通信556 「死ぬ日まで天を仰ぎ」田附和久

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【週刊ハンガンネット通信】第556号 (2025年11月3日発行)
「死ぬ日まで天を仰ぎ」田附和久
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私は韓国語の授業でパッチムを教える際、必ず取り上げる単語が三つあります。하늘(空)、바람(風)、별(星)。これらを発音してもらった後で、「皆さんは『空と風と星と詩』という詩集をご存じですか」と問いかけます。そして、何も見ずに、「죽는 날까지 하늘을 우러러..(死ぬ日まで天を仰ぎ…)」と尹東柱の「序詩」を暗誦してみせます。そして、受講生がぽかんと口を開けているのを横目に、この詩の日本語訳と詩人・尹東柱の人生を紹介し、最後にこう語るのが私の授業の「定番」です。
「自転車の乗り方を一生忘れないように、若い頃に覚えた詩は、年齢を重ねても自然に口をついて出てくるものです。皆さんも、心に残る詩や歌詞に出会ったら、ぜひ暗誦してみてください。それは皆さんの韓国語力を伸ばすだけでなく、生きていく上での心の支え、心の糧になるはずです。」

私は、東京・池袋の近くで生まれ、50代後半となった今もその地で暮らしていますが、この10月、故郷・池袋にある立教大学の構内に尹東柱を顕彰する記念碑が設置されました。1942年3月、戦時下の日本に留学した尹東柱は、翌1943年7月に治安維持法容疑で逮捕されるまでの間、東京の立教大学と京都の同志社大学で学びました。これまで京都には同志社大学構内をはじめ複数の場所に記念碑がありましたが、東京には一つもありませんでした。今回初めて東京に設置された記念碑には、彼の肖像写真のほか、東京滞在中に立教大学の便箋に書いた「たやすく書かれた詩」の自筆原稿が刻まれています。
記念碑が設置される以前から、立教大学では毎年、命日である2月16日に近い日曜日の午後、卒業生と大学の尽力により、構内のチャペルで追悼礼拝と記念講演会が行われてきました。コロナ禍で一時中断されましたが、再開された昨年と今年は、チャペルに入りきらないほど多くの参加者が集まりました。韓国で最もよく知られる詩人尹東柱は、日本でも今日、実に多くの人々から愛されています。

日本における尹東柱ファンを増やす大きな契機を作ったのは、詩人の茨木のり子さん(1926 – 2006)です。戦後日本を代表する詩人の一人である茨木さんは、50歳から韓国語を学び始め、自身の翻訳による『韓国現代詩選』を刊行されたほか、韓国語の魅力を綴ったエッセイ集『ハングルへの旅』も上梓しました。その中の一編「尹東柱」が、後に筑摩書房の高校教科書『新編現代文』に収録され、日本の多くの高校生が尹東柱の作品と人生に触れるようになりました。

茨木さんは尹東柱の存在を知って以来、作品の翻訳に取り組んでいましたが、作業を進めていた1984年に伊吹郷さんによる完訳が刊行されたため、気勢が削がれてしまったとエッセイに記しています。しかし、今年9月、岩波書店から刊行された『茨木のり子全詩集・新版』に、これまで未公開だった茨木訳の尹東柱詩7編が収められました。数は多くないものの、「現代詩の長女」と呼ばれた方の翻訳だけあり、既存の訳とはひと味異なる箇所が少なくありません。例を一つ挙げれば、立教大学の記念碑にも刻まれ、「たやすく書かれた詩」と紹介されてきた「쉽게 씌어진 시」を「さらさら書けた詩」と訳しています(「人生は生きがたいというのに/詩がこうも さらさら書けるのは/恥ずかしいことだ」)。本書には金裕鴻先生の「좋습니다(いいですね)」というチェックも入った「自畫像」の自筆原稿写真も掲載されています。茨木さんが本格的に尹東柱詩の翻訳に取り組まなかったことは残念でなりませんが、この7編が残されていた奇跡を、心から喜びたいと思います。
その後、日本での尹東柱への関心が高まる中、伊吹訳以外にも複数の翻訳書が刊行され、現在では、金時鐘さん翻訳による、原文併載の岩波文庫版が、廉価で入手できるようになっています。

私も「序詩」を暗誦し、授業で必ず紹介するほどですから、言うまでもなく尹東柱を愛してやまない一人です。初めて彼の作品と向き合ったのは1989年、交換留学生としてソウルの延世大学に通い始めたときでした。大学構内の「尹東柱詩碑」の横の坂道を通って毎日教室へ通ううちに、詩碑に刻まれた「序詩」を暗誦できるようになりました。その後、他の作品も読むようになりましたが、韓国人の友人がなかなかできず、下宿でよく読めない韓国語の本を眺めてばかりいた当時の私の心に最も響いたのは、東京での留学中に書かれた「たやすく書かれた詩」でした。「六畳部屋は他人の国」という冒頭を「オンドル部屋は他人の国」と置き換えて口ずさんでみたこともあります。
日本に戻り、卒業後には、縁あって彼の生涯を描いた演劇公演の翻訳や広報を手伝ったこともあり、そのたびに彼の作品を読み返す中で、日々の忙しさの中で忘れがちな純真な思いや社会に出たときの初心を思い起こしてきました。
最初の出会いからおよそ40年が経ち、私の年齢は尹東柱の享年(27歳)をはるかに超え、彼の倍以上生きてしまいました。いつしか私も尹東柱と同じキリスト教の信仰を持つようになり、今では若い頃とは異なる視点で彼の詩を読むようになったと感じています。

