【週刊ハンガンネット通信】第163号 (2015年9月14日発行)
伊藤耕一
豪雨災害や地震に遭われた皆様、心からお見舞い申し上げます。
少し前置きが長くなりますが、私が韓国に初めて行った時のことを書きたいと思います。私が韓国に初めて行ったのは1993年の9月。
この年は冷夏だったらしいのですが、私は8月までニュージーランドでスキーに行きまくり、シーズンオフの頃にスキー板をかついで晩夏の成田に戻ってきました。
きっと、半袖姿でスキー板をかついでいた私は滑稽な姿だっただろうと思います。晩冬の国からの帰国だったので、東京は蒸し暑くて、とても冷夏であることを感じられなかったことを思い出します。
その後、長野の実家に帰りスキー板を戻し、大阪に行って友達に会い、大阪から韓国に行きました。この時にハプニングが起きました。
航空券は大韓航空だったのですが、ギリギリにチェックインカウンターに行ったら「オーバーブッキングですね。」と明るく言われてしまいました。つまり、私の席がない。
当時、時間だけはあったので、その後どうなるのか、何が起きるのか、少しワクワクしながら待っていたことを覚えています。
しばらくすると「日本航空に空席があるので振り替えても良いですか?」とおっしゃるので、「OKです!」と承諾して、大韓航空機とほぼ同じ時間帯に飛び立つ日本航空機に乗ることになりました。
金浦空港に着いてみたら、待てど暮らせど荷物が出てこない。残り数個の荷物が何周もターンテーブルを回る状況になったので、バッゲージクレームに行こうとして隣のターンテーブルを見たら、私の荷物だけが回っていました。
載せる飛行機を間違えてしまったようでした。ともかく荷物を見つけることができたので、その後バスに乗って市内へと向かいました。
韓国語を話す日本人ということで、どこに行っても驚かれ、気に入ってもらえた方には食事までいただいたり、初めての韓国は良い思い出しかありません。
ただ、その中で面食らったのは「ソウル方言」です。
一つ目は単語の濃音化。聞き取って理解はできたものの、最初は「そんな発音だったっけ?」と思いつつ、真似していました。
“조금, 교과서, 당연” は “조끔, 교꽈써, 땅연” などと発音する人ばかりでした。
だんだんと「濃音化させている」ことが分かってきて、何でもかんでも濃音にしてみたら「その発音は違う!」と言われたりして、「何なんだよ。」と思ったことがあります。
その時は、ソウル→忠清道→全羅道と南下したのですが、南に行けば行ったらで、「日本ではそんな発音の韓国語を教えているのか!」と言われる始末。再び教室で習った発音に戻して話すというようなことをしていました。
二つ目は「오」を「우」で発音すること。”투어루 왔어요?” “저두요.” “김밥하구 만두를 먹구 싶어요.” など、最初のうちは”투어루”などは聞き取れませんでした。
これも真似しようとしてみましたが、当時は頭の中にハングルを書いてから読むような感じの話し方でしたので、なかなか真似できませんでした。
三つ目は陰陽の母音の使い方です。犬に向かって “앉어!” という人の発音を聞いて、再び混乱が始まりました。
「앉は陽母音なのにどうして?」という疑問です。
でも、犬に向かって “앉아!” と言う人は、どうやらいないことが分かったので、疑問に思わないようにしました。その時、大学1年の最初の頃の授業を思い出しました。
テキストに「아름다와요.」と書いてあるのを「아름다워요.」と発音しても構わないという先生のコメントです。何の意味かわからずに、「아름다워요.」と発音していたのですが、韓国での会話を通じてその意味が分かりました。
何事も、現場で使ってみたり試してみたり挑戦してみたり、そういうことが大切だと思います。
この話を書こうと思ったは、ある友人のフェイスブックの書き込みを見て思い出したからです。先日友人がフィリピンから香港に向かう朝、寝坊してしまったという投稿がありました。
無理かなと思いつつもギリギリで空港に着いたら、エコノミーの予約だったのに何とビジネスクラスにアップグレードされたという、私の経験に似たことが起きたことを教えてくれました。
そんな話題が私の最初の韓国訪問での出来事を頭の中に呼び起こしてくれました。
皆さんの最初の韓国訪問や日本訪問の時に、きっと起きたであろう珍事について聞いてみたいとも思います。よろしかったら、教えてください。