通信604 「『宇宙戦艦V号』から『ウ・ヨンウ』へ」田附和久

=================================================
【週刊ハンガンネット通信】第604号(2026年10月26日発行)
「『宇宙戦艦V号』から『ウ・ヨンウ』へ」 田附和久
=================================================

 初めて韓国を訪れた40年前の夏、ソウルの教保文庫の児童書コーナーで、見慣れた絵が描かれた本を見つけました。描かれていたのは「宇宙戦艦ヤマト」。中を開くと、よく知っている数々の名場面が出てきましたが、登場人物には古代進や森雪ではなく、韓国人の名前がつけられており、戦艦の名前もヤマトではなく「宇宙戦艦V号(우주전함 V호)」でした。

 その後、親しくなった韓国人の友人たちと話すうちに、韓国でもガッチャマン(독수리 오형제)やマジンガーZ(마징가 Z)が有名であることを知りました。皆、私と同じように子どもの頃からテレビアニメに親しんでいたとのことでしたが、それらが日本発祥のアニメであることを知らない人も少なくありませんでした。また、当時は日本の作品を、おそらく無断で模倣したと思われる類似作品や、いわゆる「バッタもん」の玩具などを見かけることもありました。

 当時の韓国では、アニメーション以外にも、様々な大衆文化の分野で日本の影響を感じることが少なくありませんでした。酒席で日本人だとわかると、毎回のように「ブルー・ライト・ヨコハマ」や「恋人よ」を歌えと言われました。あまりにもよく歌わされたので、この2曲は今でも歌詞を見ずに空で歌えます。

 ディスコで盛り上がったときによく流れていたのは、「ギンギラギンにさりげなく」。踊りながら「アジョッシベイビー、アガッシベイビー」と間違った歌詞で歌っていたあの曲を、まさか40年後に本物のマッチが韓国のテレビで歌い、人気を集める日が来るなんて、誰が想像できたでしょうか。

 1990年代以前の日韓の大衆文化交流を振り返ると、趙容弼(チョ・ヨンピル)や桂銀淑(ケイ・ウンスク)といった韓国人歌手が日本で活躍していたものの、公式・非公式を問わず、文化の流れは量的には圧倒的に日本から韓国への方向が大きく、ほぼ一方通行という印象がありました。

 しかし、韓国の民主化や経済発展を経て、1998年の「日韓パートナーシップ宣言」以降、韓国では日本の大衆文化が段階的に開放され、日本語の歌や日本映画なども公式に紹介されるようになりました。一方、日本でも2002年のサッカー・ワールドカップ日韓共催を経て、「冬のソナタ」に代表される第一次韓流ブームが起こり、状況は大きく変わりました。日本から韓国への一方通行だった文化の流れは、双方向の交流へと変わり、その流れはその後もますます大きくなっていきました。

 今日、ポップス、映画、テレビドラマ、文学など、多様なジャンルで、日韓双方の人々が互いの国の好きな作品を自由に楽しめる関係が生まれていることは、本当に素晴らしいことです。少なくとも大衆文化の交流においては、日韓が隣国同士にふさわしい、対等なパートナーとして互いの文化を尊重し合えるようになったことを、心からうれしく思います。

 この秋、韓国では日本のドラマ「ドクターX」が、日本では韓国のドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」(이상한 변호사 우영우)が、それぞれリメイク作品として話題になっています。かつてのように、こっそり「パクる」のではなく、正式に契約を交わし、それぞれの国の文化に合った形でリメイクされるのは、両国の文化交流が成熟してきたからこそできることでしょう。

 「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」は、私も最初の放送のときから毎週楽しみに視聴してきた大ファンです。そのため、日本版の「南田南弁護士は天才肌」も、「キンパプや回転ドアはこう変えたのか」「クジラはクジラのままなのか」と、オリジナルとの共通点や違いを楽しくチェックしながら見ています。韓国版には、ジェンダー、労働、教育など、現代の韓国社会ならではの課題を扱った回もあったので、それらが日本版ではどのようにアレンジされるのかについても注目しています。

 語学学習に生かすという点では、両国で制作されたドラマを見比べることで、同じような場面での言葉遣いの違いや、両国の文化・習慣の違いなど、新たな発見ができるのではないでしょうか。もちろん、韓国語学習者が皆ドラマ好きだとは限りませんが、「『私、失敗しないので』は韓国版「ドクターX」(닥터X)では何と言っていると思いますか」と教室で問いかけてみるのも、面白いかもしれません。

通信596「多くの災害に見舞われた夏の終わりに」田附和久

=================================================
【週刊ハンガンネット通信】第596号(2026年9月1日発行)
「多くの災害に見舞われた夏の終わりに」田附和久
=================================================

今年2026年の夏は、熊本の地震、千葉、そして富山、石川、福井での豪雨被害など、各地でさまざまな自然災害が発生しました。被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