尹東柱は立教で数か月学んだ後、退学して同志社に転じました。東京では友人もできず、あまりよい思い出はなかったのかもしれません。しかし、東京で書かれた詩が、彼の死後広く読まれるようになり、今では日本の多くの人々に愛されています。東京に設置された記念碑を多くの人が訪れ、彼の詩を愛する人がさらに増えることを願っています。
私は、かつての延世大学の詩碑のように毎日訪れることはできませんが、故郷に生まれたこの記念碑には、できるだけ足を運び、刻まれた「たやすく書かれた詩」を前に、若き日に立てた初心を胸に刻み直したいと思います。そして、彼のように、日々天を仰ぎつつ、すべての死にゆく者、あらゆる命を慈しみながら、この人生を過ごしていきます。

通信538「NHKラジオ英会話を聴いて」田附和久

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【週刊ハンガンネット通信】第538号 (2025年6月30日発行)

「NHKラジオ英会話を聴いて」 田附和久
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前回は、NHKラジオ「まいにちハングル講座」をご紹介しましたが、私はハングル講座だけでなく、英語や中国語のラジオ講座も楽しんで聴いています。

中でも英語は学習者が多いだけに、番組内容も非常に充実しています。毎日、基本単語だけを用いた英語のみの5分間のストーリーを聴く「Enjoy Simple English」、会話に必要な瞬発力のトレーニングに特化した「英会話タイムトライアル」、そして数週間前にNHKワールドで実際に放送されたニュース番組の音声を素材とする「ニュースで学ぶ『現代英語』」など、いずれも魅力的な内容です。同様の番組が韓国朝鮮語でもあればと、うらやましく思いながら聴いています。

こうした多彩なラインナップの中で、おそらく最も多くのリスナーを集めているのが、老舗中の老舗である「ラジオ英会話」でしょう。朝ドラ「カムカムエヴリバディ」でも取り上げられたように、ラジオ草創期から今日に至るまで、日本における英語学習に計り知れない影響を与えてきた番組です。担当される方々のプレッシャーやご苦労は相当なものと思われますが、現在の大西泰斗先生による講座「ハートでつかめ!英語の極意」は、毎年度、綿密に練り上げられた内容で展開されており、いつも心から感嘆させられています。

年度のテーマに沿って、必要な文法事項を着実に積み上げていくカリキュラムに加え、表現力や運用力を養う練習内容が年々ブラッシュアップされている点も素晴らしいのですが、さらに私が大西先生の講座で特に絶賛したいのは、日々の基本となるダイアログです。男女二人によるダイアログは、複数のストーリーが並行して進行します。考古学者の教授と学生の話、ラーメン好きの宇宙人の話、嫉妬心を抱くアンドロイドのカップルの話、19世紀ロンドンにタイムスリップした宇宙飛行士の話などが日替わりで登場し、それぞれが少しずつ進展していきます。それらの世界線が時に交わることもあり、まるで毎朝の連続ドラマのように、次の展開が気になってつい聴き続けてしまいます。必要な学習項目をしっかり盛り込みながら、こうしたエンターテインメント性あふれるダイアログを執筆される方々にはただただ感服するばかりで、私自身、いつかこんなわくわくするダイアログで構成された韓国朝鮮語テキストを著してみたいという夢も抱かされます。

さて、今年度からその「ラジオ英会話」に、毎回最後の1分間「PRONUNCIATION POLISH」というコーナーが加わりました。レッスンで学んだ表現について、より自然で英語らしい発音を学ぶ時間です。毎号のテキストの巻末に掲載されている「英語らしい発音へのヒント」では、「英語らしい強弱のリズムを生み出すこと」と「なめらかに話すこと」の重要性が説かれ、さらに「なめらかに話す」ための具体的なポイントが以下の通り挙げられ、それらに基づいて日々指導が行われます。

ポイント1 子音連鎖に母音を入れない(例:structure、agree、space)

ポイント2 最後の子音はしっかり発音しなくてもいい(例:have、tap、shut)

ポイント3 同じ音・似た音は2度読む必要はない(例:at ten、good day)

ポイント4 隣接音は影響を与え合う(例:have to、could you、didn’t you)

ポイント5 単語の末尾の子音と次の単語の母音をつなげる(例:I’m an artist. → アイマナーティスト)

