寄田晴代

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【週刊ハンガンネット通信】第562号 (2025年12月20日発行)
「AIと韓国語学習」寄田晴代
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来年のヒット予測商品に「多言語リアル翻訳」がある、とラジオから聞こえてきました。「言語」というワードが聞こえると、すぐ反応してしまいます。

これは、話した言葉をほぼ同時に別の言語へ翻訳し、音声や字幕として表示する技術・サービスの総称で、言語の壁をほぼ感じずにコミュニケーションが可能になるのだそうです。

え?じゃあ、韓国語学習者は減ってしまうの?と心配になり,AIに聞いてみました。

答えをまとめると、「実用目的の学習者は一部減る可能性があるが、語学を学ぶことで得られる認知的なメリットなど、外国語学習そのものに意義があるので学習が不要にはならない」ということでした。特に韓国語学習者の大半は、実用目的(仕事や留学などで必要)以外の人が多いので、そんなに減ることはないようです。また、AIが正しいかどうかチェックできるのは人間しかいないので、結局、AIを使いこなすためにも語学力は必要なんだとか。

ただ、外国語学習そのものはなくならないけれど「AI翻訳と語学学習は共存する方向に進む(AIを使いながら学ぶ)」という答えに、では人間の先生は不要になるのか?とまたもや不安になり、人間の教師にしかできないことをAIに質問。すると次の5つの答えが返ってきました。

1.学習者の状態を見て教え方を変える。
2.言語の微妙なニュアンスや、使うにふさわしい場面を教える。
3.学習者のモチベーションを支え、成長に伴走する。
4.その言語の文化的背景や価値観を伝える。
5.ロールプレイや対話練習を促すなど、創造的な学びの場を作る。

なるほど、逆に言えば、これができなければ人が教える意味がないということか、と私は解釈しました。

先日、推しのファンミーティングに行って、通訳なしで韓国語で話ができたと!嬉しそうに報告してくれた学生がいました。また、なかなかハングルがスムーズに読めない高齢の学習者さんがいるのですが、4月から始めて最近だんだん読めるようになってきました。その方が「こうやって読めると面白いんだよね。」とつぶやいた一言がとても印象的でした。(字が読めないのに、授業がつまらなくないのかな、と気になっていたのです。)

こんな場面に遭遇すると、こちらまで嬉しくなります。

理屈抜きに、できたら嬉しい、できたら楽しい。この楽しさを伝えたり共感できるのは、今のところ、私たち人間の教師だけです。このような「人間の役割」を意識すると、授業作りのヒントにもなるのではないかと思いました。

通信561 「パンマルとため口」 加藤 慧

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【週刊ハンガンネット通信】第561号 (2025年12月8日発行)
「パンマルとため口」 加藤 慧
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寄田先生と幡野先生の投稿を楽しく拝読し、私も普段から考えていることを書いてみたいと思います。

「日本のため口と同じ」と言われることも多いパンマルですが、私はため口(以下では日本語のみを指します)とは、実は大きな違いがあると思っています。

少し前に、日本の俳優の方が、日本出身で韓国籍を取得したタレントの方のYouTubeチャンネルに出演した際、韓国の視聴者から「年下で初対面なのに終始ため口で失礼」と批判されていました。韓国語ではなく日本語の会話だったにもかかわらず、です。本人としては同年代の相手への親しみの表れとしてため口で話したのかもしれませんが、韓国の文化に慣れているタレントの方や韓国の視聴者は戸惑ったのでしょう。

自分に置き換えて考えてみると、日本語の会話でそれほど親しくない相手からため口で話されたときに覚える不快感は、相手の年齢やそれが失礼かどうかよりも、馴れ馴れしさからくるものという気がします。一方韓国語母語話者の場合、特に年下の相手からパンマルを使われると、相当に無礼と感じるようです。韓国ドラマでも初対面の相手にパンマルを使われて、何歳か言ってみろと怒るシーンがよく出てきますね。私はここに、日本のため口との差を感じます。

アニメもいい例だと思います。日本のアニメや漫画では、子供のキャラクターはため口で話すことが一般的だと思いますが、その韓国語吹替版を見てみると、子供の台詞はきれいな丁寧語に直されていることがわかります。日本のアニメで子供がみんな丁寧語で話していたら、逆に違和感があるのではないでしょうか。丁寧語で話す子供が登場したとしても、大人びたキャラクターを表すための役割語的なものが多いと思います。

日本の子供がテレビのインタビューでため口で答えるのも、私たちにとっては当たり前の光景ですが、SNSでこれに不快感をあらわにしている韓国の方の投稿を見たことがあります。子供が自分の親以外の大人に対してパンマルを使うことなどありえないからでしょう。