海外でも、ベネズエラやコロンビアで大地震が発生し、またネパールでは想像を絶する土石流が発生するなど、いずれの場所においても多数の人々が犠牲となりました。

気候変動が進んでいることもあり、私たちは、いつ、世界のどこにいても自然災害に遭遇する危険性があります。もちろん、韓国も例外ではありません。日本同様、韓国でも近年、局地的な集中豪雨が大幅に増加しています。地震に関しては、韓国は世界的に見ても発生が少ない地域と言われていますが、近年は小規模な地震の発生が増えています。2016年に慶州付近を震源とするマグニチュード5.8の地震が起きた際には、一部で建物への被害も伝えられました。

災害に遭遇したときには誰もが不安を感じますが、特に言葉が通じない場所では、その不安はいっそう大きくなるでしょう。言葉が通じない中で、何が起きたのかを瞬時に理解し、必要な行動をとることは容易ではありません。

今ではスマホのAIがかなり助けてくれるようになったとはいえ、非常時にはスマホが使えなくなる可能性もあります。そう考えると、事故や災害への遭遇に備え、最低限のサバイバル表現を覚えておくに越したことはないでしょう。

そうしたサバイバル表現を学べる韓国語の入門・初級教材は、ほとんどないのではないでしょうか。そうであれば、授業のどこかのタイミングで少し教科書を離れ、そのような表現を学ぶ時間を持つことも有意義であると考えます。

具体的には、どのような表現を学ぶのがよいでしょうか。まず、困難な状況に直面した際の「助けてください!」は、「도와 주세요」ではなく「사람 살려!」だということは、しっかり伝えておきたいものです。関連して、「불이야!」や、災害ではありませんが「도둑이야!」といった表現を学ぶのも、受講生の皆さんには喜んでもらえるかもしれません。

すでに早い段階で学んでいる 경찰(警察)、병원(病院)といった単語を復習しながら、112や119といった緊急通報用の電話番号を確認しておくのもよさそうです(軍事独裁政権の時代を経験した私の場合、このあと「では、113は何の番号でしょう?」というところから、話が「三千浦にそれないよう」に気を付けないといけません)。

災害とは少し違いますが、関連して、街角でよく見かける「(민방위) 대피소」が何を意味し、どのような目的で設置されているのかを説明するのもよいかもしれません(ここでも古い世代の私は、ここからまた 민방위 の思い出話に大きく脱線しないよう注意が必要です)。

皆さんであれば、ほかにどのようなサバイバル表現を取り上げられるでしょうか。入門から初級の学習者も身につけておくとよい、お薦めのサバイバル表現があれば、ぜひ共有していただけるとうれしいです。

さて、ここまでは学習者が旅先で災害などに遭遇する場面について考えてきましたが、逆に、日本で災害に遭う海外の人たちに出会う場面も考えられます。これだけインバウンド旅行客が増加している中、日本のどこで災害が起きたとしても、そこには海外出身の被災者がいると考えて間違いないでしょう。

そうした人たちと出会ったとき、どのような言葉をかければよいでしょうか。シチュエーションによって必要な表現は異なるでしょうが、もし韓国から来ている人がいて、「괜찮아요?」と一言声をかけることができたなら、それだけでもどれほど安心してもらえることでしょう。そのような状況に直面した際に大切なのは、表現の巧みさよりも、まず何より目の前の人に思いを寄せること、そして心遣いなのではないでしょうか。

103年前の9月1日、関東大震災が発生した際、日本語を正しく発音できなかった人が、それだけを理由に、何の罪もないのに命を奪われるという惨劇が起きたことを、あらためて心に刻みたいと思います。そして、万が一、私たちが同じような状況に遭遇し、日本語を正しく発音できない人に出会うことがあれば、そのときには心を込めて「괜찮아요?」でも、「Are you OK?」でも、何でもよいので声をかけ、その人に心を寄せられる者でありたいと心から願います。

通信588「分断の時代に、ことばを教えるということ」田附和久

=================================================
【週刊ハンガンネット通信】第588号(2026年7月6日発行)

「分断の時代に、ことばを教えるということ」 田附 和久
================================================= 
今から20年ほど前、2000年代の韓国に生きる人が、2026年の現在の韓国にタイムスリップし、先週のテレビニュースを見たとしたら、どのような感想を抱くでしょうか。おそらく、毎日驚かされることばかりだったのではないでしょうか。

まず、2002年の日韓共催ワールドカップで韓国のベスト4進出の立役者となり、国民的英雄となった洪明甫(ホン・ミョンボ)が、2026年大会では敗軍の将として国を挙げての批判の矢面に立たされ、さらにはその就任人事をめぐって警察が捜査に乗り出す事態となっていることに、大いに驚いたことでしょう。