ポイント6 /t/ のフラップ(例:letter → レラァ)

ポイント7 /nt/ での /t/ の脱落(例:winter)

ポイント8 強く読む母音の前の /p/ /t/ /k/(気音を伴う強い発音)

ポイント9 機能語の語頭の /h/(代名詞・助動詞の語頭の /h/ の弱化・脱落)

これらを学ぶ中で、ポイント5の子音と母音のつながりや、ポイント9の /h/の弱化・脱落など、韓国朝鮮語と共通する点があることにあらためて気づかされました。そして同時に、韓国朝鮮語の学習では基本段階で徹底的にたたき込まれるこうした発音の基本について、私自身は中高の英語授業でほとんど学んだ記憶がないことに思い至りました。「Get it on」が「げりろん」に聞こえることは好きだった洋楽の歌を通して気づいていましたが、なぜそう聞こえるのかを教室でしっかり習った覚えはありません。もし当時音読させられていたとしても、おそらく「げっと・いっと・おん」と読んでいたことでしょう。

高校を卒業してからおよそ40年。あれほど受験勉強で英単語を覚えたのに、リスニングでは聞き取れなかった理由が今ならよくわかります。正しく発音できないものを、正しく聞き取れるはずがありません。

ずいぶん遠回りをしましたが、私は韓国朝鮮語の学習を通じて、外国語学習における発音学習の重要性がわかるようになり、今改めて英語の発音を学び直しています。日本の英語教育のあり方はあまりに大きな問題なので、今回はこれ以上触れませんが、私と同じように、かつて英語(特にリスニングやスピーキング)が苦手だったものの、韓国朝鮮語は少し話せるようになったという方がいらっしゃれば、ぜひ英語学習に再チャレンジしてみてはいかがでしょうか。英語だけを学んでいたときには持てなかった相対的な視点で見直すことにより、以前とは異なる興味や楽しさをもって取り組めるはずですし、それはまた韓国朝鮮語の学習や教育にもきっと良い影響を与えてくれるのではないでしょうか。

通信529「NHKまいにちハングル講座」田附和久

【週刊ハンガンネット通信】第529号 (2025年4月28日発行)

「NHKまいにちハングル講座」田附和久
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毎年桜が咲く頃になると、NHKのハングル講座が新規開講されるのを楽しみにしています。
特に、6か月という限られた期間で入門・初級のエッセンスを教えるラジオ「まいにちハングル講座」は、朝鮮語初級指導者にとってたいへん参考になる内容が多く、担当される先生方それぞれの工夫に富んだ構成から、毎期大いに刺激を受けています。

今年度4月開講のラジオ「まいにちハングル講座」は、辻野裕紀先生が担当していらっしゃいます。
テキスト4月号の「開講のことば」では、辻野先生ご自身が初めてこの言語に触れたのがこのラジオ講座であったこと、そして長い歳月を経て講師を務めることとなった感慨が、先生にしては珍しく難解な漢字語を控え目にされた文体で記されています。毎日の講座は、辻野先生のその熱い思い、そして研究の蓄積、教育実践の成果が存分に込められており、私は毎日すっかり魅了されています。

「あなたと語る100のことば」という講座名の通り、実践的なフレーズが毎日紹介されますが、単なるフレーズ紹介にとどまらず、そこから文字、発音、文法を着実に学んでいく緻密な構成となっています。1回15分という限られた時間の中に詰め込まれた情報量は濃密で、初級既修者であっても毎回新たな学びを得られる深い内容が扱われています。
例えば、開講2日目にして「네が「デ」に聞こえる?」という問いが取り上げられ、音声学に基づく丁寧な解説が加えられていたのには、深く敬服しました。

また、言語によって「こだわる部分が違う」ということをさまざまな場面で強調されている点にも、大いに共感させられています。このことは、いずれの言語の学習においても初級学習の段階でしっかり伝えるべきでしょう。

さらに今期の講座で印象深いのは、説明の際に「この言語では」という表現を意識的に用いていらっしゃる点です。これまでの担当講師もこの表現を使われてはいましたが、辻野先生は、聴き手の耳に残るよう特に意識して発しておられるように感じます。

そもそも、なぜ「韓国語では」ではなく「この言語では」と言うのか、また、なぜ他の言語のラジオ講座が「まいにち〇〇語」であるのに、この講座だけが「まいにちハングル講座」なのか——その理由は、今日、聴取者や世間一般の間でどれだけ理解されているのでしょうか。
もしご存じない方がいらっしゃれば、1970年代の署名運動に始まり、言語名称をめぐる紆余曲折を経て、ようやく1984年4月にNHKハングル講座が開講された経緯を、ぜひ調べてみていただきたいと思います(過去の新聞記事や研究論文などで確認できるはずです)。

