【週刊ハンガンネット通信】第444号 (2023年6月12日発行)
賢い患者生活
ワカンドウ韓国語教室 日下隆博
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今年の春に人生初の入院手術を経験しました。
初めての経験というのは何と新鮮なことでしょう。
宿泊環境から身の回りで起きる出来事のすべてがアトラクションのようにも感じ、生きていく中での経験値がまた増えたと感じました。
その中で、患者である自分を韓国語教室の受講生に、看護師を韓国語教室の講師になぞらえて考える部分が多々ありました。
・一般的ではない用語
とある交代の看護師が私に話しかけた第一声です。
看護師A「めんきゅうは自分でかえていますか?」
私「???めんきゅーというのは何ですか?」
看護師A「いいですいいです、私がやりますから」
こうした一般的でない用語の使用は複数の場面、単語で経験し、その度に聞き返さざるをえませんでした。
これを韓国語教室に置き換えてみました。
講師「そこは口蓋音化です。」
受講生「こーがいおんか?というのは何ですか?」
講師「いいですいいです、私をまねて発音してください」
・引継ぎ
とある交代の看護師が私に話しかけた第一声です。
看護師B「点滴は毎朝かえに来てますか?」
私「(点滴を??毎朝???ん??)??ちょっとずっと朦朧としていて覚えていないんですが…」
看護師B パソコンをさわって「あ、そうですね、はいはい」
先ほどの看護師Aと同様、一体そのパソコンの中の引継ぎ事項はどのようになっているのか、ということを複数回経験しました。
これを韓国語教室に置き換えてみました。
毎回担当講師が変わりその度に冒頭は前回何を習ったかを受講生に聞く講座ということになるでしょう。
・責任感、責任の所在
点滴を一時的に抜きに来た看護師B。点滴を抜いた後、
看護師B「あれ?止めるやつ忘れちゃった。後で持って来ますね」
どうやら最後に腕に巻いて、腕の針とつなげてあるチューブがぶらつかないように止める何かを忘れたようです。
私「はい」
ところがいつまで経ってもそのままなので、食事を持ってきてくれた人に、
私「すいません、この何か止めておくやつを忘れたということなんですが」
看護師C「あ、そうですか。お薬と一緒に持って来ますね」
そしてどうやら私がトイレに行っていた間に持ってきてくれたらしく、薬と「止めておくやつ」がベッドテーブルに置かれていました。
付け方がわからないのでナースコールを押しました。やって来たのはまた別の看護師でした。
私「これはどうやって付けるのでしょうか?」
看護師D「こうだと思います…たぶん…」
私「たぶん…?」
看護師D「そ、そうですよね、ちょっと担当を呼んできますね」
「今の方は看護師さんではなかったのか?」と自問しているとやって来たのは最初に忘れた看護師B
看護師B「あれ、付けてから行かなかったんですか?置いたまま?あの人ね~」
私は「最初に忘れた自分の責任はどこに行った~~」と心の中でぼやきます。
これを韓国語教室に置き換えてみました。
さながら振替授業や返金手続きなどをすっかり忘れてしまう教室でしょうか。受講生から問い合わせると「あれー担当に伝えておきますね」などと回答する教室でしょうか。
ほかにも、カーテンをきっちり閉めてくれない看護師さんにカーテンを閉めて行ってくれるようお願いすると、「私じゃありません」と言われたこともありました。
こうして今回の体験を韓国語教室に置き換えて考えてみると、この事業がなぜに成り立ち継続しているかを考えてみることとなります。
そこには必要としている人が後を断たない、ということがあるのでしょうが。。。
退院後はみるみる日々が快適なものとなり、医療技術の凄さに感動と感謝をしています。
多くの事を初めて経験し、多くのことを学んだ手術入院生活。
「そうかホスピタルにはホスピタリティがあるとは限らないのだ」などと考えながらこれからの自身のホスピタリティに生かせるであろう様々な思いとともに、またひとつ賢くなり患者生活を終えました。