高校野球の試合で、光州民主化運動の犠牲者や光州市民を侮辱するようなヤジが観客席の高校生から飛んだというニュースにも、驚かされたのではないでしょうか。1990年代後半以降、事件発生から20年近い歳月を経て、ようやく責任者の処罰や犠牲者の名誉回復が果たされたというのに、それからさらに20年後には、事件の意味を次世代に正確に伝えられず、むしろ嘲笑の対象にされてしまった。その事実には、驚かされると同時に、深い悲しみを覚えたかもしれません。

地方選挙での投票用紙不足に端を発した抗議デモに、罷免・逮捕された前任大統領を支持する人々も加わり、太極旗だけでなく星条旗まで振っている姿を見れば、驚きを通り越し、もはや理解不能だと感じるのではないでしょうか。そもそも、その前段階にあった現職大統領による戒厳令宣布という事件が、民主的な選挙制度が実現してから40年も経った韓国で再び起きたという事実そのものを、信じてもらえないかもしれません。

2000年に金大中大統領と金正日委員長の対面を目撃した人々が、当時よりも悪化し、もはや南北双方で「統一」という言葉が語られなくなってしまった現在の南北関係を見たとき、口から出るのは驚きの声ではなく、むしろ諦めのため息でしょうか。

さて、2026年に起きているこれらの事象の背景に共通して見て取れるのは、社会の分断です。特権を持つ階層と持たざる民衆との分断、歴史認識の違いに基づく分断、既存世代と青年層との分断などです。そして、インターネット上のコミュニティは、それらの分断をいっそう促進し、深めています。

とりわけ深刻なのは、世代間の分断ではないでしょうか。この20年、韓国は半導体産業の発展や、K-POP、韓国ドラマなどのコンテンツの世界的ヒットにより、経済的には成長し、先進国としての地位を高めてきました。その一方で、財閥と中小企業の格差は拡大し、若年層の雇用不安、非正規雇用の増加、世界最低水準の出生率などが大きな社会問題となっています。この20年の間に生まれてきた若者たちの多くは、未来に明るい希望を抱くことが難しい状況に置かれています。

このように、人々の間の分断や分極化が社会に深刻な影響を与えているのは、韓国に限ったことではありません。程度の差こそあれ、今日、世界の各地で見られる現象だと言えるかもしれません。私たちは今、まさに分断の時代、分断の世界を生きています。

この分断の時代に、自らの母語ではない言語を学んだり、教えたりすることの意義を、あらためて考えさせられます。よく言われるように、ことばは人を殺す刃となることもあれば、人を励まし、勇気づけ、生きる力を与えるものにもなります。ことばによって互いを傷つけ合うこともある一方で、分かたれた人々を結びつけることもできます。

言語を学ぶ動機は人それぞれですが、できることなら、教室で学ばれる言語は、人と争い、人を傷つけ、命を奪うために用いられるのではなく、人を勇気づけ、人と人との和解を促すために用いられてほしいと願わずにはいられません。

分断の時代に働く語学教師にできること、求められることは何でしょうか。まず、はじめの一歩として、小さなことかもしれませんが、学びの空間を、そこに集う誰もが傷つくことなく、安心して過ごせるセーフスペースにしなければならないと強く思います。そのような空間で学んだことばこそが、人を傷つけないことばとなるのではないでしょうか。

教室もまた、分断の世界と地続きです。私たちが気を緩めれば、教室の中にもすぐに分断が生じてしまうかもしれません。そうならないために、まず教える立場にある私自身の中に、人と人との間に不必要な線を引き、分断の種を蒔く危険性がないかどうかを謙虚に問い続けたいと思います。そして、自分自身の世界観を常にアップデートするために、学び続ける姿勢も必要であると感じます。

最後は少し抽象的な話になってしまいましたが、今日の分断を乗り越え、今から20年後には、若い世代が未来への希望を抱いて生きていける社会となっていることを願いつつ、身近なところでできることから、一つずつ取り組んでいきたいと思います。

通信580 「パッチムを学んだその後で」田附和久

=================================================
【週刊ハンガンネット通信】第580号(2026年5月11日発行)

「パッチムを学んだその後で」田附和久

=================================================

大型連休が明け、皆さんが担当、あるいは受講されているクラスも再開されたことと思います。

4月に始まった入門クラスは、母音字・子音字の学習を一通り終え、いよいよ本格的にパッチムや連音化に入っていく頃でしょうか。

私はパッチムを指導する際、前半・後半の2段階に分けています。前半では鼻音の「ㄴ, ㅁ, ㅇ」と流音の「ㄹ」を、後半では閉鎖音(口音)の「ㄱ, ㄷ, ㅂ」をそれぞれ扱うようにしています。

鼻音のパッチムを教える際に、「アンガールズ、アンジャッシュ、アンミカ」と声を張り上げているという話は、以前ご紹介したことがありました。
(URL: https://hangangnett.com/2024/06/03/%E9%80%9A%E4%BF%A1489-%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%80%81%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%80%81%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%9F/ )