NHKのテレビ・ラジオでハングル講座が始まってから、41年の歳月が流れました。
私は、辻野先生の「この言語では」という言葉を耳にするたびに、大学の「朝鮮語」学科で「한국어」を学び始めた約40年前の初心を思い起こすと同時に、日本国内でこの言語を学ぶ場を広げるため、多くの困難を乗り越えて努力された先達(その多くはすでに鬼籍に入られました)のことを思い出し、身が引き締まる思いを新たにしています。

通信513「生成AIの活用について」 田附和久

【週刊ハンガンネット通信】第513号 (2024年12月2日発行)

「生成AIの活用について」田附 和久
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生成AIが私たちにとって身近な存在になってきました。私はまだ使い始めたばかりの初心者ですが、日常の業務になんとか活用できないものかと、このところ日々試行錯誤を繰り返しています。
生成AIの活用ということでまず思い浮かんだのは、練習問題や宿題作りへの活用ということ。試しにChat GPTに「TOPIK1 읽기 연습문제를 3개 만들어주세요.」と質問してみると、下記のような回答がEnterキーを押した直後に瞬時に返ってきました。

다음은 TOPIK I 읽기 연습문제 3개입니다. 각 문제는 초급 학습자 수준에 맞춰 작성되었습니다.

### 문제 1: 빈칸 채우기
다음을 읽고 빈칸에 들어갈 가장 알맞은 말을 고르세요.

**질문:**
저는 매일 아침 7시에 ( )을/를 먹습니다. 아침에는 주로 빵과 우유를 먹습니다.
**선택지:**
1) 학교 2) 운동 3) 아침 4) 음악
**정답:**
3) 아침


### 문제 2: 글의 주제 파악하기
다음 글을 읽고 글의 주제를 고르세요.

**질문:**
저는 주말에 친구와 등산을 갔습니다. 날씨가 맑아서 기분이 좋았습니다. 산에 올라가서 맛있는 음식을 먹고 사진도 많이 찍었습니다.
**선택지:**
1) 등산 가는 방법
2) 주말에 한 활동
3) 맛있는 음식
4) 사진 찍는 방법
**정답:**
2) 주말에 한 활동


### 문제 3: 내용 이해하기
다음 대화를 읽고 질문에 답하세요.

**대화:**
A: 주말에 뭐 했어요?
B: 공원에 갔어요. 공원에서 산책도 하고 책도 읽었어요.

**질문:**
B 씨는 주말에 무엇을 했습니까?
**선택지:**
1) 공원에서 운동을 했습니다.
2) 집에서 텔레비전을 봤습니다.
3) 공원에서 산책하고 책을 읽었습니다.
4) 친구와 등산을 했습니다.

**정답:**
3) 공원에서 산책하고 책을 읽었습니다.


추가적인 연습문제가 필요하면 알려주세요! 😊

少し手を加えたくなる箇所もありますが、これを瞬時に作ってしまうのはさすがです。この程度の問題作成なら、AIに頼らなくてもいいだろうと思われるかもしれませんが、たったこれだけのことでも、ゼロから作業しようと思えば、それなりの時間を費やすでしょう。また練習問題や宿題を作る際、つい自分の癖が出てしまい、単語や表現に偏りが生じがちなのですが、上手にAIを活用すればそうした問題点も克服できそうです。

次に画像生成AIも使ってみることにしました。
これまで授業で使う絵カードを作るときには、「いらすとや」などのフリー画像サイトでさがしてきたイラストを画像編集ソフトで編集して作成していましたが、画像生成AIはそのような手間をかけずに、さまざまなパターンのイラストをこれまた瞬時に生成してくれます。
もちろん、全てを思い通りに生成してくれるというわけではありません。以下に紹介するのは、位置表現の練習に使うイラストを作ろうとしたときのChatGPTとのやり取りです。

私「机の上にはノートと鉛筆と消しゴムだけが置かれています。机の横には椅子があります。椅子のすぐ下では猫が寝ています。これを漫画風のイラストにしてください。」
ChatGPT「ご希望の漫画風イラストを生成しました!ご確認ください。必要な調整があればお知らせください。」
001

私「猫の位置を椅子の真下に修正してください。」
ChatGPT「猫の位置を椅子の真下に修正したイラストを生成しました!ご確認ください。さらに調整が必要でしたらお知らせください。」
002

私「猫は1匹でいいです。椅子の上ではなく、椅子の座るところの真下に1匹です。」
ChatGPT「猫を椅子の座る部分の真下に1匹だけ配置したイラストを生成しました!ご確認ください。さらなる修正が必要でしたらお知らせください。」
003

なかなか猫が椅子の真下に動いてくれません!なんだかAIに弄ばれているような気がしてきました。日本語の指示では通じにくいのかと考え、英訳してから質問してみることにしました。

私「There is only a notebook, a pencil, and an eraser on the desk. There is a chair next to the desk. Just under the chair, a cat is sleeping. Please draw this as a cartoon-style illustration.」
ChatGPT「Here is the cartoon-style illustration you requested. Let me know if you’d like any adjustments or additional elements added! 」
004