また、先日台湾に行ったときにキャラクターが台湾華語で話している施設紹介映像の字幕を比較してみましたが、韓国語は格式体、日本語はため口になっていました。韓国も子供向け番組のキャラクターなどはパンマルで話しますが、ここでは大人も見る映像だから格式体になっているのだな、と違いを改めて感じました。

こうした例からもわかるように、同じ親しさの表れでも、ため口は距離の近さ、パンマルは無礼講的な意味合いが強いのかもしれません。

さらに同じパンマルでも、한다 体 と해 体の二種類がある点も注意が必要ですね。手元のカナタ韓国語中級1のテキストでは、前者は「相手を非常に低く見る場合」、後者は「お互いが気安い場合」と説明されています。

このような注意点の多さを考えると、本当に深い付き合いになれるネイティブの友達がほしい!という学習者さん以外は、使えるようにまではなる必要がないのかもしれません。
個人的にも、同い年〜年上の友人でパンマルを使うのは日本で知り合った友人のみで、ほとんどが学生時代に先に日本語で会話し始めたケースです。
韓国留学中に親しくなった年下の友人たちからは、ある時点で丁寧語を使わないでくださいと言われ、パンマルを使うようになりましたが、向こうは丁寧語のままです。

使えるようにはならなくていいとしても、映像作品や歌詞、コンテンツなどに登場するので理解できるようになると楽しいものです。
特に映像作品では丁寧語からパンマルに変わったときの微妙な距離感の変化が描かれていたりするのがわかって、作品をより楽しめるようになりますよね。

言語体系が似ているためついつい同じように考えてしまいがちなパンマルとため口ですが、単語の意味などと同じように、重なる部分と異なる部分をしっかりと意識する必要があります。
もちろん個人差があるのは大前提だと思いますが、教える際にはこのような違いも伝えていけると、お互い嫌な思いをすることも減らせるのかなと思いました。

通信560 「AIの作文」 伊藤耕一

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【週刊ハンガンネット通信】第560号 (2025年12月5日発行)
 「AIの作文」伊藤 耕一
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最近、調べ物をする時にAIを使うことが多くなりました。

短い質問を投げかけると、回答の後に「関連することも調べましょうか?」などと提案をしてくれます。

何度かその作業を繰り返すと、自分が欲しい答えが出てきたりして、思いつきで要領を得ない質問を投げかけても、それなりの答えにたどり着けるのが素晴らしいと思います。

しかし、信憑性が低いと感じる時もあり、そんな時はGoogleで調べて反証したりしています。

今回は、「日本と韓国のキャッシュレス文化の違い」というテーマで800字で書いてもらいました。

日本と韓国は地理的に近く、文化的にも共通点が多いとされるが、キャッシュレス文化に関しては大きな差がみられる。韓国では、レストランやタクシーだけでなく、市場や屋台にまでデジタル決済が浸透している。スマートフォン一つでほとんどの支払いが完結し、現金を持ち歩く必要がない。一方、日本ではキャッシュレス化が進みつつあるものの、依然として現金を選ぶ人が多く、国民の“現金への安心感”が根強く残っている。

この差の背景には、歴史的・社会的要因がある。韓国は1990年代後半の通貨危機を契機に、経済の透明性向上を目的として政府がクレジットカード利用を積極的に後押しした。利用額に応じた所得控除も導入され、短期間でカード文化が定着した。その後はスマートフォン普及率の高さがアプリ決済をさらに広げ、国民全体が自然にキャッシュレスへ移行していった。

一方、日本は治安が良く、偽札の心配が少ないことから、現金利用が長く便利で安全とされてきた。また、高齢者の割合が高いことも、急速なデジタル化が進みにくい要因となっている。店側も「現金のままで問題がない」という意識が広く、導入コストを嫌ってキャッシュレスに踏み切れない小規模店舗も多い。

興味深いのは、キャッシュレス化が生活様式にも違いを生んでいる点である。韓国では「KakaoPay」などのアプリで友人同士の送金が簡単にでき、割り勘もメッセージ感覚で行える。対して日本では、近年は「PayPay」や「LINE Pay」が普及してきたものの、現金での割り勘が依然として一般的である。

しかし、日本にも独自の強みがある。多様な決済方式が併存し、SuicaやPASMOといった交通系ICカードの利便性は世界的にも評価が高い。また、安全性や個人情報への意識が高く、慎重にキャッシュレスを取り入れる姿勢は安定した社会の特徴ともいえる。

韓国の大胆なデジタル化と、日本の段階的な移行。どちらが優れているという話ではなく、両国のキャッシュレス文化は、それぞれの社会の価値観や歴史を映した姿といえる。異なる道を歩みつつも、両国は確実にキャッシュレス化の波を受け入れ、より便利な社会へと進んでいる。

