通信588「分断の時代に、ことばを教えるということ」田附和久

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【週刊ハンガンネット通信】第588号(2026年7月6日発行)

「分断の時代に、ことばを教えるということ」 田附 和久
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今から20年ほど前、2000年代の韓国に生きる人が、2026年の現在の韓国にタイムスリップし、先週のテレビニュースを見たとしたら、どのような感想を抱くでしょうか。おそらく、毎日驚かされることばかりだったのではないでしょうか。

まず、2002年の日韓共催ワールドカップで韓国のベスト4進出の立役者となり、国民的英雄となった洪明甫(ホン・ミョンボ)が、2026年大会では敗軍の将として国を挙げての批判の矢面に立たされ、さらにはその就任人事をめぐって警察が捜査に乗り出す事態となっていることに、大いに驚いたことでしょう。

高校野球の試合で、光州民主化運動の犠牲者や光州市民を侮辱するようなヤジが観客席の高校生から飛んだというニュースにも、驚かされたのではないでしょうか。1990年代後半以降、事件発生から20年近い歳月を経て、ようやく責任者の処罰や犠牲者の名誉回復が果たされたというのに、それからさらに20年後には、事件の意味を次世代に正確に伝えられず、むしろ嘲笑の対象にされてしまった。その事実には、驚かされると同時に、深い悲しみを覚えたかもしれません。

地方選挙での投票用紙不足に端を発した抗議デモに、罷免・逮捕された前任大統領を支持する人々も加わり、太極旗だけでなく星条旗まで振っている姿を見れば、驚きを通り越し、もはや理解不能だと感じるのではないでしょうか。そもそも、その前段階にあった現職大統領による戒厳令宣布という事件が、民主的な選挙制度が実現してから40年も経った韓国で再び起きたという事実そのものを、信じてもらえないかもしれません。

2000年に金大中大統領と金正日委員長の対面を目撃した人々が、当時よりも悪化し、もはや南北双方で「統一」という言葉が語られなくなってしまった現在の南北関係を見たとき、口から出るのは驚きの声ではなく、むしろ諦めのため息でしょうか。

さて、2026年に起きているこれらの事象の背景に共通して見て取れるのは、社会の分断です。特権を持つ階層と持たざる民衆との分断、歴史認識の違いに基づく分断、既存世代と青年層との分断などです。そして、インターネット上のコミュニティは、それらの分断をいっそう促進し、深めています。

とりわけ深刻なのは、世代間の分断ではないでしょうか。この20年、韓国は半導体産業の発展や、K-POP、韓国ドラマなどのコンテンツの世界的ヒットにより、経済的には成長し、先進国としての地位を高めてきました。その一方で、財閥と中小企業の格差は拡大し、若年層の雇用不安、非正規雇用の増加、世界最低水準の出生率などが大きな社会問題となっています。この20年の間に生まれてきた若者たちの多くは、未来に明るい希望を抱くことが難しい状況に置かれています。

このように、人々の間の分断や分極化が社会に深刻な影響を与えているのは、韓国に限ったことではありません。程度の差こそあれ、今日、世界の各地で見られる現象だと言えるかもしれません。私たちは今、まさに分断の時代、分断の世界を生きています。

この分断の時代に、自らの母語ではない言語を学んだり、教えたりすることの意義を、あらためて考えさせられます。よく言われるように、ことばは人を殺す刃となることもあれば、人を励まし、勇気づけ、生きる力を与えるものにもなります。ことばによって互いを傷つけ合うこともある一方で、分かたれた人々を結びつけることもできます。

言語を学ぶ動機は人それぞれですが、できることなら、教室で学ばれる言語は、人と争い、人を傷つけ、命を奪うために用いられるのではなく、人を勇気づけ、人と人との和解を促すために用いられてほしいと願わずにはいられません。

分断の時代に働く語学教師にできること、求められることは何でしょうか。まず、はじめの一歩として、小さなことかもしれませんが、学びの空間を、そこに集う誰もが傷つくことなく、安心して過ごせるセーフスペースにしなければならないと強く思います。そのような空間で学んだことばこそが、人を傷つけないことばとなるのではないでしょうか。

教室もまた、分断の世界と地続きです。私たちが気を緩めれば、教室の中にもすぐに分断が生じてしまうかもしれません。そうならないために、まず教える立場にある私自身の中に、人と人との間に不必要な線を引き、分断の種を蒔く危険性がないかどうかを謙虚に問い続けたいと思います。そして、自分自身の世界観を常にアップデートするために、学び続ける姿勢も必要であると感じます。

最後は少し抽象的な話になってしまいましたが、今日の分断を乗り越え、今から20年後には、若い世代が未来への希望を抱いて生きていける社会となっていることを願いつつ、身近なところでできることから、一つずつ取り組んでいきたいと思います。