うーん、なかなか難しいです。希望通りの画像を生成できるようになるまで、道のりはまだ遠いようです。

とは言え、今後、生成AIが私たちの仕事のスタイルを変えていくであろうことは、こんなお遊び程度のことをしているだけでも実感させられます。
次回は、こうしたAIの普及によって、外国語教育のあり方がどのように変わっていくのかについて考えてみたいと思います。

通信505 「酷暑の夏に」田附和久

【週刊ハンガンネット通信】第505号 (2024年10月3日発行)

「酷暑の夏に」
田附和久
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はじめに、配信日が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。

2024年の夏は、昨年に続き、世界的に観測史上最高の暑さを記録しました。日本も酷暑の日が続きましたが、韓国も폭염, 열대야, 이상고온, 역대최고等の言葉が連日ニュースに溢れていました。

私はこの夏2回渡韓し、それぞれ1週間ほど現地に滞在しましたが、8月上旬にはソウルで連日夕方、凄まじい게릴라성 호우に遭いました。地球温暖化の影響によって、東京も、ソウルも、夕立ちや소나기といった風流な言葉で表現するのはあまり相応しくない、東南アジアのスコールのような集中豪雨が降る地域になってしまったようです。

9月には青少年の国際交流イベントに参加する大学生を引率して済州島を訪ねました。アジア諸国から青年たちが集まって開催されたイベントのテーマは「平和」と「気候変動」でした。平和に関しては、済州4・3平和記念館や島民虐殺の現場となった洞窟跡等をめぐり、済州島4・3事件についての学びを深めました。気候変動に関しては、ワークショップを通して気候変動対策の必要性や気候正義実現のために何が必要かといった内容への理解を深めたほか、現地の市民が企画した環境保護や気候変動対策を訴える街頭デモにもいっしょに参加しました。

デモは、子どもから高齢者まで、文字通り남녀노소が集い、ドラム隊や풍물패も加わった賑やかなパレードでした。日本から参加した大学生たちは、道行く人たちも楽しそうに見物しているお祭りのような雰囲気に日本のデモとの違いを感じ、とても驚いていました。

日本も、韓国も、近年、殺人的な猛暑や異常気象に伴う災害の増加等、気候変動の影響を強く受けている点では共通していますが(地震に続く豪雨で被害を受けた能登半島の方々に心からお見舞い申し上げます)、気候問題への関心は、両国ともまだそれほど高まっていない印象を受けます。しかし、そのような中でも、この問題に関心を持った両国の青年たちが、国の違いをこえて、英語や互いの言語を交えて語り合いながら、共同してできることを考え、実行しようとしている姿を見て、未来への大きな希望を感じました。

私自身も、若い世代、そしてまだ見ぬ未来の世代にこれ以上迷惑をかけることにならないよう、탄소중립 実現のために意識を変え、生活スタイルを見直そうという気持ちにさせられました。まずは、この夏搭乗した飛行機で排出してしまったCO2の分だけでも別な方法で削減する努力を始めてみようと思います。

通信496 「あの頃、授業で聴いた歌」田附和久

【週刊ハンガンネット通信】第496号(2024年7月29日発行)

「あの頃、授業で聴いた歌」
田附和久
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このところ済州島の方言がたびたび話題に上っていましたが、私が知っているのは「혼저 옵서예」(어서 오세요)だけ。なぜかと言えば、以前、裵正烈さんも書いていらっしゃった혜은이のヒット曲「감수광」を、私も若い頃に聴いて覚えたからです。ですから、より正確に言えば、私が諳んじられる済州島の方言と言えばこの歌の方言部分「감수광 감수광 날 어떵허렌 감수광 설룬 사람 보냄시메 가거들랑 혼저 옵서예」が全てということになります(歌詞の意味は、どうぞ皆さんお調べになってみてください)。

歌で覚えた単語や表現は、その後何年経っても、なかなか忘れません。だからこそ授業の中でも歌を教材として用いる先生方が少なくないのでしょう。私も、授業の中でかなり頻繁に歌を聴きます。単元と単元の間にふと時間ができたときや、授業に退屈してきた受講生たちの瞼が重くなってきたときなどに「ちょっと歌を聴きましょうか」と言って、受講生たちが関心を示しそうな最新のK-POPを取り上げることが多いのですが、文字の学習がここまで進んだら「피 땀 눈물」、その次は「눈, 코, 입」というように、歌詞に出てくる語彙や表現を確認しておいた上で、あらかじめ年間の授業計画の中に組み込んでいる定番の歌も何曲かあります。

受講生からは歌をよく取り上げる教師だと思われているかもしれませんが、これは私自身が授業で聴いた歌を通して多くの学びを得てきたことが大きく影響しているのだと思います。