ただ、パッチムの発音練習ばかりでは受講生も飽きてしまいます。そこで私は、パッチムを習うタイミングに合わせて、漢字語数詞も学び始めるようにしています。

まず、鼻音・流音の学習が終わったところで 1(일)から 5(오)まで。次に口音が終わったところで 6(육)から 10(십)までを扱います。

漢字語数詞の単元では、電話番号を使ったり、数字を用いたゲームをしたりといった活動を取り入れている先生も多いことでしょう。

私もそうしたアクティビティをよく行いますが、それに加えて、パッチム・漢字語数詞・連音化という一連の学習を終えたところで、「余談ですが」と断りつつ、必ず話すことがあります。

「日本でも『二・二六事件』や『五・一五事件』のように、起きた日付で呼ばれる事件がありますが、韓国ではそれ以上に、日付の数字で表される事件や歴史的事象が多いんですよ」
そう前置きをしたうえで、「3・1」「6・25」「8・15」を韓国語で読んでもらいます。「皆さんは、これらが何を表すかご存じですか」と問いかけ、受講生からの反応を見ながら、それぞれに簡潔な解説を加えていくのです。

受講生の中には、「韓国語の授業で歴史の話は聞きたくない」、あるいは「日本が朝鮮半島を統治していた時代の話は……」と抵抗を感じる方がいるかもしれません。しかし、言葉を学ぶ上では最低限の歴史的背景を知ることも不可欠であると、いかに納得感を持って伝えられるか。そこに韓国・朝鮮語教師としての真価が問われるのではないかと、私は考えています。もっとも、あまり気負いすぎてもいけないのでしょうが。

もうすぐ「5・18」も近づいてきます。授業中、受講生の皆さんの瞼が重くなってきたら、また「ちょっと脱線しますが」と言いながら、 「5・18」 を読んでもらってから、 私が初めて望月洞(マンウォルドン)を訪ねたときの話や、ハン・ガンの小説、ソン・ガンホ主演の映画の話などを紹介してみようと思います。

通信573 「꽃이 피었네 봄이로구나(花が咲いた 春だなあ)」田附和久

=================================================
【週刊ハンガンネット通信】第573号(2026年3月17日発行)
「꽃이 피었네 봄이로구나(花が咲いた 春だなあ)」田附和久
=================================================

年度の締めくくりとなるこの時期の授業で、私は、自身のソウル留学中、花ばかり眺めて春の日を過ごしていたという話をします。

鷺沢萌さんは、自身の留学体験記に『ケナリも花、サクラも花』というタイトルをつけましたが、春の訪れを告げる花が、日本ではサクラ、韓国ではケナリであるということには、多くの方が同意されることでしょう。色のない厳寒の世界が、3月のある日突然、一気に黄色に染まる光景を目にしたときの胸の高鳴りは、今でもはっきり覚えています。

そして、しばらくすると、黄色のあいだにピンクや薄紫が混ざって見えてきます。そう、チンダルレです。日本で見慣れたツツジやサツキと違い、葉を出す前に花を咲かせるチンダルレも、初めて見たときには、その可憐さに心を奪われました。実は、韓国に留学する前に、울긋불긋という単語は教科書で習って知っていたのですが、実際にケナリとチンダルレがいっしょに咲く様子を見て、「これが울긋불긋なのか」と、ようやく合点がいきました。

色鮮やかな景色に目が慣れてきた頃、今度は鮮やかな白に目を奪われます。そう、見事なモクレンです。モクレンは力強さも感じさせ、心を弾ませます。

そして4月も中旬になると、東京よりも2週間ほど遅れて、サクラがあちこちで咲き始めます。ただ、サクラの名所には、日本が植民統治をしていた時期に日本人によって植えられた場所も少なくなく、歴史に思いを馳せると、美しさを感じつつも胸の苦しさを覚えました。全州から群山に向かう道路沿いのサクラは、今でもきれいに咲き誇っているのでしょうか。

サクラが散るころには、鮮やかな新緑に包まれています。そして、風に乗ってアカシアの香りが漂ってきます。そういえば、私の若い頃には、韓国のガムといえばアカシアガムが人気でしたが、今でも売っているのでしょうか。当時、韓国に旅行すると人参ガムやアカシアガムをおみやげに買って帰り、その匂いで友人たちを驚かせたものでした。

そんな花の話をした後で、続けて歌を歌います。一曲は고향의 봄、もう一曲は과수원 길です。そして、고향의 봄の歌詞を説明するときには「울긋불긋」、また、과수원 길では「실바람 타고 솔솔」「얼굴 마주보며 생긋」という部分に注目してもらい、朝鮮語のオノマトペの豊かさについて話をする、というのが定番です。

