【週刊ハンガンネット通信】第443号 (2023年6月5日発行)
はじめまして
田附和久
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こちらの通信には初登場となる東京在住の田附(たづけ)と申します。
今週は退屈な内容になってしまい恐縮ですが、初登場ですので、自己紹介を書かせていただきます。
自己紹介の前におたずねするのですが、皆さんの韓国語・朝鮮語の学習歴は何年になりますか。いつ学習を始めたかを記憶していらっしゃる方は多いと思いますが、では、その学習を始めた日から今日までの全ての期間を学習歴として数えられる方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか。
私は、韓国語風に言えば、「86学番」、1986年に大学に入学してから学習を始めましたので、それから37年の歳月が流れたことになりますが、学習歴37年とはとても言うことができません。たいへん恥ずかしながら、本気で学んだと言えるのは、学部生だった5年間だけかもしれません。いや、思い起こしてみれば、その5年の間にも、真剣に学んでいなかった時期が短くありません。
入学したのは外国語学部の朝鮮語専攻の学科でした。外国語学部は文系の学部の中では留年率が高いと言われていたため、入学当初は留年したくないという思いで、かなり一所懸命に勉強しました。当時、夢の中にまでㅂ変則が出てきて、うなされながら活用させていたことを覚えています。
しかし、学習開始から一年近く経ち、漢字語の多い文章であれば、辞書をひかなくても大意ぐらいはつかめるようになった頃、早くも怠け癖が出てきてしまいました。自分はもう朝鮮語を身につけたという錯覚。日本語と共通する点が多いだけに他の言語の学習者よりも朝鮮語初学者が陥りやすいこの錯覚に、若気の至りとはいえ、見事に嵌ってしまいました。
そんな天狗の鼻をへし折ってもらえたのは、大学2年の講読の授業のときでした。その日は小説家金裕貞の作品を読んでいて、学生たちが順にいくつかの段落ごとに音読をして日本語に訳していくのですが、最初に私の担当が回ってきました。しかし、ろくに予習もせずに出席した状態で1930年代に書かれた小説をきちんと訳せるわけがありません。先生は怒るでもなく、ただ、その場で何度も繰り返し辞書をひかせ、それなりの訳が出てくるまで解放してくれませんでした。
結局、その日の授業は自分一人の担当だけで90分の授業が全て終わってしまいました。そして最後に先生は、音読の誤り(濃音化できていなかった箇所等)を指摘してくださった上で、「『朝鮮語の難問』をよく読み直しておくように」と言い残して去って行かれました(教科書のほんとうの書名は『朝鮮語の入門』だったのですが)。
恥知らずで怖いもの知らずだった19歳とは言え、さすがにその日は恥ずかしさと悔しさに打ちのめされました。そしてようやく、このままではいけないということに気付かされました。それ以降は、講読の授業の予習も比較的真面目に取り組むようになり、少しずつ文学作品等も読めるようになっていきました。数ヶ月後に再び講読の時間で担当が回ってきたとき、汚名返上しようとしっかり予習をして臨み、授業を終えたときに先生から「毎回これくらいのペースで進むといいね」と言ってもらえたときはうれしかったなあ!
あの日の喜びは今でも忘れられません。
さて、少年老い易く学成り難し。歳月は人を待たず、あの日からもう36年が過ぎました。私は、大学院修了後に縁あって韓国系の団体に就職し、それから長い間にわたり仕事で韓国語を用い続け、また韓国語を教える仕事にも携わってきました。その間も、知らない単語に出会えばその都度辞書をひいてはきたものの、それだけではきちんとした学習期間としてカウントすることはできないでしょう。学生時代の5年足らずの学習のお釣りでここまでご飯を食べさせてもらってきたのが実際のところです。
私はこの春、26年間勤めた職場を退職してフリーランスになりました。55歳で再出発のときを迎え、これまでの人生を支えてくれた韓国語・朝鮮語を愛する気持ち、また指導してくださった先生方(鬼籍に入られた方のほうが多くなりました)への感謝の思いをあらためて強く感じています。そして新生活を始めた中で、もう一度真剣にこの言語と向き合い、しっかり学びなおそうという思いを新たにしています。年齢の割に短い学習歴をこれからの人生の中で少しでも伸ばすべく、怠け癖と戦っていきたいと思います。
皆さんには今後この通信を通して、何回か拙い文章にお付き合いいただくことになりますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