私は1986年に大学で朝鮮語を学び始めましたが、ネイティブの先生の中に歌をよく取り上げてくださる方がいらっしゃいました。その方は特に양희은さんの歌を多く紹介してくださいました。彼女が歌う「서울로 가는 길」、「늙은 군인의 노래」などの歌に出てくる単語や表現が、私の朝鮮語の血となり肉となっていきました。

「우리 부모 병들어 누우신 지 삼년에」や「나 떠나면 누가 할까 병드신 부모 모실까」等の歌詞を通して、「変格活用に尊敬の-시がつく連体形」のように、教科書で習うだけでは形を作るのがなかなか難しい表現も自然に口から出てくるようになりました。「아 다시 못 올 흘러간 내 청춘」と歌いながら「못 오다」の発音が[모도다]になることを身に付けました。「아서라 말어라」のような慣用的な表現も、歌だからこそ記憶でき、今でも忘れずにいます。中には「서울로 가는 길이 왜 이리도
멀으냐」の「멀으냐」のように、文法的には誤りであっても広く人々の間で使われている表現というものがあり、生きた言語とはそのようなものなのだということも学びました。

歌を通した学習の楽しさを知った私は、その後、授業時間外にも自分で好きな歌を訳す作業を楽しむようになりました。「好きこそ物の上手なれ」とはよく言ったもので、講読の授業よりも、そんな自習を通してのほうが、より多くの単語や表現を覚えたのではないかと思うほどです。

当時、そうやって自分で訳した歌の一曲に양희은さんのデビュー曲である「아침이슬」があります。私が学習を始めた当時は「아침이슬」の作者である김민기さんが作った歌の多くは、反体制的だという理由で禁止曲に指定されていましたが、韓国の人たちは皆、彼の歌をよく知っており、特に1987年の6月民主化抗争のときには、運動の現場で必ずと言ってよいほど「아침이슬」が歌われていました。そして、その民主化抗争以降にようやく禁止が解かれ、「아침이슬」をはじめとする김민기さんの歌のレコードやカセットテープは再び公然と流通するようになりました。

あの日から37年の歳月が流れた先週、김민기さんの訃報が届きました。上で挙げた「서울로 가는 길」、「늙은 군인의 노래」の作者も김민기さんですから、私にとってはお世話になった朝鮮語の先生のお一人が旅立たれたような寂しさを感じています。

外国語の歌詞や詩歌を暗誦できるようになることの効用は、言語学習の上達だけにあるのではないでしょう。その言葉が伝える意味そのものが、その後の一人ひとりの人生を支える糧にもなります。私もこれまでの人生で困難に直面したとき、「아침이슬」の歌詞にどれだけ励まされたかわかりません。今、教室で取り上げる歌の一曲一曲も、学習者の語学学習に役立ち、さらにはその後の一人ひとりの人生を豊かにする様々な出会いに結びついてほしいと心から願います。

かつて解禁直後に購入したレコードが擦り切れるのではないかと思うほど何度も聴いた김민기さんの「아침이슬」を、今夜はサブスクで聴き直しながら、久しぶりに口ずさみ、あの頃、朝鮮語の学習に傾けた情熱を思い出してみます。

 나 이제 가노라 我は今行かん
 저 거친 광야에 あの荒野へと
 서러움 모두 버리고 悲しみを全て捨て去り
 나 이제 가노라  我は今行かん

通信489 「アンガールズ、アンジャッシュ、アンミカ」田附和久

【週刊ハンガンネット通信】第489号(2024年5月27日発行)

「アンガールズ、アンジャッシュ、アンミカ」
田附和久
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4月開講の入門クラスは、5月の連休が明けて数週間が経ち、雰囲気が落ち着いてきた頃ではないでしょうか。週1回の授業であれば、文字と発音の学習が後半に入り、今頃パッチムを学んでいるクラスも多いのかと思います。

パッチムを扱う単元は、文字と発音の授業の一つのハイライトと言えるのではないでしょうか。日本語にはない子音で終わる音は、日本語母語話者にとっては、違いを聴き分けることも、正しく発音することも、なかなか容易ではありません。「がっかり」、「はったり」、「やっぱり」、「あっさり」、「うっちゃり」、あるいは「パンと」、「パンが」、「パンも」等といった日本語の「っ」や「ん」の音を例として用いながら、受講生の皆さんに口の中の発音器官を意識してもらい、実際にその音を発音できるように導いていくこの単元の授業は、教師自身の言語学、音声学の理解度だけでなく、それをわかりやすく学習者に伝え、理解してもらう指導力そのものが問われます。

このパッチムを最初に学ぶ授業が楽しく盛り上がり、受講生たちが一つひとつの音の違いを理解して発音できるようになる様子を見るとき、教師としてはこの上ない満足感を味わいます。まさに外国語教師冥利に尽きる瞬間です。ちなみにここ数年私は、以前SNSを通して教えてもらった、「アンガールズ」、「アンジャッシュ」、「アンミカ」という例を用いて「ん」の音の違いを説明するのが好きです。これはなかなか受講生の受けがよく、笑顔になった受講生たちとの間で、「先生、アンジャッシュよりアンタッチャブルのほうがいいと思います」、「あのー、アンミカは芸人じゃないのでは?」等といったやり取りが生まれるのを楽しんでいます。