「一年学び、ハングルを読めるようになり、漢字語の語彙であれば意味をかなり想像できるようになったと思いますが、朝鮮語はまだまだ奥が深いです。オノマトペが表すような豊かな朝鮮語の表現を学ぶ旅を、これからもご一緒に続けていきましょう」と語り、一年の授業を締めくくります。

別れと出会いが交差するこの季節、美しい花を眺めながら、新しい場所へ向かう人は新しい場所で、同じ場所にとどまる人はその場所で、それぞれ思いを新たにし、朝鮮語を学ぶ旅を続けていきましょう。

通信565「アンソンギさん、ありがとう」田附和久

=========================================
【週刊ハンガンネット通信】第565号 (2026年1月16日発行)
「アン・ソンギさん、ありがとう」田附和久
=========================================

私が朝鮮語を学び始めた1980年代は、今と違って韓国から日本へ旅行で訪れる人も少なく、インターネットもなかったので、生きた朝鮮語に触れるのにはずいぶん苦労させられました。

そうした中でたいへんありがたかったのは、当時、池袋のサンシャイン60にあった韓国文化院で毎月行われていた無料の韓国映画上映会でした。15分ほどの短編文化映画が上映された後、毎月1本、娯楽作品が上映されていました。小説原作の作品、メロドラマ、戦争映画など、さまざまなジャンルの作品を通して、言語だけでなく、日本と異なる韓国の文化や習慣についても多くを学びました。やがて、上映される多くの作品にたびたび登場する、個性的な俳優の存在に気づくようになりました。そう、それがアン・ソンギさんでした。

多くの追悼記事が伝えるように、80年代の韓国映画はまさにアン・ソンギの時代でした。僧侶、浮浪者、インテリ、野球監督など、作品ごとにまったく異なる役柄を演じているのには、いつも驚かされました。

私は、批評ができるほどの映画ファンではないので、ただただ強い印象を受けたということだけで80年代アン・ソンギ作品のベスト3を挙げるとすれば、

3位 안개마을(韓国の土俗的な闇を描いた怖い作品)
2位 깊고 푸른 밤(忘れられない悲しいラストシーン)
1位 고래 사냥(「カクソリタリョン」と「ナドヤガンダ」が、いつでも元気にしてくれる永遠の青春映画)

という順位になるでしょうか。

そして番外で、공포의 외인구단。チョン・スラが歌うテーマ曲をバックに、イ・ボヒの笑顔が浮かんできます(イ・ボヒといえば、무릎과 무릎 사이というアン・ソンギさんとの共演作もありました)。

私は一度だけ、実際にアン・ソンギさんに会い、言葉を交わすことができました。1987年だったでしょうか。池袋西武にあったスタジオ200という小さなスペースで韓国映画祭が開催された際、トークショーとサイン会が行われたのです。彼が韓国外国語大学で学んだことを知っていた私は、サインをもらうときに「私も外国語大学の学生で、今、朝鮮語を学んでいます」と話しかけると、ちょっと驚いたような表情を浮かべながら、にこりと微笑み返してくれました。

当時、苦労して鑑賞した彼の出演作は、今ではインターネットの動画サイトでその大半を見ることができます。先週、彼の訃報を聞いてから、上に挙げた80年代の彼の代表作を探し、何編か見直してみました。あんなに感動した作品でも、長い歳月が流れ、ほとんどあらすじも忘れてしまっていたものが大半でした。

でも、キム・スチョルの音楽やチョン・スラの歌を耳にし、イ・ボヒやチャン・ミヒ、イ・ミスクといった女優たちの魅力的な表情を見ると、40年前の若かりし青春の日々に一気にタイムリープさせられました。

74歳という享年は、今の時代ではとても若く、もうアン・ソンギさんの新しい作品を見ることができないと思うと、ただただ悲しいです。

でも、彼の命は尽きても、彼の作品はこれからも残り続けます。フィルムに遺した彼の演技は、これからも多くの人を魅了し続けることでしょう。

私も、まだ見ていない比較的最近の作品を探して鑑賞したいと思いますし、80年代の彼の作品を知らない方には、ぜひ若き日の彼の代表作をご覧いただければと思います。なぜ彼が「国民の俳優」と呼ばれるのか、きっとわかると思います。

アン・ソンギさん、ほんとうにありがとうございました。

通信556 「死ぬ日まで天を仰ぎ」田附和久

=====================================
【週刊ハンガンネット通信】第556号 (2025年11月3日発行)
「死ぬ日まで天を仰ぎ」田附和久
=====================================

