通信565「アンソンギさん、ありがとう」田附和久

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【週刊ハンガンネット通信】第565号 (2026年1月16日発行)
「アン・ソンギさん、ありがとう」田附和久
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私が朝鮮語を学び始めた1980年代は、今と違って韓国から日本へ旅行で訪れる人も少なく、インターネットもなかったので、生きた朝鮮語に触れるのにはずいぶん苦労させられました。

そうした中でたいへんありがたかったのは、当時、池袋のサンシャイン60にあった韓国文化院で毎月行われていた無料の韓国映画上映会でした。15分ほどの短編文化映画が上映された後、毎月1本、娯楽作品が上映されていました。小説原作の作品、メロドラマ、戦争映画など、さまざまなジャンルの作品を通して、言語だけでなく、日本と異なる韓国の文化や習慣についても多くを学びました。やがて、上映される多くの作品にたびたび登場する、個性的な俳優の存在に気づくようになりました。そう、それがアン・ソンギさんでした。

多くの追悼記事が伝えるように、80年代の韓国映画はまさにアン・ソンギの時代でした。僧侶、浮浪者、インテリ、野球監督など、作品ごとにまったく異なる役柄を演じているのには、いつも驚かされました。

私は、批評ができるほどの映画ファンではないので、ただただ強い印象を受けたということだけで80年代アン・ソンギ作品のベスト3を挙げるとすれば、

3位 안개마을(韓国の土俗的な闇を描いた怖い作品)
2位 깊고 푸른 밤(忘れられない悲しいラストシーン)
1位 고래 사냥(「カクソリタリョン」と「ナドヤガンダ」が、いつでも元気にしてくれる永遠の青春映画)

という順位になるでしょうか。

そして番外で、공포의 외인구단。チョン・スラが歌うテーマ曲をバックに、イ・ボヒの笑顔が浮かんできます(イ・ボヒといえば、무릎과 무릎 사이というアン・ソンギさんとの共演作もありました)。

私は一度だけ、実際にアン・ソンギさんに会い、言葉を交わすことができました。1987年だったでしょうか。池袋西武にあったスタジオ200という小さなスペースで韓国映画祭が開催された際、トークショーとサイン会が行われたのです。彼が韓国外国語大学で学んだことを知っていた私は、サインをもらうときに「私も外国語大学の学生で、今、朝鮮語を学んでいます」と話しかけると、ちょっと驚いたような表情を浮かべながら、にこりと微笑み返してくれました。

当時、苦労して鑑賞した彼の出演作は、今ではインターネットの動画サイトでその大半を見ることができます。先週、彼の訃報を聞いてから、上に挙げた80年代の彼の代表作を探し、何編か見直してみました。あんなに感動した作品でも、長い歳月が流れ、ほとんどあらすじも忘れてしまっていたものが大半でした。

でも、キム・スチョルの音楽やチョン・スラの歌を耳にし、イ・ボヒやチャン・ミヒ、イ・ミスクといった女優たちの魅力的な表情を見ると、40年前の若かりし青春の日々に一気にタイムリープさせられました。

74歳という享年は、今の時代ではとても若く、もうアン・ソンギさんの新しい作品を見ることができないと思うと、ただただ悲しいです。

でも、彼の命は尽きても、彼の作品はこれからも残り続けます。フィルムに遺した彼の演技は、これからも多くの人を魅了し続けることでしょう。

私も、まだ見ていない比較的最近の作品を探して鑑賞したいと思いますし、80年代の彼の作品を知らない方には、ぜひ若き日の彼の代表作をご覧いただければと思います。なぜ彼が「国民の俳優」と呼ばれるのか、きっとわかると思います。

アン・ソンギさん、ほんとうにありがとうございました。