もちろんこの一回の授業がうまくできたからと言って、それだけで満足してはいけません。現実の対話の中では、반、방、밤のようなミニマルペアの聴き分けや言い分けが求められる機会はそれほど多くなく、実際には、文や単語の中に出てくるパッチムを正しく発音できるようになることこそが求められます。そのための指導は1回だけの授業で終わるものではなく、その後の時間にずっと続いていきます。

パッチムの発音で特に注意が必要なのは、ㄴ+ㄱ、ㄴ+ㅂ、ㅇ+ㄷ、ㅇ+ㅂのような日本語母語話者にとって難しい音の続き方になる場合です。恥ずかしながら、私自身、学習を始めてからの数年間、こうした場合のパッチムの発音を正しくできていませんでした。韓国に留学して、現地の人との会話の中で공장という基本的な単語が通じないという経験をして初めて、自分の発音が곤장となっていることに気付かされたのです。このときはたいへん恥ずかしい思いをしましたが、振り返ってみれば、このときに気付かせてもらえて、ほんとうによかったです。

今、授業の際には私自身のこの恥ずかしい経験も必ず話すようにしています。そして、공장、상담、전부、정부といった単語が出てくるたびに「アンガールズのアン!」、「アンジャッシュのアン!」と声を上げて、注意を促しています。

通信482 「英語由来の外来語」田附和久

【週刊ハンガンネット通信】第483号 (2024年3月25日発行)

「英語由来の外来語」
田附和久
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教える仕事を何年あるいは何十年と続けてこられた先生方は、ある単元を教えるときに必ず話すジョークや面白い話などの「鉄板ネタ」をいくつもお持ちのことと思います。私も、それほど多くはありませんが、そのようなネタのストックがいくつかあります。

例えば아야어여を学ぶ際には、「유」を発音する際に口をよくとがらせないと通じないということを記憶にとどめてもらうために、自分が留学した際、「저는
유학생(留学生)이에요.」と発音したつもりが「저는 여학생(女学生)이에요.」と聞こえてしまい、相手に驚いた顔をされたという話を必ずします。

また、次のようなネタもあります。
40年近く前に初渡韓した際、旅を終えて金浦空港に向かうタクシーの中、もうすぐ空港に到着しようというところで、運転技士ニムから
「チャール?」
とたずねられました。
チャール? 朝鮮語を学び始めたばかりだった私は、「チャールといえばチャールモゴッスムニダのチャールかな?」という連想から、楽しく観光したのかとたずねられたのではないかと考え、
「네. 잘 봤습니다.」
と答えてみましたが、反応なし。
それならば、タクシーの乗り心地をたずねられたのかなと思い、
「잘 탔습니다.」
と言ってみても、やはり反応なし。
そして繰り返される「チャール?」の質問。
いったい何を聞かれているんだ!とわからずに混乱しているうちにタクシーは空港に到着し、国際線の出発ロビーの前で停車したのでした。
「チャール?」
技士ニムが指さす赤い鶴のマークを見て、ようやく「チャール」が「JAL」のことだったのだと理解しました。

この話は、英語由来の外来語の発音の聞き取りが難しいという話題になったときに必ず話す、私の「鉄板ネタ」です。
英語由来の外来語は漢字語同様、日本語話者にとっては語彙を大幅に増加させる「強い味方」になるはずのものですが、語頭に有声音がなく、転記の規則も異なり、日本語でカタカナを用いるような表記上の区別もしないため、規則性を身につけるまでは、学習者にとっては逆につまづきになりがちです。
学習者には外来語に苦手意識を持つことなく、上手に味方にしてほしいという意識を持って、私も「チャール」の話などを導入に使いながら、毎学期、教室での努力を重ねています。

この一週間、韓国から伝えられる報道を通して「다저스」という表記や発音に触れ、「タジョスって何?」と戸惑った学習者が多くいたのではないでしょうか。
正解を知り、「なんでドが다で、ジャが저になるの!」と嘆きの声を上げた学習者の皆さんが、そこで感じた素朴な驚きや疑問をきっかけに、身近にいらっしゃる先生方のご指導によって外来語表記への関心をさらに深め、外来語を味方にできるようになったらいいなと思いながら、韓国からのニュースを見ていました。

通信472 「ピョンヤンからのメッセージ」田附和久

【週刊ハンガンネット通信】第472号 (2024年1月15日発行)

「ピョンヤンからのメッセージ」
田附和久
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2024年の年頭は、元日に発生した能登半島地震のために、正月のめでたい気分を満喫できなかったという方が多かったのではないでしょうか。被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