私は韓国語の授業でパッチムを教える際、必ず取り上げる単語が三つあります。하늘(空)、바람(風)、별(星)。これらを発音してもらった後で、「皆さんは『空と風と星と詩』という詩集をご存じですか」と問いかけます。そして、何も見ずに、「죽는 날까지 하늘을 우러러..(死ぬ日まで天を仰ぎ…)」と尹東柱の「序詩」を暗誦してみせます。そして、受講生がぽかんと口を開けているのを横目に、この詩の日本語訳と詩人・尹東柱の人生を紹介し、最後にこう語るのが私の授業の「定番」です。
「自転車の乗り方を一生忘れないように、若い頃に覚えた詩は、年齢を重ねても自然に口をついて出てくるものです。皆さんも、心に残る詩や歌詞に出会ったら、ぜひ暗誦してみてください。それは皆さんの韓国語力を伸ばすだけでなく、生きていく上での心の支え、心の糧になるはずです。」

私は、東京・池袋の近くで生まれ、50代後半となった今もその地で暮らしていますが、この10月、故郷・池袋にある立教大学の構内に尹東柱を顕彰する記念碑が設置されました。1942年3月、戦時下の日本に留学した尹東柱は、翌1943年7月に治安維持法容疑で逮捕されるまでの間、東京の立教大学と京都の同志社大学で学びました。これまで京都には同志社大学構内をはじめ複数の場所に記念碑がありましたが、東京には一つもありませんでした。今回初めて東京に設置された記念碑には、彼の肖像写真のほか、東京滞在中に立教大学の便箋に書いた「たやすく書かれた詩」の自筆原稿が刻まれています。
記念碑が設置される以前から、立教大学では毎年、命日である2月16日に近い日曜日の午後、卒業生と大学の尽力により、構内のチャペルで追悼礼拝と記念講演会が行われてきました。コロナ禍で一時中断されましたが、再開された昨年と今年は、チャペルに入りきらないほど多くの参加者が集まりました。韓国で最もよく知られる詩人尹東柱は、日本でも今日、実に多くの人々から愛されています。

日本における尹東柱ファンを増やす大きな契機を作ったのは、詩人の茨木のり子さん(1926 – 2006)です。戦後日本を代表する詩人の一人である茨木さんは、50歳から韓国語を学び始め、自身の翻訳による『韓国現代詩選』を刊行されたほか、韓国語の魅力を綴ったエッセイ集『ハングルへの旅』も上梓しました。その中の一編「尹東柱」が、後に筑摩書房の高校教科書『新編現代文』に収録され、日本の多くの高校生が尹東柱の作品と人生に触れるようになりました。

茨木さんは尹東柱の存在を知って以来、作品の翻訳に取り組んでいましたが、作業を進めていた1984年に伊吹郷さんによる完訳が刊行されたため、気勢が削がれてしまったとエッセイに記しています。しかし、今年9月、岩波書店から刊行された『茨木のり子全詩集・新版』に、これまで未公開だった茨木訳の尹東柱詩7編が収められました。数は多くないものの、「現代詩の長女」と呼ばれた方の翻訳だけあり、既存の訳とはひと味異なる箇所が少なくありません。例を一つ挙げれば、立教大学の記念碑にも刻まれ、「たやすく書かれた詩」と紹介されてきた「쉽게 씌어진 시」を「さらさら書けた詩」と訳しています(「人生は生きがたいというのに/詩がこうも さらさら書けるのは/恥ずかしいことだ」)。本書には金裕鴻先生の「좋습니다(いいですね)」というチェックも入った「自畫像」の自筆原稿写真も掲載されています。茨木さんが本格的に尹東柱詩の翻訳に取り組まなかったことは残念でなりませんが、この7編が残されていた奇跡を、心から喜びたいと思います。
その後、日本での尹東柱への関心が高まる中、伊吹訳以外にも複数の翻訳書が刊行され、現在では、金時鐘さん翻訳による、原文併載の岩波文庫版が、廉価で入手できるようになっています。

私も「序詩」を暗誦し、授業で必ず紹介するほどですから、言うまでもなく尹東柱を愛してやまない一人です。初めて彼の作品と向き合ったのは1989年、交換留学生としてソウルの延世大学に通い始めたときでした。大学構内の「尹東柱詩碑」の横の坂道を通って毎日教室へ通ううちに、詩碑に刻まれた「序詩」を暗誦できるようになりました。その後、他の作品も読むようになりましたが、韓国人の友人がなかなかできず、下宿でよく読めない韓国語の本を眺めてばかりいた当時の私の心に最も響いたのは、東京での留学中に書かれた「たやすく書かれた詩」でした。「六畳部屋は他人の国」という冒頭を「オンドル部屋は他人の国」と置き換えて口ずさんでみたこともあります。
日本に戻り、卒業後には、縁あって彼の生涯を描いた演劇公演の翻訳や広報を手伝ったこともあり、そのたびに彼の作品を読み返す中で、日々の忙しさの中で忘れがちな純真な思いや社会に出たときの初心を思い起こしてきました。
最初の出会いからおよそ40年が経ち、私の年齢は尹東柱の享年(27歳)をはるかに超え、彼の倍以上生きてしまいました。いつしか私も尹東柱と同じキリスト教の信仰を持つようになり、今では若い頃とは異なる視点で彼の詩を読むようになったと感じています。