言い回しの好き嫌いや、対立的な表現にやや違和感がありますが、それなりの完成度だと思います。「そうなんだ。」と、つい信じてしまいそうになりますが、今の韓国が本当にそんな世の中になっているのか、反証のために見に行きたいと思いました。

通信559 「パンマルを使う相手」 幡野泉

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【週刊ハンガンネット通信】第559号 (2025年11月24日発行)
「パンマルを使う相手」幡野 泉
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第553号で寄田晴代先生が「パンマルはいつ使える?」という
メルマガを投稿され、私もこれについてはいろいろ感じてきたので
リレー的に書いてみたいと思います。

私はこれまで誰にパンマルを使ってきただろうと思い返してみたら、
数えるくらいしかいませんでした。
語学堂時代、日本人の友人を介して知り合い、グループでつるんで
遊んでいたお調子者のサンフン。それから、子供(知り合いの子供、
行きずりの子供問わず10歳くらいまで)などです。

語学堂のクラスメイトや知り合いの子供でも、中学生以上くらいに
なると丁寧語を使っていたかもしれません。サンフン以外の
韓国人友人には仲が良くても丁寧語を使っていましたし、
仕事で接する人は、いくら年下でもすべて丁寧語です。

上記、「つるむ」という表現を使いましたが、感覚的に、同世代でも
年下でも、「つるむ」ような間柄でないと、なんとなくパンマルは
使いにくいと感じています。
あと、10歳以下くらいの子供に丁寧語を使うと、知り合いでも
行きずりでもオカシイ気がしています。

また、寄田先生が職場での話を書かれていましたが、
私も似たような場面を見たことがあります。

社員の中で姉御的存在の韓国人Aさんがいて、Aさんは周囲の後輩
社員に向かってパンマルで話していました。
そして、新入社員の韓国人Bさんが入社してきました。
Bさんは、Aさんより10歳以上年下です。
ほどなくして、事情がありAさんは退社しました。
すると、Bさんがこう話していたのです。
「Aさんの印象は良くなかった。パンマルを使っていたから」と。
AさんとBさんは少し接する期間がありましたが、AさんがBさんに
パンマルで話していたかは分かりません。
とにかく、Aさんが後輩社員に向かってパンマルで話していたことに対し、
よく思っていなかったようでした。

私からしたら、Aさんは姉御肌だったし年長者だったので、周囲に
パンマルで話すのも自然に感じられたのですが、同じ韓国人でも
違和感を覚える人がいるんだ、と意外に感じたものです。

親しい中にも礼儀あり……。私たち日本語話者が外国語として韓国語を話す
とき、パンマルを使うことが相応しい場面というのは、かなり限られる
のではないかと思っています。

通信558 「スピーチ大会は総力戦」前田真彦

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【週刊ハンガンネット通信】第558号 (2025年11月17日発行)
「スピーチ大会は総力戦」 前田真彦
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12月13日(土)13時~ 毎年年末恒例のミレの第15回スピーチ大会を実施
します。
今回もイムチュヒさんを審査員としてお招きし、すべてZOOMで実施します。
ミレでは普段から発音や音読指導に力を入れています。その集大成としての位置づけで毎年年末にスピーチ大会を実施しています。今回のテーマは、「韓国の魅力~だから韓国が好き」です。15人の個性的な原稿が集まっています。

原稿作成からサポートし、何度も原稿の書き直しをしてもらいます。合同の勉強会は3~4回実施し、出演者1人に、スタッフ1人が担任としてつきます。個別レッスンは、前田、担任スタッフ、ネイティブスタッフと3回実施します。スタッフ全員で出演者をサポートします。観覧者には、「次は私も挑戦したい」と思ってもらえるように、ミレ生全員に観覧に来るように呼びかけます。スピーチ大会に向けて、出演者も、スタッフも、そして観覧者も、学院全体が一つにまとまるのです。このように、スピーチ大会はミレ学院の一大イベントです。

なぜここまでするのか? それはスピーチは、「成功体験」でなければならないと考えているからです。「挑戦してよかった」「壁を突破できた」「韓国語がますます好きになった」「韓国語で自分の気持ちを伝えることができた」と思える成功体験を保障するのが、私たちの使命だからです。

出演者一人一人の発表が終わるとイム・チュヒさん、前田、そしてスタッフからコメントがあります。このコメントは、出演者にとっても、われわれスタッフにとっても大いに学ぶところがあります。発表者の真剣さに見合うだけのしっかりしたコメントができなければ、会全体の空気が緩んでしまいます。コメントも真剣勝負なのです。

「音読」から「語る」へ、いつどのように移行できるのか、いつもドキドキします。今年は大丈夫だろうか?

12月13日(土)13時から、ぜひ観覧にいらしてください。
https://new.mire-k.jp/speech_15/