地震発生後に朝鮮民主主義人民共和国(以下、共和国)の金正恩国務委員長から日本の岸田首相宛に見舞いの電報が送られてきたというニュースに触れ、早速、로동신문(労働新聞)のサイトで原文に当たってみました。その中に「나는 피해지역 인민들이 하루빨리 지진피해의 후과를 가시고 안정된 생활을 회복하게 되기를 기원합니다. 」という一文がありました。ここに出てくる「후과」という単語が気になりインターネットで検索してみたところ、よくない結果を表す言葉として「北韓」で使われる単語であると説明する韓国のサイトを多くみつけました。「후과」という単語自体は韓国の辞書にも出てきますが、韓国では共和国におけるほど日常的に使われる頻度は高くないようです。

南北の分断から70年以上の歳月が流れ、今でも互いの言語は通じるものの、日常的に使われる単語や表現の違いが日増しに大きくなっていることは確かです。共和国で暮らすという役柄の人物が登場する『愛の不時着』等のドラマや映画をご覧になって、あらためてそのことに気付かされた方も少なくないのではないでしょうか。

今から四十年近く前、私が初めて朝鮮語を学んだ当時、「남북 공동 성명(南北共同声明)」(1972年7月4日)を教材として取り上げている教科書が何冊かありました。当時としては珍しい南北共同で発表された文書であり(南北統一の実現可能性を期待させてくれる文書でもありました)、同じ文書だけに南北それぞれの正書法や分かち書きの差異を学ぶのに適したテキストでした。私と同じ時期に朝鮮語を学んだ仲間の中には、「最近 平壌과 서울에서 南北関係를 改善하며 갈라진 祖国을 統一하는 問題를 協議하기 為한 会談이 있었다.」で始まる共同声明全文を今でも暗誦できる人が少なくありません。

それから半世紀近くを経た2018年に文在寅大統領と金正恩国務委員長が会談し、両者連名による「板門店宣言」が発表された際、南北双方から発表された宣言文を比較してみたことがあります。「남북 /북남」、「한 /조선」等のそれぞれの置かれた立場に基づく違いの外にも、「(南)정상 (北)수뇌」、「(南)왕래 (北)래왕」、「(南)민족 분단으로 발생된 (北)민족분렬로 산생된」、「(南)이산가족 (北)흩어진 가족」、「(南)전단 (北)삐라」、「(南)장성급 (北)장령급」等の南北間で異なる単語・表現が増え、共同宣言文も共通した一つのものを作れなくなってしまっている現実を悲しい思いで受け止めました(ほかにも、「(南)충돌의 근원이 되는 (北)충돌의 근원으로 되는」のような、文法的に気になる違いもありました)。

日本社会の中で韓国に好い印象を持つ人たちが若い世代を中心にかつてないほど増えている一方で、朝鮮民主主義人民共和国に対するイメージは好転することはなく、メディアでも「ミサイル」発射等をめぐる報道のほかには関心を向けられることがほとんどありません。学習している言語を日常的に使って同時代に生きている人たちの中の半分近くの人たちのことがイメージの中から全く欠落してしまっているという今の日本の韓国語学習者が置かれている現状は、たいへん悲しく、また残念なことだと私は思います。

確かに国交もなく、市民同士がたやすく交流できない状況の中では仕方ないことなのかもしれませんが、しかし今のような状況がこの先も永遠に続くとは思えません。思い起こしてみれば、私が朝鮮語を学び始めた1980年代当時の日本社会の韓国観も、今とは比較にならないほど冷たく、差別や偏見に満ちた厳しいものでした。

ちょうど40年前の1984年にNHKでハングル講座の放送がようやく始まり、『平凡パンチ』という男性週刊誌が韓国特集を組んで大いに話題になりました。大手マスコミでは軍事独裁政権による民主化運動弾圧のニュースのほかには韓国に関して伝えることがほとんどなかった当時、それでも韓国に暮らす普通の人々の生き様や文化を伝えようと努力した先輩たちがいました。それらの方々の働きを通してまかれた種が、時を経てやがて花を開き実を結び、韓流ブームが定着する今の状況へと至りました。韓国ドラマを日常的に楽しむ層が広がり、多くの高校生たちが韓国のアイドルや化粧品に夢中になり、紅白歌合戦には韓国のアーティストが何組も登場するような今日の日本社会の姿を40年前に誰が予想していたでしょうか。

そう考えれば、今から30年、40年先に私たちがピョンヤンに暮らす人々と自由に交流し、互いの文化を楽しむ時代が訪れていることも、全く可能性がないとは言えないでしょう。40年前に日本と韓国の間で交流の種をまいた先輩達にならい、今、かんたんには会えない仲間たちのことを思いながら、今この地でできる種まきの仕事を今年は何か始めたいという思いを新たにしています。

今回は年頭に当たり、個人的な新年の夢と目標を書かせていただきました。2024年が皆様にとって平和で穏やかな実り豊かな年でありますようお祈りいたします。