尹東柱は立教で数か月学んだ後、退学して同志社に転じました。東京では友人もできず、あまりよい思い出はなかったのかもしれません。しかし、東京で書かれた詩が、彼の死後広く読まれるようになり、今では日本の多くの人々に愛されています。東京に設置された記念碑を多くの人が訪れ、彼の詩を愛する人がさらに増えることを願っています。
私は、かつての延世大学の詩碑のように毎日訪れることはできませんが、故郷に生まれたこの記念碑には、できるだけ足を運び、刻まれた「たやすく書かれた詩」を前に、若き日に立てた初心を胸に刻み直したいと思います。そして、彼のように、日々天を仰ぎつつ、すべての死にゆく者、あらゆる命を慈しみながら、この人生を過ごしていきます。

通信538「NHKラジオ英会話を聴いて」田附和久

=================================================
【週刊ハンガンネット通信】第538号 (2025年6月30日発行)

「NHKラジオ英会話を聴いて」 田附和久
=================================================

前回は、NHKラジオ「まいにちハングル講座」をご紹介しましたが、私はハングル講座だけでなく、英語や中国語のラジオ講座も楽しんで聴いています。

中でも英語は学習者が多いだけに、番組内容も非常に充実しています。毎日、基本単語だけを用いた英語のみの5分間のストーリーを聴く「Enjoy Simple English」、会話に必要な瞬発力のトレーニングに特化した「英会話タイムトライアル」、そして数週間前にNHKワールドで実際に放送されたニュース番組の音声を素材とする「ニュースで学ぶ『現代英語』」など、いずれも魅力的な内容です。同様の番組が韓国朝鮮語でもあればと、うらやましく思いながら聴いています。

こうした多彩なラインナップの中で、おそらく最も多くのリスナーを集めているのが、老舗中の老舗である「ラジオ英会話」でしょう。朝ドラ「カムカムエヴリバディ」でも取り上げられたように、ラジオ草創期から今日に至るまで、日本における英語学習に計り知れない影響を与えてきた番組です。担当される方々のプレッシャーやご苦労は相当なものと思われますが、現在の大西泰斗先生による講座「ハートでつかめ!英語の極意」は、毎年度、綿密に練り上げられた内容で展開されており、いつも心から感嘆させられています。

年度のテーマに沿って、必要な文法事項を着実に積み上げていくカリキュラムに加え、表現力や運用力を養う練習内容が年々ブラッシュアップされている点も素晴らしいのですが、さらに私が大西先生の講座で特に絶賛したいのは、日々の基本となるダイアログです。男女二人によるダイアログは、複数のストーリーが並行して進行します。考古学者の教授と学生の話、ラーメン好きの宇宙人の話、嫉妬心を抱くアンドロイドのカップルの話、19世紀ロンドンにタイムスリップした宇宙飛行士の話などが日替わりで登場し、それぞれが少しずつ進展していきます。それらの世界線が時に交わることもあり、まるで毎朝の連続ドラマのように、次の展開が気になってつい聴き続けてしまいます。必要な学習項目をしっかり盛り込みながら、こうしたエンターテインメント性あふれるダイアログを執筆される方々にはただただ感服するばかりで、私自身、いつかこんなわくわくするダイアログで構成された韓国朝鮮語テキストを著してみたいという夢も抱かされます。

さて、今年度からその「ラジオ英会話」に、毎回最後の1分間「PRONUNCIATION POLISH」というコーナーが加わりました。レッスンで学んだ表現について、より自然で英語らしい発音を学ぶ時間です。毎号のテキストの巻末に掲載されている「英語らしい発音へのヒント」では、「英語らしい強弱のリズムを生み出すこと」と「なめらかに話すこと」の重要性が説かれ、さらに「なめらかに話す」ための具体的なポイントが以下の通り挙げられ、それらに基づいて日々指導が行われます。

ポイント1 子音連鎖に母音を入れない(例:structure、agree、space)

ポイント2 最後の子音はしっかり発音しなくてもいい(例:have、tap、shut)

ポイント3 同じ音・似た音は2度読む必要はない(例:at ten、good day)

ポイント4 隣接音は影響を与え合う(例:have to、could you、didn’t you)

ポイント5 単語の末尾の子音と次の単語の母音をつなげる(例:I’m an artist. → アイマナーティスト)

ポイント6 /t/ のフラップ(例:letter → レラァ)

ポイント7 /nt/ での /t/ の脱落(例:winter)

ポイント8 強く読む母音の前の /p/ /t/ /k/(気音を伴う強い発音)

ポイント9 機能語の語頭の /h/(代名詞・助動詞の語頭の /h/ の弱化・脱落)

これらを学ぶ中で、ポイント5の子音と母音のつながりや、ポイント9の /h/の弱化・脱落など、韓国朝鮮語と共通する点があることにあらためて気づかされました。そして同時に、韓国朝鮮語の学習では基本段階で徹底的にたたき込まれるこうした発音の基本について、私自身は中高の英語授業でほとんど学んだ記憶がないことに思い至りました。「Get it on」が「げりろん」に聞こえることは好きだった洋楽の歌を通して気づいていましたが、なぜそう聞こえるのかを教室でしっかり習った覚えはありません。もし当時音読させられていたとしても、おそらく「げっと・いっと・おん」と読んでいたことでしょう。

高校を卒業してからおよそ40年。あれほど受験勉強で英単語を覚えたのに、リスニングでは聞き取れなかった理由が今ならよくわかります。正しく発音できないものを、正しく聞き取れるはずがありません。

ずいぶん遠回りをしましたが、私は韓国朝鮮語の学習を通じて、外国語学習における発音学習の重要性がわかるようになり、今改めて英語の発音を学び直しています。日本の英語教育のあり方はあまりに大きな問題なので、今回はこれ以上触れませんが、私と同じように、かつて英語(特にリスニングやスピーキング)が苦手だったものの、韓国朝鮮語は少し話せるようになったという方がいらっしゃれば、ぜひ英語学習に再チャレンジしてみてはいかがでしょうか。英語だけを学んでいたときには持てなかった相対的な視点で見直すことにより、以前とは異なる興味や楽しさをもって取り組めるはずですし、それはまた韓国朝鮮語の学習や教育にもきっと良い影響を与えてくれるのではないでしょうか。

通信529「NHKまいにちハングル講座」田附和久

【週刊ハンガンネット通信】第529号 (2025年4月28日発行)

「NHKまいにちハングル講座」田附和久
======================================

毎年桜が咲く頃になると、NHKのハングル講座が新規開講されるのを楽しみにしています。
特に、6か月という限られた期間で入門・初級のエッセンスを教えるラジオ「まいにちハングル講座」は、朝鮮語初級指導者にとってたいへん参考になる内容が多く、担当される先生方それぞれの工夫に富んだ構成から、毎期大いに刺激を受けています。

今年度4月開講のラジオ「まいにちハングル講座」は、辻野裕紀先生が担当していらっしゃいます。
テキスト4月号の「開講のことば」では、辻野先生ご自身が初めてこの言語に触れたのがこのラジオ講座であったこと、そして長い歳月を経て講師を務めることとなった感慨が、先生にしては珍しく難解な漢字語を控え目にされた文体で記されています。毎日の講座は、辻野先生のその熱い思い、そして研究の蓄積、教育実践の成果が存分に込められており、私は毎日すっかり魅了されています。

「あなたと語る100のことば」という講座名の通り、実践的なフレーズが毎日紹介されますが、単なるフレーズ紹介にとどまらず、そこから文字、発音、文法を着実に学んでいく緻密な構成となっています。1回15分という限られた時間の中に詰め込まれた情報量は濃密で、初級既修者であっても毎回新たな学びを得られる深い内容が扱われています。
例えば、開講2日目にして「네が「デ」に聞こえる?」という問いが取り上げられ、音声学に基づく丁寧な解説が加えられていたのには、深く敬服しました。

また、言語によって「こだわる部分が違う」ということをさまざまな場面で強調されている点にも、大いに共感させられています。このことは、いずれの言語の学習においても初級学習の段階でしっかり伝えるべきでしょう。

さらに今期の講座で印象深いのは、説明の際に「この言語では」という表現を意識的に用いていらっしゃる点です。これまでの担当講師もこの表現を使われてはいましたが、辻野先生は、聴き手の耳に残るよう特に意識して発しておられるように感じます。

そもそも、なぜ「韓国語では」ではなく「この言語では」と言うのか、また、なぜ他の言語のラジオ講座が「まいにち〇〇語」であるのに、この講座だけが「まいにちハングル講座」なのか——その理由は、今日、聴取者や世間一般の間でどれだけ理解されているのでしょうか。
もしご存じない方がいらっしゃれば、1970年代の署名運動に始まり、言語名称をめぐる紆余曲折を経て、ようやく1984年4月にNHKハングル講座が開講された経緯を、ぜひ調べてみていただきたいと思います(過去の新聞記事や研究論文などで確認できるはずです)。

NHKのテレビ・ラジオでハングル講座が始まってから、41年の歳月が流れました。
私は、辻野先生の「この言語では」という言葉を耳にするたびに、大学の「朝鮮語」学科で「한국어」を学び始めた約40年前の初心を思い起こすと同時に、日本国内でこの言語を学ぶ場を広げるため、多くの困難を乗り越えて努力された先達(その多くはすでに鬼籍に入られました)のことを思い出し、身が引き締まる思いを新たにしています。